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「えーっと、貴方のお名前は? 僕はこの彌勒堂の店主、南と申します。どなたからうちの話を聞きました?」


 勘違いをしているのであろう男に訂正するでもなく、蒼司はにこりと微笑み静かに聞いた。


「え、あぁ、すみません、田中と申します。私、駅前の不動産屋の者なんですけどね。うちが管理しているマンションで最近ちょっとおかしなことが起こっていまして……それを最初は同じく駅前にある探偵事務所の堀井さんに調査を依頼したのですが……その部屋を見るなりこちらの彌勒堂さんを紹介されまして……」

「あぁ……あの堀井さん……」


 田中と名乗った男は自身の名刺を胸ポケットから取り出し蒼司に手渡す。そこには田中の名と駅前にある不動産屋の名が書かれてある。そして田中はそのままもう一枚の名刺をテーブルに置いた。そこには『堀井探偵事務所』という文字。

 田中の口から飛び出した名前に蒼司は苦笑した。『堀井探偵事務所』の所長である堀井ほりいがく。彼は過去に堀井探偵事務所にあった依頼で予期せぬ事態に陥り、たまたま居合わせた蒼司が銀子と共に解決した事件がきっかけで、それ以来あやかしに関わる事例が起こりそうな依頼の場合、彌勒堂に丸投げしてくるようになったのだ。

 蒼司は堀井からの依頼だと聞き苦笑するしかなかったが、しかし、依頼を回してもらえるということ自体が助かっているということもあり、いつも渋々ながらも受けるはめになるのだった。


「堀井さんの紹介でしたらお話お伺いしますよ。で、どんな案件なんです?」


 にこりと微笑んだ蒼司の様子に、田中はホッと胸を撫で下ろすかのような表情となり、小さく安堵の息を漏らした。


「先程も申しましたが、うちの管理しているマンションなんですけどね。小さいマンションではあるのですが、駅前にあるためそこそこ人気なんですけど、二ヶ月くらい前からかな……なんだか住人から苦情が来るようになりまして……」


 彌勒堂の近くにある寂れた商店街は、駅からはかなり離れた場所にある。最寄りと呼べる駅はこの彌勒堂から歩いて一時間はかかるほどには遠い。従ってこの辺りに住んでいる者は駅まで行こうと思うとバスなどを利用するのだが、そのバスですら三十分に一本ある程度だった。そのおかげでこの辺りは過疎化が進んでいるのだが、しかし、駅前ともなればそれなりに賑わった場所となっていた。

 田中の言う不動産屋とはおそらく彌勒堂方面へと向かうバスのある路線とは反対側となる駅向こうにある店だろう、と蒼司は駅前を思い出しつつ話を聞く。ついでに言うと堀井探偵事務所もその不動産屋からそう離れていない場所のビルに入っていたはずだ。


「苦情というのは?」


 駅前の様子を思い浮かべながらマンションと思わしき建物の場所を思い浮かべつつ蒼司は聞く。


「マンションは五階建てでワンフロアには四つの部屋があるのですが、角部屋のひとつの部屋の住人から最近隣の部屋の住人が夜中にうるさいからなんとかしてくれ、と苦情の電話が入ったんです」

「苦情の電話……」

「はい。そのマンションの皆さんは比較的真面目な方が多いので、今までトラブルなんてものはなかったんですけどね。だから初めてそんな苦情が来たもので、最初は戸惑ったのですが、まあ仕方ないですよね。そのお隣の方の部屋まで注意しに行ったんですよ」

「ほう、それで?」

「その部屋の住人の男性は強面で若干怖い雰囲気の方なんですけどね。でも、不愛想であっても素直に「すみません」と謝っていただけて、それでそのときは終わったんです」

「ん? なら、もう問題はないんじゃ?」


 隣の騒音トラブルで、原因である本人も認めて謝ったのならもう解決ではないのか、と蒼司は首を傾げた。しかし、田中はテーブルに両手を付き、前のめりになって真剣な目を向ける。


「問題はそこで終わらなかったんですよ!」

「はあ、他になにが? もしかしてまた夜中に騒音騒ぎですか?」

「そうなんです!」


 身を乗り出した田中は興奮気味に話す。


「数日経つと、また同じ方から苦情が入りましてね。今度はさらに怒ってました」

「そりゃそうでしょうね」


 終わったと思っていた騒音が再び繰り返されると誰でも腹が立つだろう。蒼司は苦笑したが、しかし、そこからは予想とは違う言葉が続いた。


「またか、と思い、もう一度例の部屋の住人に注意をしに行こうとしたんですけどね。そうしたらその前に今度は下の住人からも苦情が来ましてね」


 げんなりとした顔で話す田中の様子に、蒼司は少し興味を持ち始める。素直に謝罪した住人が再び騒音問題を起こすというのはなにかしら理由がある。そう考えた。所謂逆ギレをする住人もいるだろう。その場合は自分が悪いとは考えないため、再び騒音を起こすことが多い。逆に苦情を訴えた隣人の勘違い、という場合もある。その場合も自分に身に覚えがないならば、逆に怪訝な顔となるか怒り出すか、となるだろう。しかし、その住人は素直に謝罪をしているのだ。ということは、自分が騒音の原因であるということを認めている。面倒事に巻き込まれたくないから、自分が原因でなかろうと謝ってしまえ、という人間もいるだろう。しかし、今回の場合は騒音が続いてしまっている。その場合、考えられることはなにか。


「その問題の住人は以前から住んでいる方なんですか?」


 今まで問題のなかった住人が急に問題を起こすとは考えにくい。となると、新しく入居した住人の可能性が高い。


「そうですね、その問題が起こり始める一週間ほど前からの入居です」

「なるほど、で、また注意をしに行った、と」

「はい……もう大体想像がついておられるかもしれませんが、それでは終わらなかったんです。何度注意しても騒音は収まらず、次第に隣や下の階の住人だけでなく、上の住人も、さらには隣接していない部屋でも騒音が始まり、ついにはなにやら黒い影のようなものを見たとか言う人まで現れ……」

「ほぉ! 黒い影ですか! それは興味深い!」


 俄然興味津々となった蒼司はまるで子供のように目を輝かせる。前のめりに楽しそうな顔を向けられ田中は若干引き攣った顔となった。

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