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 事務所から扉を隔て隣の部屋へと向かった堀井は、リビングにあるソファへとドカッと腰掛け、深く背凭れに寄り掛かる。事務所には居住としての部屋も揃う間取りで、リビングと私室が繋がる。隣のもうひとつの扉には亜耶が今現在寝泊まりをしている部屋があり、事務所と兼用であるキッチンが事務所からの続き部屋に備えられている。キッチンの横には風呂場などの水回りも揃い、事務所兼居住ということで、少しばかり変わった間取りとなっていた。


 堀井はソファへと凭れ掛かり呆けたまま宙を見詰め、蒼司との会話を思い出し苦笑する。あんなことを言うつもりなどなかった、と堀井は自身の言葉を改めて思い返しガシガシと頭を掻いた。


「なぁに講釈垂れてんだって話だ、馬鹿じゃねぇの」


 堀井は溜め息を吐き、ソファに身を投げ出すように脱力し天井を見上げた。


 堀井は元々警察官だった。警察学校卒業後に警察官となり、二十四のときに同い年の女性と結婚。娘を儲け家族三人の生活だった。しかし、堀井は刑事となり忙しい日々を送っていた。家にいる時間は短くなり、家族と過ごす時間は減っていたが、しかし、それでも理解のある妻に支えられていた。

 そんなときに妻と子が死んだのだ――――原因は放火だった。

 いつものようにふたりで過ごしていた妻と子は、家で就寝した後、勝手口付近から出火した炎にのまれ命を落とした。勝手口付近にはガソリンがまかれた痕跡があり、炎の勢いは抑えることが出来ないほどの勢いで燃え広がったと推測された。

 堀井はそのとき他の事件を追っていたため現場に駆け付けることが出来なかった――――


 放火犯は過去に堀井が逮捕した女の息子である可能性が高かった。

 その女は日常的に夫から暴力を受けていて、それを苦にし、寝ている夫を刺して殺害した。情状酌量じょうじょうしゃくりょうの余地ありとも当初は言われていたが、女には虚言癖きょげんへきがあった。夫からの暴力は事実ではあったが、女は金遣いが荒く、生活費を浪費し、さらにはホストに金を貢いでいた。女はその事実を嘘で誤魔化し、夫の稼ぎが悪いから生活が苦しいと周囲に吹聴していたのだ。


 女は一度は殺害を自供していたがその後裁判で自分は犯人ではないと言い出し、息子はそれを信じていた。女の嘘を信じ、父親である男の暴力を憎み、殺害の犯人は別にいると思い込んでいた。しかし殺害現場の証拠が覆ることはなく女は懲役ちょうえきを受けた。

 その後、女は刑務所暮らしをしている間に病気で死亡し、母親の冤罪えんざいを信じていた息子はそれ以来、母親を逮捕した堀井を逆恨みしていたのだった。

 それらの理由と現場に残された証拠と目撃例から、堀井の家を放火したのはその息子の犯行だろうと言われていた。


 しかし、その犯人はいまだ逃走中――堀井は自分のせいで妻と娘が死ぬことになったということ、自身でその犯人を追いかけることが出来ないということに悩み苦しんだ。そして、精神を病み、警察を辞職したのだ。その後茫然自失、廃人のような生活を送っていた堀井を亜耶が必死に支え生活をしてきた。六年の月日が経ちようやく現在のように、以前の姿に戻ることが出来たのだ。しかし、いまだに堀井の心の奥底には常に『自分のせいで家族を死なせた』という思いが抜けない棘のように突き刺さる。


 大事な相手ほど突然いなくなることもある。話をしたいときにその相手はいないことがある。堀井はそれを経験し、身に染みている。だからこそ蒼司の家族との確執がどうにも放っておけなくなってしまった。ひとによって考え方も違えば立場も違う。蒼司自身が家族と会うことを望んでいないものを無理に強要するものでもないことは分かっているのに、あんなことを口走ってしまった、と堀井は自己嫌悪に陥る。


「何様だよ」


 自分がそうであったからといって蒼司もそうなると決まった訳ではない。堀井が口を出さなくとも、いつか和解をしているかもしれない。逆にお互い疎遠のまま終わるかもしれない。それは蒼司自身が決めることであって堀井が口を出すことではない。


「そんなことはただの押し付けだ」


 自嘲気味に笑った堀井は、再び大きく溜め息を吐くとゆっくりと瞼を閉じた。思い出すのは笑う家族の顔。自分のせいで、と悩むたびに妻から責められる夢、堀井のせいではないと微笑む夢、『大好き』と駆け寄る娘の夢、『大嫌い』と嫌悪の目を向ける娘の夢。そんな夢を見続けていた。ここ数年でようやく笑うふたりの顔だけを思い出すようになったのだ。後悔や懺悔の気持ちはなくならない。しかし、いつまでも落ち込んでいられる訳でもない。ようやく立ち直ったのだ。堀井は心を落ち着けるように大きくゆっくりと息を吐いた。



 *



「さて、そろそろ行きますか!」


 意気揚々とソファから立ち上がり、着崩れた着流しを整えた蒼司は腰に手を当て楽しそうに笑った。仮眠前の複雑な想いなど忘れたかのように楽しそうな蒼司の姿に、同じく準備をして出て来た堀井は苦笑する。堀井は亜耶に向かい、留守番を頼んでいる。亜耶は寝惚けたまま手を挙げ、「気を付けて」とだけ声を掛けると、再び部屋へと戻って行った。堀井は昼間と違いラフな格好となり、ジャージに白いTシャツという、起きたままの姿かと思えるほどのだらしなさだった。頭をガシガシと掻き、大きなあくびをしている。


「別に堀井さんは来てくれなくても良いんですよ?」


 あまりにやる気のないダレた姿の堀井に苦笑しつつ、しかし堀井は来るのだろうと予想の付いた蒼司は嫌味のような言い方になったな、と自身で笑ってしまう。


「分かり切ったことを言うな。俺が一緒に来ることくらい予想しているだろうが」


 堀井は大口を開け、あくびをしたままさも面倒臭そうにぼそりと言った。そんな堀井の言葉に蒼司も苦笑する。


「そうですね。では行きますか。今日はちょっと僕にも予想が付かないので気を付けてくださいね」


 蒼司のその言葉に堀井は眠そうなままだった目がパチリと開き、ガバッと蒼司に振り向き顔を真っ直ぐに見詰めた。

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