31
『ユルサナイ‼ ユルサナイィィ‼』
男の行動に黒い影はさらに怒りが増したかと思うと、巨大な鬼の姿となった。頭部と思われる角の生えた影は目のようなものが出現し、赤黒く怪しく光る目はギロリと蒼司たちを見下ろした。蒼司は慌てて男を背後に庇い、再び真っ直ぐに黒い影と対峙する。
「あの方って一体誰のことだい? 君を封じたのは僕なの? 君は一体どこにいるの? 教えてくれたら解決出来るかもしれない」
『ダレガオマエノコトバナドシンジルモノカ‼』
黒い影は大きく広がりこの場を覆い尽くす。銀子ときなこは黒い影に鋭い爪を振り上げ霧散させていく。しかし、巨大化した影は斬り裂いたその箇所だけは霧散するが、すぐさま元通りとなってしまう。銀子ときなこが何度も霧散させるたびに黒い影からは悲鳴のような声にならない音が響く。まるで身体が引き裂かれているような、そんな悲鳴が――――
「なんだろう、あのあやかし……泣いているような……」
「はぁ⁉ なに言ってんだ、あんた⁉ あんなやつが泣いている訳ないだろうが‼ あんなやつ……あんなやつは消えちまえ‼」
蒼司は黒い影からなにかを感じたのか、同情する目を向けるが、隣に立つ男は今まで散々苦しい思いをさせられてきた、と拳を握り締め怒りの籠る目を向ける。
「さて、どうしたものかな」
銀子ときなこの動きを目で追いながら、顎に手をやり考え込む蒼司。怒りのまま再び拳で殴りかかりそうな勢いの男は、蒼司が一体なにを考え込んでいるのか怪訝な顔。あやかしと対話をしようと試みたところで、そんな言葉が通じる訳がないだろう、と男は苛立ちを覚える。あやかしなど心を通わせるものじゃない。男にとってあやかしとはその程度の存在だ。百害あって一利なし。男の人生においてあやかしがいて良かったことなど一度もない。
「あんたは戦わないのか? あの狐はあんたのなんだろう? あんな強そうなあやかしなら祓うくらい簡単じゃないのか」
「あー……ハハ」
不機嫌そうな声音で男に問われ蒼司は苦笑する。戦いたいのは山々だがそれが出来ないのが蒼司なのだ。それを今まで嫌と言う程身に染みてきている。いくら歯痒く思おうともなにも出来ない。蒼司は眉を下げながら笑った。
「残念ながら銀子さんは僕が使役している訳ではないし、僕自身なんの力もないから戦えない」
寂しそうに笑った蒼司は男から再び銀子たちに視線を戻す。今現在必死に戦ってくれている銀子ときなこを助けたくとも助けられない。下手に手を出すと、銀子たちの足手纏いになる可能性すらある。だから蒼司はいつもひとり安全圏にいるのだ。それが悔しかろうと心苦しかろうと、どうすることも出来ない。蒼司の受け入れねばならない現実だった。
蒼司は気を取り直すようにひと息吐くと、複雑な心境を払い除け、目を逸らさず真っ直ぐ見詰めた。
「今、何時かな?」
「は?」
突然蒼司が振り向きもせず男に聞いた。男は面食らったかのように目を見開き、一瞬なにを聞かれているのか思考が追い付かなかった。なぜ突然時間などを聞いてくるのだ、と怪訝な顔となる男だが、素直に腕時計で時間を確認する。
「二時前だが」
「二時かぁ、まずい時間帯になっちゃったねぇ」
「は?」
「草木も眠る
「それで時間を気にしていた訳か! 早く言え!」
蒼司が言い終わる前に堀井が背後から叫んだ。確か例のマンション住人が帰宅する時間を蒼司は気にしていた。そのときははっきりとした理由も言わず、明らかに誤魔化していた蒼司だが、堀井にしてみるとそんなことなら早く言っておけ、と怒鳴りたくもなるだろう。そんな堀井の思いを分かっていながら無視していそうな蒼司は振り向きつつ笑った。
「言ったところでどうすることも出来ませんし」
「早く解決させるとか方法はあるだろうが!」
「えぇ? だって今回のことはマンション依頼だけでしたし、今のこの状況は想定外ですし」
あっけらかんと言い放つ蒼司に堀井は苛立ち始めたのか眉間に皺を寄せていた。しかし、想定外なことだというのは事実であって、堀井はこれ以上なにも言えずに苦々しい顔となっていた。
「それに君……」
堀井へと向けていた視線を隣の男に向けた蒼司はなにを見ているのか、じっと男を真っ直ぐに見詰める。
「な、なんだよ」
男はたじろぎ後退る。蒼司は顎に手をやり、男を観察するように上から下までを眺めた。
「君、あのマンションに住んでいたよね?」
「は? マンション?」
「うん、駅前のマンション。気付いていたかは分からないけれど、玄関に鬼門のあるマンションだよ」
「あぁ……少しの間住んでいたが、あまりに気持ち悪いところだったからすぐに退去した……」
それは先程まで蒼司たちが縊鬼と対峙していたあのマンション。縊鬼に憑かれていた男の前に住んでいた住人だ。あのマンションの騒動となった元凶の黒い影。あれはこの男があのマンションに入居したからだ。
「あの黒い影は最初君に固執していた。そのあとなぜか僕に意識が向き始めたようだったけれど……まあそれは置いておいても、あのマンションに住んだことで、鬼門が開いたと同時にあの黒い影に君は発見された。そのせいで黒い影の存在に引き寄せられるように、あのマンションにはあやかしが集まってしまった」
「そ、そんなこと、俺は知らない! 俺はあの黒い影のせいでまともに寝ることも出来ず、ひたすら呪いの言葉を投げ掛けられ続けて、いっそ死んだほうが楽かと思えるくらいに……」
男は今までの人生ずっとあやかしに苦しめられてきたことを思い出す。必死にひとりで耐えて生きて来た。祖母という味方を手に入れたのに、それすらも失い、それでもなんとか生きて来ようとしてきたのだ。それなのに最後にはこれか、と苦笑する。
「生まれて来たこと自体が間違いだったのかもな」
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