出立
「おとう、やっとうの稽古をしよう。」
「おう、やるか。」
桃は野良仕事が終わると、おとうにそう言い、いそいそと家に戻っていった。
桃が家に来て十年の歳月が経っていた。
額の汗を野良着で拭い、老爺はお天道様を仰いだ。
いや、もう老爺ではなかった。
この十年、老夫婦にとって不思議なことの連続だった。
まず、桃を育て始めた日から、老夫婦はどんどん若返っていった。
桃に初めて乳を与えた日の翌日、目を覚まして粗末な布団から体を起こすと、ぼんやり煮炊きをしながら赤ん坊を背負っている婆様の姿が見えた。
いや、婆様ではなかった。どこぞの奥さんが家に来て料理をしているのだと思った。
婆様が近所の奥さんに、もらい乳でもしたのか思って、
「おはようごぜえます。うちの婆様はどこさ行きました?」
と声をかけると、女性がひょいと振り返った。
「何ゆうとう?ここにおるさね。」
振り返ったその顔を見て、二人は仰天の声を上げた。
見知らぬ顔が目の前にあった。いや、見知らぬ訳では無かった。はるか昔に見た、若かりし日のお互いが目の前にあった。
呆然としながら朝食を食べつつ話をしていると、お互い、腰痛も膝の痛みも虫歯も、綺麗さっぱり無くなっていた。弛んでシワが刻まれていた肌が、張りのあるみずみずしい肌に戻っていた。婆様に至っては、どうやら月のものが戻って来たらしい。
結局二十代ごろの姿に戻った夫婦は戸惑いながらも、桃の世話を気軽にできる年齢になった事を喜んだ。これが一つ目の驚きである。
二つ目は、桃の成長だった。生まれて三月も経つ頃、朝目が覚めると、桃はもう掴まり立ちをしていた。お乳もひっきりなしに欲しがって、せっかく若返ったのに、婆様はヘトヘトになってしまった。幸いすぐに身体が出来上がったので試しに離乳食にすると、何の抵抗も無く受け付けた。
しかし今度は食事の用意が大変だった。あげてもすぐにお腹が空くし、体はどんどん大きくなっていった。これが二つ目の驚きだった。
二年も経つと、もう外を走り回っていた。言葉の覚えも早く、どうやら普通の子供のニ倍の速さで成長している様だった。身体がしっかりしているので、試しに畑の耕し方や薪の運び方を教えると、大人顔負けの仕事をやってのけた。
お陰でこの何年か、畑の収穫量もあがり、山から持って帰る獲物の量も増えた。増えた分、桃が食ってしまうのだが、少なくとも夫婦が生活に困ることは無くなった。これが三つ目の驚きである。
もと老爺は、畑の近くの木の根に座り、我が身に起きた変化をしみじみと思い出していた。
最初は村の衆から気味悪がられたが、桃のことを話すと長老が、
「山の神さんの、ご加護かのぅ……。」
とつぶやいた事で、皆納得した。
桃は山の神様が村に授けてくれた宝だと言う事になり、暖かく村の一員として迎え入れられた。
実際、村はここ何年か疫病もなく豊作が続いていた。他の村々が旱魃や飢饉で苦しんでいるときも、この村は比較的被害は少なかった。
「おとう、やろう。」
いつの間にか戻って来ていた桃は、父親に木刀を差し出すと、ガシャガシャと具足の音を響かせながら、数歩離れた立ち位置に移動して、木刀を構えた。
七歳を超えたあたりで、桃の成長は目に見えて遅くなった。だがその時点で、もう一人前の大人の体つきをしていた。十歳を迎えるにあたりすでに成人男性と変わらぬ背丈なうえ、骨太で筋肉質な桃の一撃を、真っ向から受け止めることは父親にはできなくなっていた。
それでも、剣の稽古をつけもらいたいらしく、苦肉の策で考案したのが、重い具足をつけた上での模擬戦だった。
正直、もう桃に膂力で勝てる気がしない。桃の力は大人どころか、常人のそれを超えていた。だが、剣術で負けるのは、父として、男としての矜持が認めたく無かった。
一見だらりと隙だらけの構えをして、老爺の方から間合いを詰める。力の強い桃相手に下がっては不利になる。それに、隙を誘うにはこれが一番だ。
老爺は若かりし頃、村の若衆の中でも飛び抜けて喧嘩がうまかった。その才能を買われ、近くの領地争いに駆り出された。
激しい戦いの中で意気投合した腕の立つ武士と身分の差を超えて友情を育み、剣術を教えてもらった。武士が勢力を伸ばしていく中で直属の配下に取り上げられたが、その武士は、とある戦いで非業の死を遂げた。
武士の一族から引き留められたものの、友人を救えなかった事を悔いた老爺は刀を置き、農民として静かに余生を過ごすつもりだった。
そんな中、若返って持て余した体力を発散するために薪雑把を振るっていると、不思議そうに見ていた桃が、「おとう。面白い。教えて。」と言って来た。
そして今に至る。
桃は、正眼の構えから細かい足捌きと共に鋭く突きこんできた。具足のせいで鈍重な動きだが、膂力と合わせてとんでもない重さの一撃になっている。身体を当てて、力でねじ伏せるつもりなのだろう。
若いなぁと思いつつ、老爺は切先を跳ね上げ半身で桃の一撃を流す。強力な一撃だが、避けられるとその分制動が効かず、桃の体は老爺の前を泳いでしまう。その一瞬を逃さず、老爺は刀を返して柄尻で桃の額を叩く。
迎撃されたことで桃は体勢を崩し、横倒しになりそうになる。
老爺はそれを眼で追いながら、せっかく若返ったんだからもう少しだけ優越感を味合わせてくれよと思った瞬間、桃の鋭い視線にぶつかる。
まずい!と思って咄嗟にのけぞると、たったいま頭があった空間を、桃の木刀がものすごい速さで駆け抜けていった。
結果的に桃は地面にズシンと重そうに倒れ込んだが、老爺は背中に走る久々の寒気に、引き攣った笑顔を浮かべていた。
こいつ……力で無理やり刀の軌道を変えて、正確に急所を狙ってきやがった……。
もうとうの昔に引退した老爺では、桃の稽古をつけてやる事はできそうに無かった。
今夜は婆様に慰めてもらうかと思いながら、老爺は息子が立つ手を貸してやった。
桃は老爺から免許皆伝を言い渡された数日後、野良仕事の合間を縫って山の中を駆け巡っていた。彼にとっては運動程度の物だったが、側から見れば、猿が木々の間を枝から枝へ飛び回っている様な光景だった。
風のように林の中を飛び回りながら、ふと、視線を下に目を落とすと、木々の隙間をぬった遥か向こうの開けた場所で、村の子供達が手を繋いで遊んでいるのが見えた。そこは祠があり、子供たちの定番の遊び場だった。
桃は高い木の上で足を止め、その姿を寂しそうに見つめる。
どうして自分は、あの輪に入れないのだろう。
おとうにやっとうの稽古をつけてもらっていたのは、そうでもしないと遊んでくれる友達がいなかったからだ。
同い年の友達など、できるはずもなかった。身体機能も思考も、同年代の子とは全く違った。よしんば、体つきが似通った年上の子に混じろうとしても、桃の方が圧倒的に力が強く、力加減の失敗で相手に怪我をさせてしまって以来、子供達と遊ぶ事はやめてしまった。
小さい子たちの面倒を見る事は構わなかったが、桃が甘えられる相手はどこにもいなかった。
大人たちは桃を大切にしてくれるが、どこかよそよそしさがあった。無理もない。桃は山の神様の「贈り物」なのだ。粗末に扱うわけにいかなかったのだろう。
おとうもおかあも大好きだった。しかし桃は孤独だった。自分だけが違う世界で生きている事に、ずっと納得できなかった。
むしゃくしゃして、また木々の間を飛び回り始める。もっと早く、もっと速く。
何が山の神様だ。オラに何の意味があるのか。畑を耕し、村を守るだけならば、こんな力、必要無ぇでねぇか。
モヤモヤしたものが浮かんでくるたびに枝を掴むを速く動かす。鬱憤を吹き飛ばすためにがむしゃらに進んでいるのに、頭の中はどんどんグチャグチャになっていった。
見誤って腐りかけの枝を掴んだ。途端にボキッと枝が折れて、桃は勢いよく空中に放り出され、そのまま地面に背中から落ちた。その気になれば宙返りをして足から降りれたが、今日はその気になれず、そのまま落ちてみた。
普通の人間なら骨が折れてもおかしく無い高さから落ちたのに、背中の皮膚が少しヒリつくくらいだ。
オラは一体、何なんだろうと思いながら、空を覆う木々の隙間から漏れる木漏れ日を見つめる。
「桃が木から落ちたわね。」
軽やかな笑い声がして、桃はガバッと身を起こした。辺りに人の気配などなかったはずなのだが。
三間ほど向こうの木の根元に、一羽の鳥がいた。薄茶の地に濃い焦茶色の規則正しい斑点模様が入っている。おとうが鳥の種類を教えてくれたが、これがウズラだったかヤマドリだったか思い出せなかった。
「残念、キジよ。」
とその鳥はしゃべった。いや、しゃべったというより、声が頭の中に聞こえて、桃は身構えた。こんな事をするのは魑魅魍魎の類だと思った。
「酷いわね、あたしがそんなに怖い物に見える?」
どうやらこちらの考えている事は筒抜けの様だった。慎重に距離をとりながらいつでも飛びかかれる態勢をつくる。
「嘘つくでねぇ。キジは派手な赤い頭と緑の鳥だ。」
ほほほほ、とまたしても軽やかな笑いが聞こえて、何となく桃は警戒をといた。一向に敵意を感じないし、キジの声が気の抜けた若い女の声だったから、何となく毒気を抜かれてしまった。
「残念、それはオスのキジよ。ねぇ、隣にいってもいいかしら。お館様から伝言があるの。」
そういうと、キジは桃の返答などお構いなしにスタスタと近づいて来た。あぐらをかいて座る桃の足元に来ると、木の根の上でうずくまった。
「お館様がそろそろ桃に、鬼を退治して欲しいんですって。」
キジは鳥らしく辺りをキョロキョロと見回しながら、桃に伝言を伝えた。
桃は突然の内容に目を瞬かせると、
「オヤカタサマとは誰だね。」
とキジに聞いた。
聞いたことの無い名前だった。神社や武士を、大人が〇〇様と呼ぶのは知っていたが、「オヤカタさま」という名前には聞き覚えがなかった。
「お館様はお館様よ。何も知らないのね。」
キジは呆れた様な声を上げながら毛繕いをしていた。
桃はその様子を見ながら、キジの言葉を反芻していた。鬼退治とは何だろうか。何年も前から大人たちが「ミヤコで鬼が暴れている。」と言う噂をしていたのは聞いていた。
しかし、ミヤコが何なのかいまいちピンと来なかったし、鬼も村の語り部が話す昔話に時々出てくる悪い奴で、奉納神楽で時々鬼の面を被った踊り子が踊る事ぐらいにしか認識していなかった。
「お館様は、鬼は退治しなきゃいけない、
そこまで聞いて、桃は何となく理解した。
「……お館様とは、山の神様の事か。」
「そうね、ヒトはそう呼ぶみたいね。」
キジは事もなげに答えた。
桃の中で色々な事が合点がいった気がした。そうか、俺は鬼退治をするために、神様に遣わされたのか。
だから過分に強い力と身体を持っていたのか、と自分の存在意義を改めて認識できた。どおりで普通の人と違うわけだ。オラは異形のバケモンと戦うために生まれて来たんだ。だが同時におもう。化け物と戦えるオラも、化け物なのでは無いのか。
「貴方は人間よ。ただお館様を通して、お山から力を分けてもらってるだけ。安心して。」
キジは立ち上がるとひょこひょこ数歩進み、改めて桃に向き直る。まっすぐ桃を見つめながら、
「渡すものがあるの。大切なものだからちゃんとして。」
と桃に姿勢を正すよう促す。
何となく逆らい難くて、桃はその場で正座した。おかあに説教されている様な気分になり、居心地が悪かった。
いい子ね、とキジは呟くと、キジの周りに火が灯った。火は瞬く間に渦を巻きながら燃え上がると、あっという間に大きな炎の渦へと姿を変えた。正座した桃の視線よりも高い位置まで炎が達すると、赤く燃え上がる渦は瞬く間に消え、その中から巫女の格好をした髪の長い女が現れた。
巫女自体は旅芸人が演じているのを見た事があった。だが、こんなにも美しい本物の巫女を見たのは、これが初めてだった。
頭には金の飾りの付いた冠を乗せ、顔は白い透き通る様な肌に鮮やかな朱の紋様が浮かんでいた。
巫女は両手に恭しく朱鞘に収められた一振りの太刀を持っていた。そして一礼するとそれを桃に差し出して来た。
「『
そう言うとにっこりと笑った。
桃は呆然としながら、太刀と巫女の両方に視線を彷徨わせていたが、巫女の顔を見つめると、
「おめ、そったら綺麗ぇな顔してただな。オラ驚いちまった。」
「あら、ありがとう。お世辞が上手ね。」
と、まんざらでも無い表情を浮かべると、はいどうぞと太刀を押し付けて来た。
「オラ、嘘はつかねぇんだ。」
すごい太刀をもらっているはずだが、太刀よりも巫女の方が気になって仕方なかった。呆然と巫女を見つめながら、太刀を腰巻きの隙間に捩じ込む。
「さて、私は帰るわね。」
役目が終わると、巫女は回れ右して去ろうとした。
「ちょ、ちょと待て。オラはこれからどうすれば良い?」
太刀だけポンと渡されて、はいそうですかと言えるほど単純な話では無いはずだ。何か具体的な方針を教えて欲しかった。
「とりあえず、ご両親に話して都に向かいなさい。迷ったら私が時々現れて導いてあげる。」
キジは欠伸をしてくるりと回ると、次の瞬間には茶色に鳥の姿に戻っていた。
「そうそう、後からお供を二人連れてくるから仲良くしてね。あいつらちょっと、頭は弱いけど。」
二、三度羽を広げて、身体を確認すると、キジはチラリと桃の方を見た。
「またね。」と言ってキジは空に飛び去り、あっという間に木々の向こうに消えてしまった。
キジの羽が一枚ひらひらと落ちてくる。桃はそれを空中で掴むと、名残惜しそうにそれを懐にしまった。
桃は家に帰って、早速今日の出来事をおとうとおかあに話した。二人とも熱心に聞いていたが、そのうちおとんは腕を組むと、うーんと唸る。
「わからん。
と言っておとんは出かけてしまった。
おかあは、あれまあどうしたもんだいね、とアタフタしながら奥の間に引っ込んでしまった。
囲炉裏の横で一人取り残された桃は、朱鞘の太刀を持ち上げ、鍔を押して刃を引き出す。スラリと現れた白銀の刃は囲炉裏の火を反射し怪しく光る。切先を天井に向け、目の前に持ってくると、一瞬息を呑むほどの輝きに桃は見惚れた。
すると、土間の引き戸が開いて「おう、帰ぇったぞ。」と、おとうが村の衆を連れて帰って来て、太刀をギラリと構える桃に驚いて多少騒ぎになった。
太刀をしまい、皆が落ち着いたところで、もう一度キジに聞いた話をすると、
「この村のモンは山の神様のご加護があるでぇ、あまりわからんじゃろうか、この数年、他の村は酷い有様じゃそうな。
都は鬼の一派がのさばり、護国のための儀式が行えず、地脈が弱っとるじゃ。作物は育たんし、獲物も取れん。治水が乱れ、人心が惑いよる。
鬼に献上せねばならんから、お上は民草から重い税を取る。するとまた、村が苦しくなる。
その繰り返しじゃよ。古い知り合いが、どんどんいなくなる。このままにしてたら、いずれこの村にも災いが降り掛かろうて。」
村の代表たちは黙りこくると、皆、神妙な顔で考え込んでしまった。桃を送り出さねばならないが、桃がいなくなると自分たちの身が危ないのでは無いかと怯えているのだ。
中々結論を出そうとしない村人に、桃は段々と腹が立って来た。義侠心では無い。やっと自分の存在意義ができたのに、それを止められてしまうかもしれないからだった。
だが、おとうの立場を考えると、村の総意は無視できなかった。自分の意見が言えず悶々としていると、
「桃は村の宝だ。桃も自慢の怪力で村のために尽くしてくれた。でもな、それは山の神様が、この国を良くするためにご用意なすったものだ。それをワシらの私欲で止めるのは、罰当たりというもんじゃ。」
村人たちは互いに顔を見合わせ、まあ、そうじゃのう……と、渋々だか賛同してくれた。桃は心の中で村長に感謝しながら、話の続きに耳を傾ける。
「それにの、しばらく前にお上からお沙汰あったんじゃが」と
と言うと、村人はおおっと喝采をあげた。
村人の現金さに呆れながらも、桃は、まあ、これでおとうに迷惑をかけず出立できると思い、とりあえずは胸を撫で下ろした。
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