第9話 都市の腸の再起動

 如月ミカが山を下りて数日後、都市では異変が起こり始めていた。


 ミカの沈黙をきっかけに、社会の排泄信仰は急速に形を変えていった。彼女が語らず、祈らず、何も“出さない”まま姿を消したことにより、人々は次第に自らの内に向かい始めた。


 「私たちは、誰かに排泄されていたのではない。私たちが、自分で排泄すべきだったのだ」


 ネット上ではそんな言葉が共有され、「自主排泄運動」と呼ばれるムーブメントが広がっていく。公衆便所には「信仰ではなく排泄を」というポスターが貼られ、家庭では“排泄日記”が流行し始めた。


 一方、街のあちこちに放置されていた“聖なる便器”たちは、次々と撤去され、街の清掃局がそれを「都市の腸を整える再起動」としてリブランディングした。


 メディアは語る──「都市そのものが長らく便秘状態にあったのではないか」と。

 ミカの沈黙と消失が、社会に「出す」という行為の本質を思い出させたのだった。


 そのころ、ミカは静かに暮らしていた。

 郊外のアパートの一室。観葉植物を世話し、質素な食事をとり、たまに図書館へ足を運ぶ。誰も彼女を認識しない。便器の女神は、ただの一人の生活者に戻っていた。


 ある晩、ニュースで“便器解体式”の特集が放送された。

 信者たちが手を合わせて見送る中、大型機械がかつての崇拝の中心を静かに砕いていく。


 ミカはテレビの画面を見つめながら、静かに目を閉じた。


 「これでいい」


 声に出さずに呟く。

 腸の中は静かなまま。それでも、自分の内部には確かに熱があった。


 都市の腸が再び動き始めたように、彼女自身の内側でも、何かが確かに流れ出そうとしていた。


 それは排泄ではない。

 だが、かつて排泄によって世界とつながっていた記憶を、別のかたちで昇華しようとする動きだった。


 静かな革命は、まだ終わっていなかった。


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