6
龍彦と龍樹は、リビングに移動した。寝入りの静音の脇で話すのが迷惑になると言うだけでなく、静音にできるだけ現状を知られたくない、という事もあった。それは、あくまで、久我山が静音を保護している、と言う建前を崩さないためだ。静音のあの性格なら、詳しく知れば知るほど、作戦に深入りしてしまう。万が一、静音を九曜に奪還され、そのあとで、自分たちの作戦に協力していたと知られた場合、静音の安全を脅かす可能性があるのだ。龍彦も龍樹もそれだけは絶対に避けたいと考えていた。
「九曜邸内で、大規模な人事異動がありました。柊静音奪還計画のためです」
「彼女が久我山にいるということは、漏れているのか?」
「いえ、それよりも先に、内通者がいるのではないかという詮議に入っているようです」
「そうだろうな」
厳戒態勢の九曜家邸内から、人一人を内通者なしに攫うことは非常に難しい。不可能と言ってもいいくらいだ。だからこそ、九曜家は内通者の洗い出しを急ぐだろう。内通者さえ判明すれば、後は芋づる式に、静音の行方がわかる。
「今疑いがかかっているのは?」
「彼ではありません。ですが……」
「誰かには嫌疑がかかっているんだな」
「久我山まゆらです」
「まゆら? 九曜邸内にいたのか?」
久我山まゆら。それは、龍樹の実の妹だった。もう、十年も行方不明で、生存を絶望視されていた、久我山家唯一の姫。
「日色奏に保護されていたそうです」
「日色、奏。日色家の筋か」
「次男ですね。龍彦兄さんは、一度会ったことがあると思います。静岡の一件です」
静岡の一件とは、先の潜伏先を九曜の精鋭に急襲されたときの話だ。大した被害こそ出なかったが、圧倒的な戦力差で、苦戦を強いられた事を思い出す。
「髪の長い、メガネをかけた男がいたでしょう」
「ああ、あの目つきの鋭い」
「あの男です」
龍彦は、日色奏がどのような顔立ちをしていたかを、思い出す。
――あの男か。
どちらかというと痩せ形の、刃のような男。確かに、メガネをしていた。
――メガネ?
『あと、メガネをしてます』
静音の、言葉を思い出す。
――あの男か?
年の頃は釣り合う。情報が正しければ、日色奏は二十代の筈だ。
実は、あの強襲の場に省吾も参加していたのだが、当時は叶はめがねを外していた。
なぜなら、省吾は平生からコンタクト着用で、メガネは伊達メガネだっただからだ。
このメガネ自体は学生の頃から使用しているものではあったが、現在は不要な品だ。それでも伊達めがねとして使用しているのは、コンタクトに切り替えた省吾を、「なんだか省吾さんじゃないみたい」と静音が評したのがきっかけだった。
だから、静音の目に触れぬ任務遂行時は、メガネを保護する意味もあって外してしまうのだ。
勿論、こんな理屈を龍彦は知らない。
――彼女のイメージとは合わない男だな。
そんなことを一瞬考えた。
「兄さん?」
「あ、ああ。まゆらが無事だったのは、良かった。静音ちゃんを連れてくるタイミングで知っていれば、一緒に連れて来ることができたのに、間が悪い」
「そう思います。次は、彼女に協力して貰ったとしても、無事脱出できるかはあやしいですから」
彼女。それは、九曜歩のことだった。
九曜歩は、九曜家当主九曜司の正妻だ。歳は二十七。龍彦とそう変わらない歳で、珠子という娘がいる。本来は、占卜の名家六堂家の娘で、九曜家が六堂家を傘下におさめたとき、九曜剣の妻にと差し出された娘だ。しかし、九曜司が気に入ってしまい、前妻の綾子を正妻から降ろし、後妻として迎えたのである。今、司は九十を越え、珠子は十。結婚から出産まで約二年かかっているから、七十過ぎの老爺に十五の娘が娶せられたことになる。
歩は、珠子を生んだ頃から言動があやしくなっていき、発狂したという噂だった。九曜邸内部奥深くに半幽閉されているはずなのに、九曜邸外部で彼女の姿を見たものが後を絶たないという。
龍彦が、そんな歩に出会ったのも、九曜邸内部ながら、随分中心から離れた地下道だった。
九曜邸の設計を行ったのが久我山であったが故に、久我山は、九曜邸の内部構造について九曜よりも遙かに詳しい。だから、中心部の重要エリア以外であれば、準備さえ整えれば潜入はさほど難易度の高いことではない。
この日も、龍彦は九曜邸への潜入を試みていた。
噂で、久我山の生き残りらしき人物が、九曜邸内で生存しているという情報を得たためだ。
光も射さぬ地下道。それを、龍彦は足音を殺して走っていた。
明かりはつけない。龍彦は感覚で、周囲は見えなくとも、自身がどこをどう走っているかをわかっていたからだ。
もうすぐ母屋というとき、目の前に白い燐光がまたたいた。
燐光は次第に大きくなり、白い人型をとる。
人の形をした燐光は、女性の姿をしていた。薄い青の着物に、白地に蝶の縫い取りのある帯。
「……王子様?」
人影は、龍彦には意味不明な言葉を発した。
「お姫様をお捜しかしら……? それとも、囚われの蝶?」
龍彦は、目前の女性が人間に見えなかった。怪異か幽霊の類か。
表情の動かない端整な顔立ちは、更に人離れした印象を加える。ふわふわと漂うように立ち、そのたびに燐光がこぼれる。
「わたしは……蝶なら知っているわ。青ざめた、かわいそうな蝶」
くすくすくす。女性は笑った。
「巣にかかって、明日には、翅をもがれてしまうわ。人魚のように声を奪われて」
龍彦は、目の前の女性から狂気を感じた。それも、奥深くにうごめく呪いのような狂気だ。
「貴方が連れで出してくれるなら、蝶をここへ連れ出してあげる」
「蝶って、誰のことですか?」
たまりかねて、龍彦は尋ねた。この女性が敵なのか否か。味方がこのような出現をするはずもなく、とはいえ、敵にも見えず。
「私と同じ……天と地に見放されたものよ」
その次に続けられた言葉に龍彦は我が耳を疑った。
「私は、歩。蝶とは柊の《神木の巫女》静音」
歩は、くるりと背を向けた。
「貴方から流れてくる匂いと、同じ匂いがする者を、引き渡して上げる。明日もここへいらっしゃいな」
その言葉だけを残して、燐光が霧散すると、女の姿は消えていた。
龍彦は来た道を引き返した。計画にイレギュラーがあった場合、引き返しても支障がないなら、引き返す。それがセオリーだった。
拠点となっていた古い民家に帰り着いた龍彦は、事の次第を龍樹と話し合った。
「罠かも知れない。話ができすぎている」
「どういう事だ、龍樹」
「俺の掴んでいる情報では、明日の夜は、《継承の儀》が行われるんだ。それは龍彦兄さんも知っているだろ?」
情報収集が得手の龍樹は、続けた。
「今回の儀式のメインは、《神木十家》の《神木の巫女》十人なんだけど、そのうちに風変わりな《神木の巫女》がいて。それが柊の《神木の巫女》の柊静音」
「それが?」
「今回の《継承の儀》、きっかけは《叢雲》の発見なんだけど、見つけてきたのがその柊静音を含む一団だって話」
「《神木の巫女》が宝探し? あり得ないな」
「それが、彼女だけは、外部の人間の中で生活してる。それに、それだけじゃない」
龍樹は、言葉を選んで続けた。
「柊の《神木の巫女》だけは、他の《神木の巫女》と違って、久我山が一枚噛んでるって記録がある。どんな関わりかは、父さんの手記が途中で途切れているからわからないんだけど」
龍樹の父親、久我山一京は妻・桜子の懐妊と同時期に行方不明となっていた。だから、どのような計画だったのかについての引き継ぎはまったくされていない。
「罠かな?」
龍彦は呟く。質問とも自問とも付かない言葉だった。
「ただ、その歩と名乗った女が、九曜歩なら、罠じゃないかも知れない。歩は知っての通り九曜当主の妻だけど、九曜邸内ではいないのと同じ人物だって話もあるんだ。兄さんに聞いた年格好だと、多分その歩=九曜歩で間違いないと思う」
ふむ、と龍彦は考えた。
「で、龍彦兄さんとしては、どうしたい? 俺は龍彦兄さんの意向に従うよ」
龍樹はどうするべきか、ではなく、どうしたいかと龍彦に聞いた。
「その柊静音という女性を保護しようと思う。久我山の仕込みが入っているなら尚更だね」
「それだけ?」
「あと、《神木の巫女》っていうことも、気になる」
龍樹は、龍彦は《神木の巫女》に対して何か特別の思い入れがあるのではないかと感じるときがある。それがどうしてなのか、理由は知らないが、それは確かな事実ではないかと。
「兄さんは《神木の巫女》が気になる?」
「そういう訳じゃない。お前は勘ぐりすぎだ」
結局、龍樹が同行するということで歩の指定した場所へ出向くことになったのだ。
約束の時間が過ぎても歩は訪れず、じりじりと時間だけが経っていった。
――そろそろ限界では?
と、龍樹が龍彦に合図を送る。龍彦も限界、と思った頃に、再びあの燐光が現れた。
「……今日は王子様が二人。羨ましいこと」
歩は、たいして羨ましくもなさそうにいうと、背後の女性を前に進ませた。
「蝶は眠っているわ。まだ、幸せな夢を見ているよう……」
歩は、そういうと女性の耳元に何か耳打ちをする。
がくり、と女性は崩れ落ちそうになるが、すんでの所で龍彦が支え、倒れるには至らなかった。
「蝶は放ちましたよ。お好きになさいませ」
歩はそう言い残すと消えてしまった。
意識のない静音を抱え上げると龍彦は、龍樹に撤退の合図をした。
龍彦は、静音を抱えながら、その体の軽さにおどろいた。《神木の巫女》の装束を着ていないとはいえ、軽いのだ。昨今の女性は、皆ダイエットをして細めだが、それよりも随分と軽い。
そのため、静音を抱えた事による疲労はほとんどなく、無事拠点の古民家に帰り着く。そしてその場で静音に何らかの追跡装置が付いていないかを確認し、拠点を引き払った。
そして、冒頭のホテルにしたのだ。
静音はホテルについて、ベッドに横たえたとき、丁度良く目が覚めた。歩によってそうなるよう、術がかけられていたのかも知れない。
静音は、自身の置かれた状況を把握してから、自身について龍彦に語った。
《継承の儀》のために、九曜邸に戻らなくてはならないこと。
明日からは、ただの《神木の巫女》として生きて行かねばならないこと。
それを語ったのが限界だった。静音は静かに涙を流したのだ。
「わたしは、明日にはいなくなるんです」
「なぜ?」
「《神木の巫女》にわたしの心、記憶はいらないから……」
なぜ、そんなことを静音が龍彦たちに語ってくれたのか、龍彦にはわからなかった。ただ、こうなった以上、彼女を九曜家に戻すわけにはいかない。返せば、地下道についての情報が九曜に知れることになるからだ。それは、来たる日のために、絶対に避けなければならない。
「貴女を帰すわけにはいかない。それに、本当は、貴女は帰りたくないんじゃないかな?」
静音はただただ静かに泣いていた。
「僕が言って信じてもらえるかはわからないけど。《神木の巫女》が人の心を持っても大丈夫な方法を見つけられるかも知れない。その手がかりを僕は持っている。協力してくれないか?」
これが、静音を久我山に留める決定打になった。
この直後に、彼女が心を保ちたいと思った理由が、一人の男との思い出を守りたいだけだと知ったとき、龍彦は不思議な気持ちになった。なぜなら、思い出を共有したい異性など、巡り会ったことがなかったから。
静音は思い出を守るために、久我山にいる。
思い出が龍彦の邪魔をしている。
どちらも事実だった。
この夜の話は、九曜の人事異動の明細とその対策、もう一人諏訪で探している人物の行方についてに終始した。
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