第2話

深夜。


寺院の空気は冷えていて、蝋燭の灯りも心なしか頼りない。


俺はまた、本堂にいた。誰もいないはずの空間で、神像の前にひざまずく。


高い天井。四方の壁に彫られた神々の物語。マハーバーラタ、ラーマーヤナ。神々の武勇と叡智。俺のような者には、到底届かぬ伝説。


「……どうして、俺には何もないんだ」


声は震えていた。聞こえてくるのは、自分の吐息と心臓の鼓動だけ。


「誰か……聞いているなら、教えてくれよ。俺が、ここにいる意味を」


ただのひとり言だった。誰にも届かない。誰にも響かない。


……はずだった。


 


「アルジュン……」


風のないはずの本堂で、何かが揺れた。


背後から声が聞こえた気がして、俺は振り返った。


けれど、誰もいない。壁には神々の浮彫り。ガネーシャの象面、ヴィシュヌの多腕像、デーヴィの凛とした眼差し。


――そして、中央には、破壊神シヴァの神像。


三つの目を持ち、手には三叉戟(トリシューラ)と太鼓(ダマル)。その瞳は、なぜか俺を見ているような気がした。


(まさか……)


錯覚だ。そう思おうとした。


でも、次の瞬間、俺の中で“何か”が開いた。


 


「ぐ……あ……!?」


頭に激痛が走った。


視界がぐにゃりと歪む。立っていられず、膝をついた。こめかみが焼けるように熱く、胸の奥が脈打つ。


「これは……なに、だ……?」


脳裏に、意味のわからない言葉が流れ込んできた。


――“ナマハ・シヴァーヤ(我、シヴァに帰依す)”


それは祈りの言葉のはずなのに、俺の中で“命令”のように響いた。


「う、うわあああっ!!」


次の瞬間、俺の額が灼けるように熱くなった。


鏡もないのに、わかる。そこに、“目”がある。


第三の目――“トリネットラ”。


 


「アルジュン! 何をしている!!」


ドアが開かれ、光が差し込んだ。


現れたのはマータリヤ神官。松明を手に、怒気をあらわにしている。


「ここは聖域だぞ! 無加護の貴様が夜な夜な侵入など――」


彼の言葉が、止まった。


俺の額を見たからだ。


そこには、確かに“目”が開いていた。赤く、光を宿し、天を見上げるもうひとつの瞳。


「ば、馬鹿な……そんな、ことは……!」


マータリヤの顔が引きつり、後ずさる。


俺は理解していなかった。ただ、体が自然に動く。


右手が、空を切った。


言葉もなしに、手印(ムドラー)が組まれる。


 


――その瞬間。


本堂の空気が爆ぜた。


「うおああああああああっ!!」


マータリヤの叫び声。火が渦を巻き、松明が彼の手から吹き飛ぶ。


空間全体が震え、神像の前に立つ俺を中心に、何かが“現実”を書き換え始めた。


「な……なに、を、した……アルジュン、お前……っ」


だがもう、神官の言葉は届かない。


俺は――俺じゃない“何か”になっていた。


破壊の舞が、始まる。

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