第6話

 潮の流れが歪んでいる。

 《潮の眼》で視た海は、本来の規則正しい動きではなかった。

 まるで、何か巨大な“塊”が、海底を這い回っているような……そんな感触。


「この逆流、自然じゃない……何かが、海の下で動いてる」


「私も、そう感じています。

 海精霊の声が届きません……今朝から、ずっと」


 シーナの眉がわずかに寄った。


「この感覚、覚えがありますか?」


 俺は首を横に振った。


「……ただ、何となく、ヤバいってのは分かる。

 昨日までの海とは、空気が違う。重くて、どす黒い」


「では、調査に行きましょう。西の入り江に小舟を隠してあります。

 そこから、問題の海域へ近づけます」


 俺は迷いなく頷いた。


 不思議だった。

 たった二日前まで、自分の無力さに打ちのめされていたというのに。


 今は、自分の意思で、危険に向かおうとしている。


 もしかしたら、力を得たからじゃない。

 誰かに“頼られている”からかもしれない。


「案内してくれ、シーナ」


「はい、レン様」


 彼女は足早に森の方へ向かい、俺もその後を追う。


 


 西の入り江――


 そこには、潮風を避けるように崖が張り出しており、外からは完全に見えない入り江が広がっていた。


 その奥に、小ぶりな双胴船が一艘、浮かんでいる。


「……帆船か。しかも魔導推進付き?」


「はい。巫女の儀式用に管理されていた船です。

 今は誰も使う者がいないので、私が手入れしています」


 船体は珊瑚と貝殻で装飾され、波の精霊を象った模様が刻まれていた。

 帆は畳まれ、代わりに船底には魔石の埋め込みが光っている。


「操船できるのか?」


「最低限は。ですが、風の補助があれば、より早く、移動できます」


「じゃあ、俺が“風”を呼ぶ」


 そう言って、俺は目を閉じ、呼吸を深く整えた。


 ――《風の抱擁》。


 契約の力が応じ、俺の内にある“風の道筋”が開かれる。


 瞬間、そよそよと潮の香を含んだ風が吹き、帆がわずかに震えた。


「やはり……あなたは、本物の“波の契約者”ですね」


「そう言われるのにも、そろそろ慣れてきた」


 少し冗談めかして答えると、シーナが小さく笑った。


「では、出航します。

 目指すは西の逆流の中心……この島に迫る、波の異常の核心です」


「了解……いや、任せてくれ」


 俺たちを乗せた船は、音もなく海へ滑り出した。


 波は穏やかだった。



 船は西へ、逆流の方向へと滑るように進んでいた。

 俺が呼んだ風は帆に柔らかく吹き、魔導石が微かに光を放ちながら推進を補助している。


 海は穏やかだった。

 ……表面上は、だ。


「感じるか? この……押し返されるみたいな潮の圧」


「ええ。まるで、海そのものが“拒んでいる”かのようです」


 シーナの声には張り詰めた緊張が混じっていた。


 視界の先、海の色が微かに変わっている。

 深い青の中に、濁った緑が混ざるような、不自然な境界線。


 俺は《潮の眼》を最大まで集中させた。


 視界が変わる。

 水流が可視化され、海底の地形と魚群の動きが浮かび上がる。


 ……そこにいた。


「っ……これは……」


 海底の岩陰に、巨大な影があった。

 ただのモンスターじゃない。

 俺のスキルが本能的に警鐘を鳴らしている。


「魔魚種……しかも、群れだ。最低でも三体はいる」


「この規模……もう少し進めば、島の防壁圏にまで届きます。

 早急に、手を打たねばなりません」


「いや、待て……この流れ……」


 俺は船縁に手をついて、潮の動きを観察する。

 この逆流は、単に“異常”じゃない。


 何かが意図的に、島に向けて“送り込まれている”。


「これは自然災害じゃない。……操られてる」


「えっ……?」


 シーナが目を見開いた。


「この流れ、まるで生き物みたいに波を使って、あの魔魚たちを誘導してる。

 普通ならここまで接岸しないはずだ。餌もない、障害も多い。なのに、あいつらは“行くべき道”を知ってるように泳いでる」


 それは、俺の海民としての勘だった。

 長年潮と共に暮らしてきた、理屈では説明できない感覚。


「……ということは、この潮を止めれば、奴らも引く?」


「可能性はあります。しかし、魔魚の存在を無視して接近するのは危険です」


「じゃあ、やるしかないな」


 俺は海面に片膝をつき、契約の力を集中させた。


「――《風の抱擁・逆潮式》」


 空気が震える。

 風が巻き返し、逆方向に回転し始める。

 俺の意識と連動して、潮の“回路”を切り替えていく。


 海は、応えてくれる。

 俺と、もう繋がっているんだ。


「レン様……!」


「もう少し……もう少しで……っ!」


 手の甲の紋章が熱を持ち、潮の流れが徐々に変化し始めた。


 魔魚たちがざわめく。

 進路を乱し、海中を迷走しはじめる。


「っしゃ……効いてる!」


 だが、そのとき。


 海底が、うねった。


 目を疑うほどの巨大な“何か”が、ゆっくりと動き出した。


「……まだ、いるのかよ……」


 声が自然と震えた。


 そして次の瞬間、海面が爆発した。

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