第33話


 砦から離脱した僕らは、来た時と同じようにバラバラに、小さなグループに分かれて浮雲の里を目指す。

 尤も行きとは違って、帰りは怪我人を抱えての移動になるから、偽装も手間取るし、足取りも重かった。

 僕らは確かに目的を達成したけれど、それでも追撃を恐れながらの帰路は、凱旋と呼ぶには程遠い。


 やっぱり、若様の判断が正解だったか。

 あの時、皆で掛かればスプリガンを殺す事は、恐らく可能だったと思う。

 しかしその場合、多くの怪我人や死者が出た筈だ。

 その状態で、開戸の国の兵が動けば、僕らの帰還はもっと難しくなっていた。


 死者は、近くの森に深く埋めればそれで済む。

 土遁の忍術を使えば、埋葬には殆ど時間は掛からない。

 死んだ忍びは、見ず知らずの地で土に埋まるのはよくある話だから、遺髪だけでも里に持ち帰って貰える状況での死は、マシな死に方だと言える。

 だが怪我人は、その場に置いて行く訳にもいかないから。


 僕のグループ、つまりは若様が率いるグループも、二人の怪我人を連れ帰っていた。

 あらかじめ、怪我人が出る事は予想されてたから、彼らを連れ帰る為の荷車や、姿を隠す荷、藁等は用意してあったのだ。


 怪我人は、二人とも傷の手当は終わってる。

 銃で撃たれた傷だから、弾は抜いて血止めをして。

 まだとてもじゃないが歩けはしないが、それでも命に別状はないだろう。

 傷口が膿んで病魔に侵されぬ限りはの話だが、忍びは武芸者程ではないが気を扱う事ができるから、病毒への抵抗力は高い。


 だから歩みは遅くても、追撃が来るんじゃないかと恐れながらでも、歩き続ければ時間は掛かれど浮雲の里への帰還は叶う。

 けれども僕らが、いや、主に若様が本当に大変だったのは、浮雲の里に帰還してからだった。



 浮雲の里に帰った僕らを待っていたのは、頭領及び、上忍達が三猿忍軍の里攻め中に命を落としたという報せ。

 より正しく言うならば、三猿忍軍の里は攻め落とし、そこで戦後の処理を行っていた最中に、頭領や上忍は死んだらしい。

 戦後の処理というのは、要するに虐殺と略奪の事なんだろうけれど、その最中にふらりと現れた一人の女が、まるで二足で立つ狼のような姿に変じ、頭領や上忍と戦いを始めたそうだ。

 頭領や上忍は幾度もその女、狼の化け物に致命傷と成り得る筈の傷を与えたが、その傷はすぐに修復、再生してしまった為、結局は頭領や上忍は敗れたという。


 ……あぁ、頭領や上忍は、なまじ自分達が強い為、相手を殺し切れる好機だと判断して、逃げる機会を失ったのか。

 すぐに逃げの手を打っていれば、配下の忍びに犠牲者は出たとは思うが、頭領や上忍程の実力があれば逃げるくらいは可能だった筈なのに。

 或いは、そこで逃げれば三猿忍軍の里の処理に滞りが出ると考え、それを嫌ったのかもしれないけれど。


 スプリガンを見て、即座に撤退を決めた若様とは、真逆の結果になってしまった。

 頭領や上忍を殺した狼の化け物は、あのサンドラという舶来衆の幹部だろう。

 銀に囲まれた場所じゃなかったら、頭領や上忍を殺せるくらいに強かったのか……。

 せめて頭領がその襲来を警戒して、銀製の武器の一つでも持ち歩いててくれれば、結果は幾らか違ったと思うが、それを言っても仕方ない。

 実際、銀は高い割に武器にするには向いた金属じゃないから、僕もあの戦いの後、用意できたのは銀の苦無が一本きりだ。


 恐らく舶来衆の幹部、人狼もスプリガンもそうだが、彼らを殺すには、向こうの都合で戦いを押し付けられていては駄目だ。

 人狼もスプリガンも、戦う時間や場所で、その力を大きく変える。

 彼らが弱い時間に、弱い場所で、こちらから襲い掛かる事が必要だった。

 例えばサンドラを相手にするなら、新月の日や昼間に、それも月の光が届かぬ屋内での戦いが望ましい。


 だが自分達に都合のいい時間と場所を押し付けるには、相手の動向を把握する必要がある。

 つまり今の僕らは、情報戦に負けていた。

 本来ならそれを得意とする、忍びであるにも拘らず。


 更に言うなら今は、もう舶来衆の幹部の殺し方を考えてる場合でもないだろう。

 何しろ、里を動かしていた首脳陣が、ごっそりと消えてしまったのだから。

 新しい頭領や、重鎮である上忍を立てる必要がある。

 そう、若様が新たな頭領にならなきゃいけなかった。


 正直、厳しいどころの話じゃない。

 経験のない新しい頭領と上忍が、里を運営していかなきゃならないのだ。

 他の忍びは、その拙い運営を素直に受け入れるだろうか?

 引退した先々代の上忍が生きてる家もあるから、彼らの知恵を借りる事は可能だろうが、里の運営が厳しいという状況は変わらなかった。


 ただ、僕にとってこれは、あり得ない程の好機でもある。

 だって若様が大きく変わる事なく、頭領の地位に、里の差配をする立場に就いたのだ。

 なんでも自由にという訳にはないかないだろうが、新しい里のやり方を模索するチャンスだろう。


 若様の苦労を思えば、あまり素直には喜べないけれど……。

 それに、失われてしまった事で改めて思ったが、僕は頭領を恐れていたが、嫌ってはいなかった。

 これまでの浮雲の里のやり方は嫌いだし、その象徴が頭領ではあったのだけれど、里の事を考えて動いていた事は間違いなく、また若様に対してだけは、ちゃんと人としての愛情を持っているところも垣間見えたから。

 僕が生きていく為の障害であるとは認識してたが、嫌いだとか、憎いだとか、死んでざまぁみろだとか、そんな風には思えない。


 いずれにしても、死んでしまった人の事はもういいだろう。

 嫌いではなかったが、悲しみに暮れる程の好意がある訳じゃないし。

 死んだ人は戻らないから、生きてる僕らが動くしかなかった。


 浮雲の里は、それを取り巻く状況も、里自体も、この日を境に急速に変化していく。


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