新説 桃太郎 〜桃鬼羽切哀歌〜
taktak
誕生
「……あんれ?おめさ、そげな大きなもん、どないしただ?」
老爺は、婆様が洗い桶に入れて持って来たその大きな丸い物体に目をパチクリさせた。一抱え程もあるその無骨な丸い物体を、はぁはぁ言いながら家に運び込むと、よっこいしょと板の間の上に置いて溜息をついた。
「はぁ、重いこと!茂助が
額を拭いながら、出稼ぎに行ったきり、たまにしか家に帰ってこない放蕩息子の昔を懐かしむ。
老爺は、婆さんがまた変なものを拾って来たぞと、心うちで呟き眉を顰めた。たまに掘り出しモンをめっけてくることもあるが大概はガラクタで、老爺は婆様の収集癖に辟易していた。
とは言え値打ちものなら生活の足しになるので、老爺は婆様が持って来たものを期待して覗き込む。でも次の瞬間にはガックリと肩を落とした。
「……おめ、こりゃなんだい。ただの石でねぇか。」
無骨な見た目の、丸い石だった。真ん中に線状の切れ込みの様な凹みがあるが、質感としてはザラリと固く、叩くとカツカツと音がした。唯一予想外だったのは、見た目に反して、叩くだけでコロコロと揺れるので、思っていたよりも軽かった事だけだった。
「こりゃ、桃だべや。爺さん、好きやろ。」
洗濯物を移し替えながら、婆様が老爺に言った。
これを聞いて老爺は怪訝な顔になり、いっそう眉を顰めた。とうとう婆様が呆けてしまったかと思い、本気で心配になって来た。
「何言っとる、こげな桃、ある訳なかろう。」
「よおく匂いを嗅いでみぃ。桃のいい匂いがすっぺよ。」
老爺はますます変な顔になりながらも、婆様が言う通り、それの匂いを嗅いでみた。
確かに今まで気が付かなかったが、石から少しの酸味とフルーティーな甘みを彷彿とさせる、桃の香りが漂って来た。
「洗濯さしてたら、川上から流れて来ただよ。きっとでっかい桃が流れに揉まれているうちに、泥や砂でそうなったんだべ。なあに、綺麗に洗い流せば、食えるに違ぇねぇべ。」
婆様の短絡思考にあきれ返りながらも、老爺は内心舌なめずりした。この土地で桃は貴重品だ。山で偶然見つけでもしない限り、農夫の懐事情には贅沢品だった。
多少痛んでようが、口いっぱいに広がる果汁を想像して老爺はワクワクしていた。
そうと決まると、婆様が洗濯物を干している間に、老爺は甕の水を使って藁で石の様なそれをゴシゴシと擦り始めた。
しかしどれだけ擦っても石がなくなる気配はなく、いろいろ試して四苦八苦するもダメだった。疲れて休んでいるところに婆様が戻ってきて声をかける。
「あんれ、ダメかい。」
「ああ、ヤスリで擦ってみたが、ビクともせんわい。」
「ほんじゃあやっぱり割らんとダメかね。」
んだな、と言って老爺はナタを持ち出して来た。随分刃こぼれして切れ味は落ちていたが、いっそ金槌がわりになるだろうと思い、老爺は力を込めて石の凹みに向かってナタを振り下ろす。
カキーンと金属同士が打ち合う音が響いたかと思うと、ナタはポッキリ折れて老爺の後ろに飛んでいった。
あれま、と驚きの顔をしてナタの軌道を追っていた老爺の耳に、パキパキと何かが立て続けに割れる音が聞こえる。
老爺が振り返って石を見ていると、先ほど叩いてヒビが入った所から、徐々に亀裂が広がっていく。しめた、と思う反面、亀裂が広がるにつれて、何やら気味の悪い音が石の中から響いてくる。
老爺は顔色をなくし、じっと石を見つめていた。婆様も心配そうに近づくと老爺の肩越しに隠れながら事態を見守る。
やがて、一瞬亀裂が広がるのが止まった様に静まり返った後、石はごろりと真っ二つに割れた。割れた破片は胡桃の殻の様な見た目で、内側は確かに桃の様な柔らかくてみずみずしい何かが内張をしていた。
そして、転がった破片の一方、みずみずしい内張の上に、赤ん坊がうずくまっていた。
二人はポカンとした表情を浮かべ呆けていた。二人とも完全に状況が理解できなかった。
何で赤ん坊?顔を見合わせる二人は、互いが同じ事を考え、同じ様に訳がわからなくなっている事を確認しあった。
赤ん坊が呻いた。二人が視線をそちらに向けるや否や、赤ん坊は泣き声をあげ始めた。二人は混乱した頭であたふたと赤ん坊に近づいた。覗き込むと、それは間違いなく、人間の赤ん坊だった。
婆様が手慣れた手つきで赤ん坊を抱き上げる。よしよしとなだめながら老爺に戸惑った視線を向けるが、老爺にしても首を傾げるしかない。
婆様が不意に変な顔をした。何かに戸惑っている。
どうしたっ?と老爺が尋ねると、婆様は戸惑った表情のまま、おもむろに着物の胸元を開いた。
「お前……何を……?」
婆様は、赤ん坊の口元に自分の乳房を近づけると、赤ん坊は弱々しい手を伸ばして自ら吸い付く。
「馬鹿な?お前が……?」
と言いかける老爺に、婆様がふるふると頭を振ると、
「お乳が……出ます。」
と言って困惑したまま、愛おしそうに赤ん坊に授乳し始めた。赤ん坊は腹が膨れ始めると穏やかな顔を浮かべ、それでも中々婆様の乳房を離そうとしなかった。
老爺も婆様も、何が何だかわからなかった。
これが「桃」と名付けられた少年が、この家に来た第一日目の出来事であった。
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