第4話 大物
ライアさんと共に、あの白いウサギたちをパンプスの下に沈めてから、季節は巡り、初夏の日差しはいつしか強い夏の光へと変わっていました。グランドール家での日々は、相変わらず静かに過ぎていきます。旦那様が不在の屋敷は、まるで時間が止まったかのようです。しかし、私の内側では、激しい変化の嵐が吹き荒れていました。
あのウサギを始末した日の記憶、特に、白い毛皮を赤黒く染め上げながら、素足に履いた純白のエナメルパンプスで骨を砕き、肉を抉ったあの鮮烈な感触は、私の脳裏に焼き付いて離れませんでした。ライアさんとの共犯関係は心地よかったけれど、やはり、あのお嬢様と二人きりでネズミを嬲り殺した時の、あの背徳的で甘美な興奮には及びませんでした。美しいドレスを纏い、華奢なパンプスで汚らわしいものを踏み潰すという、あの倒錯した儀式。あれこそが、私の魂が真に求めているものなのだと、確信していました。
ライアさんから譲り受けた白いパンプスは、あの日以来、私の「お仕事」専用の道具となりました。念入りに手入れはしましたが、染み付いた汚れやくすみは完全には消えず、むしろそれが勲章のように思えるほどでした。私は、そのパンプスを履き、お嬢様から頂いたあの淡いピンクのドレスを再び身に纏い、次なる「お仕事」に臨む日を、一日千秋の思いで待ち焦がれていたのです。虫や、庭で見かけるネズミの死骸などを踏んで気を紛らわせることもありましたが、そんなものでは、私の渇きは癒えませんでした。もっと大きなもの、もっと強い抵抗、もっと派手な破壊を、私の心と体は欲していました。
そんな私の願いが通じたかのように、ある夏の日の午後、お嬢様からお部屋へ来るようにとのお呼びがかかりました。ライアさんはちょうどお使いで外出しており、屋敷には私とお嬢様の二人きり。この状況は、あの初めてネズミを始末した時と同じです。私の心臓は、期待に大きく波打ちました。
「失礼いたします、お嬢様」
軽くノックをして部屋に入ると、お嬢様は窓辺の長椅子に腰掛け、優雅にティーカップを傾けていらっしゃいました。今日のドレスは、涼しげな水色のシルクです。
「あら、ベス。早かったわね」
お嬢様は、私を見ると、にっこりと微笑みました。その笑顔は、いつもの無邪気なものではなく、これから始まる秘密の企みを分かち合う共犯者のそれでした。
「ベスに、またお願いしたい『お仕事』ができたのよ」
やはり。私は息を飲みました。
「はい、お嬢様。何なりとお申し付けください」
私は、期待を隠しきれない声で答えました。
「ふふ、頼もしいわね。ライアから聞いたわよ。ウサギの時、ずいぶんと『熱心』だったんですって?」
お嬢様は、悪戯っぽく目を細めます。
「あなたの白いパンプスが、それは見事に汚れていたとか。ライアったら、『まるで血で染め上げたみたいだった』なんて言うんだもの」
「……お恥ずかしい限りです」
私は顔を赤らめましたが、嫌な気はしませんでした。むしろ、誇らしいような気持ちさえありました。
「いいのよ、ちっとも恥ずかしがることはないわ。むしろ、嬉しいの。ベスが、私と同じ『楽しみ』を見出してくれたことが」
お嬢様は立ち上がると、私のそばに来て、そっと私の頬に手を添えました。
「だからね、ベス。今日は、もっと特別な『お仕事』を用意したの。きっと、あなたも気に入るはずよ」
「特別な……?」
「えぇ。今日の獲物はね……ふふ、ちょっと大きいのよ」
お嬢様は、楽しそうに囁きました。
「屋敷の裏手で飼っていたヤギがいるでしょう? 最近、少し気性が荒くなってきて、手に負えなくなってしまってね。ライアも手を焼いていたの」
ヤギ……! ウサギよりもずっと大きい。骨も太く、力も強いはずです。それを、このパンプスで? 想像しただけで、全身の血が沸騰するような興奮を覚えました。
「そのヤギを、今日、私たち二人で『始末』するのよ」
「お嬢様と、二人で……?」
「そうよ。ライアには内緒でね。これは、私たちだけの、特別な儀式だもの」
お嬢様の瞳が、妖しい光を湛えて輝きます。
「だから、ベス。あのドレスを着てちょうだい。私があなたにあげた、ピンクのドレスと、白いパンプスを」
「はいっ!」
私は喜び勇んで頷きました。クローゼットから、大切にしまっていたドレスとパンプスを取り出します。パンプスは、ライアさんとの「お仕事」で汚れてしまいましたが、それもまた、今日の「儀式」に相応しいと思えました。
「私も着替えるわ。ベス、手伝ってくれる?」
お嬢様は、ご自分のクローゼットから、純白の、レースとフリルがふんだんにあしらわれた、まるでウェディングドレスのように豪華なドレスを取り出しました。そして、足元には、私が持っているものよりもさらにヒールが高く、鋭利な、ダイヤモンドのように輝く装飾が施された、特別な白いエナメルパンプスを用意していました。
二人で互いのドレスの着付けを手伝い合います。コルセットを締め上げ、パニエを広げ、シルクやレースの感触を確かめながら、私たちの胸は高鳴っていきました。鏡の前に並んで立つと、そこには、これから血塗られた宴に向かうとは思えないほど、美しく着飾った二人の乙女の姿がありました。淡いピンクの私と、純白のお嬢様。対照的ながらも、どこか通じ合う、倒錯した美しさ。
「まあ、素敵……。私たち、まるでこれから舞踏会にでも行くみたいね」
お嬢様は、鏡の中の私たちを見て、うっとりと呟きました。
「でも、私たちの舞踏会の相手は、もっと『ワイルド』な殿方よ」
その言葉に、私たちは顔を見合わせ、くすくすと笑い合いました。これから始まる残酷な行為への期待が、私たちの心を一つにしていました。
「さあ、行きましょうか。私たちの『ダンスホール』へ」
お嬢様は、私の手を取り、部屋を出ました。カツン、カツン、と二対の白いパンプスのヒールが、大理石の廊下に高らかに響き渡ります。
私たちは、屋敷の裏手にある、今は使われていない古い家畜小屋へと向かいました。石造りの、頑丈そうな建物です。扉には、太い鎖と南京錠がかけられていました。
「ライアが、今朝、あの子をここに移しておいてくれたの。暴れると危ないからって」
お嬢様は、鍵を取り出して錠を開けました。重い木の扉を押し開けると、黴臭い匂いと共に、動物の強い匂いが鼻をつきました。薄暗い小屋の奥、壁際に繋がれたロープの先に、一頭のヤギがいるのが見えました。
「メェェェ……」
私たちが近づくと、ヤギは警戒したように低い声で鳴き、私たちを睨みつけました。思った通り、かなりの大きさです。子ヤギとは呼べない、立派な体格の雄ヤギでした。筋肉質な体、太い首、そして、ねじくれた二本の角が、その荒々しさを物語っています。
「まあ、思ったより大きいわね。これは……骨が折れそうだわ」
お嬢様は、少しだけ怯んだように呟きましたが、その目は好奇心と興奮で輝いていました。
「大丈夫ですよ、お嬢様。二人なら、きっとできます」
私は、お嬢様を励ますように言いました。しかし、内心では、この強そうな相手をどうやって仕留めるか、想像を巡らせていました。パンプスだけで、本当に可能なのでしょうか? その困難さが、逆に私の挑戦心を燃え上がらせました。
「そうね。ベスがいるなら心強いわ。さあ、始めましょうか。まずは、少しご挨拶しないとね」
お嬢様は、ドレスの裾を優雅に翻し、ヤギに近づいていきました。ヤギは、後ずさりしようとしますが、ロープで繋がれているため、逃げられません。
「メェェェッ!」
ヤギは、威嚇するように角を突き出してきました。しかし、お嬢様はひらりとかわすと、その白いパンプスの鋭い爪先で、ヤギの鼻面を軽く蹴り上げました。
「ふふ、元気な子ね。でも、私たちに逆らっても無駄よ」
お嬢様は楽しげに言うと、今度は細く高いヒールで、ヤギの前足を軽く踏みつけました。
「キャイン!」
ヤギは、犬のような悲鳴を上げて足を引こうとしますが、お嬢様は体重をかけてそれを許しません。
「どう? 痛いでしょう? もっと痛くしてほしい?」
お嬢様は、ヤギの耳元で囁くように言うと、ヒールをグリグリと捻り込みました。ミシッ、と骨がきしむような音が聞こえます。
「さあ、ベス。あなたもご挨拶なさい。遠慮はいらないわ。この子は、もう私たちの『おもちゃ』なのだから」
お嬢様は、私に合図するように目配せしました。私は、深呼吸を一つすると、意を決してヤギに近づきました。ヤギは、お嬢様にやられた前足を引きずりながら、充血した目で私を睨みつけています。その敵意に満ちた視線が、私のサディズムを激しく刺激しました。
「よろしくね」
私は囁くと、ためらうことなく、白いパンプスの鋭い爪先を、ヤギの片方の目に突き立てました!
「グギャアアアァァァッ!!!」
ヤギは、これまでに聞いたこともないような、絶叫に近い悲鳴を上げ、激しく暴れ狂いました。私のパンプスの先端には、潰れた眼球の、生々しい感触が伝わってきます。赤い体液が、白いエナメルに飛び散りました。
「ベス!? あなた、なんてことを……!」
お嬢様が、驚きの声を上げました。しかし、その声には、非難よりも、むしろ興奮の色が濃く滲んでいます。
「だって、お嬢様。この方が、早く大人しくなるかと思って」
私は、悪びれもせずに答えました。ヤギは、片目を潰された激痛と恐怖で、小屋の中を狂ったように跳ね回っています。ロープがちぎれんばかりに引っ張られ、壁に体を打ち付けています。
「まあ……なんて過激なのかしら、ベス。でも……嫌いじゃないわ、そういうの」
お嬢様は、恍惚とした表情で、暴れるヤギを見つめています。
「さあ、続けましょう。あの子が大人しくなるまで、徹底的に痛めつけてあげるのよ!」
お嬢様の言葉を合図に、私たちの狂乱の「ダンス」が始まりました。私たちは、美しいドレスの裾が汚れるのも、破れるのも構わず、暴れ狂うヤギを追い回し、パンプスで蹴りつけ、踏みつけ、ヒールを突き立てました。
ヤギは必死に抵抗し、角を振り回し、蹄で蹴りかかってきます。しかし、私たちは巧みにそれをかわし、あるいは敢えて受け止めながら、執拗な攻撃を続けました。お嬢様の純白のドレスは、飛び散る血と泥で、見る見るうちにまだら模様に汚れていきます。私のピンクのドレスも、裾が大きく裂け、ヤギの体毛や汚物がこびりついていました。
「あはっ!お嬢様、気持ちいいです!」
「ベス!最高に興奮するわ!」
私たちの甲高い笑い声が、ヤギの苦痛の叫びと重なり、薄暗い小屋の中に反響します。アドレナリンが全身を駆け巡り、痛みも恐怖も感じません。ただ、目の前の命を破壊する、原始的な衝動と、それに伴う強烈な快感だけが、私たちを支配していました。
パンプスの鋭い爪先は、ヤギの柔らかな腹部や脇腹を抉り、細く硬いヒールは、何度も肉に突き刺さり、骨を砕こうとしました。
「メェェ……グェッ……」
ヤギの抵抗は、次第に弱々しくなっていきました。体中が傷だらけになり、夥しい量の血が流れ出ています。息も絶え絶えで、もはや立ち上がる力も残っていないようでした。
「ふぅ……ふぅ……。そろそろ、フィナーレかしらね、ベス」
お嬢様は、乱れた髪をかき上げ、荒い息をつきながら言いました。その顔は汗と血と汚れにまみれていましたが、その瞳は爛々と輝いています。
「はい、お嬢様」
私も、息を切らしながら頷きました。全身が汗でぐっしょりと濡れ、ドレスはボロボロ。白いパンプスは、もはや元の色が分からないほど、赤黒く汚れていました。素足にも、生温かい血糊がべっとりと付着しています。しかし、疲労感よりも、これから訪れるであろうクライマックスへの期待の方が、はるかに勝っていました。
私たちは、ぐったりと横たわるヤギを、二人で挟むように立ちました。
「まずは、残った目も潰してあげましょうか」
お嬢様が提案し、私たちは同時に、それぞれのパンプスのヒールを、ヤギの残った目と、すでに潰れた目に容赦なく突き立てました。
「グギャッ!」
ヤギの体が、最後の痙攣を起こします。
「それから、心臓を狙いましょう」
私たちは、ヤギの胸部に狙いを定め、何度も何度も、ヒールを力強く踏みつけました。ゴリッ、ゴリッ、と肋骨が砕ける鈍い音。肉が裂け、血が噴き出す感触。パンプスの薄いソールを通して、弱まっていく心臓の鼓動が、私の素足に直接伝わってくるかのようでした。
「もっと! もっとよ、ベス!」
「はいっ!」
私たちは、狂ったように踏み続けました。ヤギの体が完全に沈黙し、ただの肉塊に変わっても、私たちは止まりませんでした。骨を砕き、内臓を踏み潰し、肉を挽き潰す。その行為そのものが目的であるかのように、私たちは無心で踏み続けました。パンプスは完全に血と肉に埋もれ、私たちの足元は、おぞましい屠殺場のようになっていました。
どれくらいの時間が経ったでしょうか。ようやく私たちが動きを止めた時、小屋の中には、言いようのない静寂と、濃密な血の匂いだけが満ちていました。足元には、もはやヤギであったとは到底信じられない、骨と肉と皮が混ざり合った、不定形の塊が広がっているだけでした。
「……はぁ……はぁ……終わった……」
お嬢様は、壁に手をつき、かろうじて立っていました。その顔は蒼白でしたが、唇には満足げな笑みが浮かんでいます。
「……すごかった……ベス……あなた、本当に……」
お嬢様は、言葉にならないといった様子で、私を見ました。私の姿も、お嬢様に劣らず、凄惨なものでした。破れたドレスは血と汚物で染まり、髪は乱れ、顔にも血飛沫が飛んでいます。そして、足元の白いパンプスと素足は、もはや悪夢のような有様でした。
「……最高でした、お嬢様」
私は、恍惚とした表情で答えました。全身が経験したことのないような疲労感に包まれていましたが、それ以上に、魂が震えるような、強烈な達成感と、虚無感にも似た静かな満足感に満たされていました。これが、私が求めていたもの。この破壊の果てにある、絶対的な快感。
「……ライアを呼ばないとね。後片付けをしてもらわないと」
お嬢様は、ふらつく足取りで小屋の出口に向かいました。
「ベス、あなたはここで少し休んでいて。動けないでしょう、そんな足では」
言われて、私は自分の足元を見ました。パンプスは血と肉にまみれ、素足にもべっとりと付着しています。一歩踏み出すたびに、ぐちゃり、と嫌な音がしました。
お嬢様がライアさんを呼びに行っている間、私は小屋の隅に座り込み、目の前の惨状をぼんやりと眺めていました。先ほどまでの狂騒が嘘のように、静まり返った空間。鼻をつく血の匂い。そして、自分の足元のおぞましい光景。しかし、不思議と嫌悪感はありませんでした。むしろ、これは私が成し遂げた偉業の証であるかのようにさえ思えたのです。この汚れこそが、私の存在証明なのだと。
やがて、ライアさんが駆けつけてきました。小屋の中の惨状と、私の姿を見て、一瞬息を呑みましたが、すぐに冷静さを取り戻し、黙々とお嬢様の指示に従って後片付けの準備を始めました。その間、お嬢様は私の隣に座り、私の汚れた手を取りました。
「……すごかったわ、ベス。本当に。今日のあなたは、まるで血に飢えた女神のようだった」
お嬢様は、うっとりとした目で私を見つめます。
「私、少し怖かったのよ。あんなに大きな相手、本当に私たちだけでできるのかって。でも、あなたがいたから……あなたが、あんなに勇敢で、残酷で、そして美しかったから、私も最後までやり遂げられた」
「お嬢様……」
「もう、あなたは私のメイドなんかじゃないわ。あなたは、私のパートナーよ。この秘密の、血塗られた悦びを分かち合う、たった一人の……」
お嬢様の言葉は、甘い毒のように私の心に染み渡りました。そうだ、私たちはパートナーなのだ。この狂った世界で、二人だけで共有する、究極の快楽の共犯者。
ライアさんが手際よく後始末を進める中、私たちは、互いの汚れを拭い合うこともなく、ただ寄り添って座っていました。破れ、汚れきったドレスも、血と肉にまみれたパンプスも、もはやどうでもいいことのように思えました。この瞬間、私たちは、自分たちが普通の人間とは違う、特別な存在になったのだと感じていました。
屋敷に戻り、湯を使っても、体の芯まで染み込んだような血の匂いは、なかなか消えませんでした。あのピンクのドレスと白いパンプスは、もはや修復不可能なほどに汚れてしまい、ライアさんがこっそりと焼却処分してくれました。しかし、私の心には、あの日の記憶が、あの快感が、永遠に消えることのない染みのように、深く刻み込まれたのです。
私は知ってしまいました。破壊の果てにある、究極の快楽を。そして、お嬢様との間に生まれた、血と狂気で結ばれた、歪んだ絆の強さを。もう、後戻りはできません。私たちは、これからも二人で、この倒錯した道を歩んでいくのでしょう。次なる獲物を求めて。さらなる刺激を求めて。そして、いつか、この道の果てに何が待っているのか、今はまだ知る由もありませんでした。ただ、お嬢様の隣にいられるなら、どんな運命も受け入れる覚悟はできていたのです。私の魂は、もう完全に、あの美しい悪魔の虜となっていたのですから。
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