第29話 【青嵐からくれないの白と黒】2

「お、おはようございますぅ……」


 橘海斗たちばなかいとは、どこかやつれた様な顔をして力なく頭を下げた。日付が変わる前に寝たつもりだったが、全く眠れた気がしない。

 同居人が一人増えただけで乱された日常は、頻発している夢のせいでさらに忙しいものになっている。


「遅いわよ橘くん! 今回は大目に見てあげるけど、次はないと思いなさい!」

「ひいっ! ぼ、僕、オカルト研究部じゃないのに……」


 高千穂たかちほレンの怒声はいつものことだが、海斗は思わず距離を取って美燈夜みとよの後ろに隠れる。


「何だオマエ、本当に女が怖いのかよ」

「な、何とでも言ってよぉ……」


 海斗は美燈夜を盾にするようにぶるぶると震えている。

 季節は6月になり、すっかり梅雨の時期だ。じめじめとした強烈な湿気の中、オカルト研究部一堂は休日であるにも関わらず東妖とうよう高校の校門前に集められていた。

 バイトがあるという粟島宿儺あわしますくなと、連絡のつかない三毛琴三みけことみは部活には参加していない。レンの幼馴染で幽霊部員だという小鳥遊香取たかなしかとりもいなかった。

 その代わりに、今日は家庭部の橘海斗と──橘家の居候である美燈夜が部活に参加している。要は数合わせだ。部員の参加率が低いと、レンは機嫌が悪くなり部員たちに無茶な要求をするようになる。それを回避するため、かえでに頼み込まれた海斗は、家族や友達を救ってくれた礼も兼ねて、重い腰を上げてオカルト研究部に参加するようになったのだ。

 ただし、正式に入部したわけではない。


「ところで……ずっと聞きたかったんだけどその子は何ッ!?」

「この子は橘くんの親戚で美燈夜くんって言います。怪異に興味があるらしくて……」


 レンの鋭い指摘を受けて楓がぎこちなく美燈夜を紹介する。レンは腰に手を当ててじっと美燈夜を見上げた。


「あなた、うちの生徒じゃないわよね。いくつ?」

「15。既に成人してるぜ」


 美燈夜のトンチンカンな回答は、高千穂レンにとってどうでもいいものらしい。15という年齢を聞いて、東妖高校に進学する可能性を察知したレンはすぐさま快く美燈夜を迎え入れるのだった。


「構わないわ! 我がオカルト研究部の活動をその身で体感して、部活選びの参考にしなさいッ!」


 美燈夜は、いつまでも背中に引っ付いている海斗に振り返る。


「──だってよ。オマエも楽しめ海斗」

「む、無理、無理だよぉ!」


 ガクガクと震えながらかぶりを振る海斗の唇は紫色に変わっており、本当に気分が悪そうだ。その青ざめた顔を見て、美燈夜が心配そうにレンやハクから海斗を遠ざける。

 汐里しおりやサチエから、海斗は家族以外の異性を前にすると拒否反応が出てしまうとは聞いていたが、これほど酷いものだったとは想像すらしていない。


(この怯えっぷり……まるで物の怪にでも憑かれてるみたいだぜ)


 心配する美燈夜をよそに、部長のレンが高らかに宣言した。


「今日はこの区域一帯で、狐輪教こりんきょうについて調べてもらうわ!」

「こりんきょう? って何だよ」


 湿気のせいか、普段にも増して面倒くさそうに鬼原ゴウが尋ねる。見慣れたねこみみヘアーも上手く決まっていない。


「毎日報道ニュースをチェックしなさい! 世間を騒がせてる宗教の名前も知らないなんて──それでもオカルト研究部の最上級生ッ!?」


 ダン! とレンが小さな足で地面を踏み鳴らした。その音にすら海斗はビクついて美燈夜にしがみついてしまう。

 さすがに怖がらせすぎた自覚はあるのか、レンが少しだけ声のトーンを落とす。


「レンちゃんのことだから──その狐輪教って、妖怪と関係があったりするのかしら?」


 鬼原きはらハクが小首を傾げて尋ねる。待ってましたと言わんばかりに、レンは瞳をキラリと光らせた。


「さすがハクね。ここだけの話──いい? ここだけの話よ。狐輪教の信者が次々に行方不明になっているの。それを調べようとした週刊誌の人間や警察の関係者も揃って行方を眩ませた。これはニュースにもなっていないことよ」

「何でそんなことを馬鹿千穂オマエが知ってんだよ……」

「当然! あたしがの人間だからに決まってるじゃない!」


 レンは、呆れた様子でため息をついているゴウのことなどお構いなしといった様子で自信たっぷりに答える。


「いい? だから今回の任務はオカルト研究部始まって以来のスーパーミッションよ! 狐輪教の関係者に気づかれず、学校の先生にも知られることなく怪しい奴が居たら──」

「誰に知られたらまずいんだ?」


 レンの背後からドスの効いた声が聞こえた。その正体は振り返らなくても分かる。副顧問で生徒指導の教師でもある日熊大五郎ひぐまだいごろうだ。


「……と思ったけど、今日は用事が出来たから各自解散。後でRAIINレインにメッセージを送るから、10秒以内に既読しなさい! 絶対よ! それじゃあね──!」


 レンは振り返ることなく脱兎のスピードで楓たちの間をすり抜けていく。日熊に恐れをなしたのか、本当に用事が入ったのか──おそらく後者だろう。

 彼女に声をかけたのは間違いなく日熊大五郎だ。しかし、海斗たちの後ろに立っていたのは……。


尾崎おさき先生に、猿神さるがみ……!?」

「ケケッ、上手かった? 大五郎サンの猿真似〜」


 猿神は喉に指を当てて笑うと、何事も無かったようにハクに飛びついてくる。


「ハクちゃーん、今日はボクとだよネ?」


 猿神の馴れ馴れしい態度に、楓は何か言いたそうにしていたが、すんでのところで言葉を飲み込む。

 ハクに了承を得たとは言え、楓にとっては身の引き裂かれるような思いだろう。粟島家に突入する際の条件としてハクとのデートを要求してきた猿神の希望をのらりくらりとかわし続けてきたようだが、こうして直接乗り込まれては了承せざるを得ない。海斗は同情的な視線を送った。


「楓くん、大丈夫よ。約束したのは私だから」

「で、でもハク先輩……」


 何かを言いかける楓の手を、ハクが優しく握った。


「大好きな楓くんが助けた日吉ひよしくんだもの。何も心配することないでしょ?」


 その言葉に楓の顔が赤く染まる。ハクの後ろで猿神が『単純』と小馬鹿にしたように口パクした。


「行こ、ハクちゃん」


 ハクは、猿神に手を引かれるようにしてその場から離れていく。残ったのは楓、ゴウ、海斗、美燈夜、そして尾崎おさき九兵衛きゅうべえだ。尾崎は腰に手を当てて生徒一同に説教をする。


「いいッスか? 当の本人は逃げちゃったけど……危ないことに首を突っ込んじゃダメだから! そんなことのためにオカルト研究部を許可したわけじゃねえよ、オレ」

「す、すみません……」


 楓が謝罪の言葉を述べる。尾崎は大きなため息をついて蜂蜜色の髪先を指で弄った。


「ただでさえ最近、行方不明の子供が増えてきてるって言うし……くれぐれも軽率な行動は控えてよ。センセイの仕事が増えちゃうんだからさァ」


 ダルそうに言いながらも尾崎は心から子供たちを気にかけているらしい。中身が心配性の豆狸まめだぬきなのだから当然だ。の尾崎九兵衛なら、生徒たちを心配するフリをして素知らぬ顔で女遊びをするところだろう。

 尾崎は、今日の部活は中止! と高らかに宣言をすると、ゴウと楓の肩を抱いた。


「んじゃ、今からドラ猫ちゃんの店メイドカフェ行かね? あそこのオムライス超美味いんだよね」

「休日料金取るぞ」


 ゴウが毒づく中、楓は慌てて海斗たちに振り返る。


「ごめん二人とも、せっかく来てもらったのに」

「気にするな。オレ常夜香果トコヨノコノミを探さなきゃならねーからな。ほら……いつまでくっついてんだよ海斗」


 美燈夜は海斗を引き剥がし、片手をぶんぶんと大きく振って楓たちを見送った。異性が離れたためか、次第にようやく海斗の動悸も収まってくる。


「はあ……」


 胸を押さえてため息をついていた海斗は、美燈夜がどこか険しい顔をして辺りを見つめていることに気づいた。


「どうしたの、美燈夜」

「いや、誰かに見られているような気が……」


 美燈夜は腰の刀に手を伸ばしながら呟く。海斗は慌ててその手を押さえた。


「ぬ、抜いたらダメだよ!? 警察に捕まっちゃうから!」

オレを誰だと思ってンだよ? けど、まあ……オマエが言うなら従ってやるか」


 美燈夜は意外と大人しく柄から手を離し、海斗の手を握る。


「まだ怖いか?」

「怖くないよ。もう女の子はどこにも居ないし……」


 海斗は、はあっとため息をついて苦笑する。目の前にその異性が居るのだが、海斗は全く気づいていないようだ。


「ごめんね。自分でもどうしてこんなに女の子が苦手なのか分からなくて。何か、どんどん酷くなってるんだよね……最近」


 海斗はそう言いながら、レンやハクが立ち去った方向を見つめる。よっぽど怖かったのか、長い前髪から覗いた瞳には涙が浮かんでいた。


「おかしいよね……」


 苦笑気味に呟いた海斗の言葉尻が震えている。そんな海斗を見つめてしばらく黙っていた美燈夜は、ふと何かを思いついたように口を開いた。


「海斗、オレをどこかに連れて行け」

「え?」

「気分転換がしたくなった。オレを楽しませろ」


 この同居人は、突然妙なわがままを言い出すところがある。海斗は困ったように眉を寄せた。

 美燈夜を連れて行ける場所は限られている。アニメショップにゲーム屋……これは海斗が行きたいだけだが。

 ふと宿儺の顔が脳裏を過ぎた。彼は一人暮らしだが、週末は実家に帰っている。今日はアルバイトの日だと聞いているが……。


「宿儺くんの家に……遊びに行く?」


 海斗が問いかけると、美燈夜は子供のような顔をして嬉しそうに頷くのだった。

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