初恋はプールサイドで【試し読み版】

逢坂海荷

第1話

 机に突っ伏す背中にはひんやりと冷気が当たって気持ちが良い。俺の座る場所は教室の一番後ろの中心で、教室後方の天井に付いているエアコンからの風がよく当たる位置だ。ノートで煽がなくても、エアコンが四時限目の体育で火照った俺の体をクールダウンしてくれる。中にはエアコンの風が苦手という奴がいるが、そんな貧弱なやつは保健室にでも籠っていれば良いのだ。


「お、大野くん」


 んだよ。もう少しで寝られたっていうのに。


「あのー、先生が呼んでて」


 先生が? ああ、どうせ俺が何をしたか知らんが、どうせお叱りだろう。そんなもん行かなくても問題ない。どうせ帰りのホームルームが終わったら呼び出されるから、それで良いだろう。


「大野くん?」


 顔を上げるとクラスの男子学級委員が怯えた目で俺を見下ろしていた。

 確かに俺の顔は怖い。よく上級生からは、睨んでもないのに睨んだと勘違いされて取っ組み合いになることも多かった。そんな風に月に一度は喧嘩事で問題を起こしてきたせいで、同級生からは距離を置かれ始め、ヤンチャなグループに声を掛けられることが多くなった。

 そもそも人が嫌いなのだ。ヤンチャグループに入っても、抗争、先輩へのゴマスリ、付き合いのタバコと結局人付き合いが面倒になり、数ヶ月で集まりに顔を出さなくなった。


「何だよ」

「先生が職員室来いって言ってたよ」

「どうせ担任のババアだろ? あんな奴ほっとけばいいんだよ」

「い、いやあそうじゃないんだ。今回は」

「そうじゃない? じゃあ誰なんだよ」


 俺が学級委員を睨め上げると、学級委員は口籠もってから「川口先生」と答えた。

 川口は学年主任の先生だ。保健体育を担当している川口は生徒指導もしているせいか、捕まるとかなり面倒くさい。前に五日連続遅刻してきた時にも呼び出されたが、そのときは俺が謝るまで一時間はみっちり叱られた。昔は暴力を使って生徒を指導していただけあってか、あいつはこっちが納得するまで容赦がないのだ。

 つまり、中学二年生の中では一番面倒くさい相手だ。


「川口か……ほっとくとさらに面倒なことになるな。仕方ねえ、行くか」


 廊下に出ると、生温かい空気が俺を包んだ。

 ああ、暑い。めんどうくさい。大体、そっちが用あるのなら、俺が行くんじゃなくてそっちから迎えに来いよな。

 昼休みが終わる十分前、職員室の前に着くと、川口が扉の前に立っていた。


「よう、来たか大野。ちょっと付いて来い」

「……うす」


『進路相談室』と表札に書かれたその部屋は長机とパイプ椅子が置かれており、壁際にある棚には高校に関する資料がずらりと並べられていた。

 川口から腰を掛けろと指示された椅子に座ると、川口は長机を二つ挟んで俺の向かいに座った。


「さて大野。今日はどうして呼び出されたか分かっているか?」

「さあな。特に悪いことしてねえけど、どうしたってんだ?」


 川口は「お前なあ」と溜息を一つこぼした。


「英語の授業のとき、山形先生のこと泣かしただろ」


 昨日、英語の授業で寝ていると、その日は珍しく山形が注意をしてきた。フルシカトしてそのまま寝ていると、身体を揺すって起こしてきた。少々ムカついた俺は山形と口論すると、次第に山形は泣いてしまったのだ。


「あ? ああ、そんなこともあったな」

「そんなこともあったなって……。謝る気はないのか! お前は!」

「だって俺誰にも迷惑かけるようなことしてねえし。あいつが俺のこと注意せずに、そのまま授業していれば良かったんだよ」

「山形先生はなあ、お前のことを思って注意しれくれたんだぞ?」

「それを余計なお世話っていうんだよ」


 バン! と川口が机を叩いて立ち上がり、俺のことを見下ろす。


「いいぜ殴っても。でも今の時代、殴ったらお前の首があやしくなるけどな」

「心配すんな。もし反省しなかったときのために、お前に特別なペナルティを与えることが先ほどの学年会議で決定したんだ」

「ペナルティだと?」


 川口は「ああそうだ」と頷く。


「明日から来週の金曜まで昼休みにプール掃除だ」

「はぁ? プール掃除なんかやるわけねえだろ」

「やらなかったら全教科の内申点を最低にするが、それでも良いのか?」


 大して勉強をしなくても、昔からそれなりに勉強はできていた。テスト前に一度教科書を読み込めば大体の内容は頭に入れることが出来ていた俺は内申点も中の下を維持していた。親戚の家にお邪魔している俺にとって高校は公立の高校に行くことが必須なので、内申点がここで落ちるのは正直まずい。


「汚ねえやり口だな」

「お前が普段から真面目に学校生活を送っていればこんなことにはなってないんだ。少しは反省しろ」

「俺はやらねえぞ。掃除だなんて面倒なこと」

「黙れ。明日、給食の時間が終わったら体操着で更衣室前まで来い。他の仲間とか呼んでくる必要ないからな」

「ふん。呼ぶようなダチも別にいねえよ」

「とにかく明日から来いよ」


 これ以上のペナルティは少し面倒なことになりそうだ。かなり面倒だが、ここで一つ罪を受け入れておけば、先生たちの溜飲も下がるだろう。

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