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休憩室は学校の教室くらいの広さで、数台のベッドが背の高い衝立で仕切った造りになっていた。この部屋の横には、各家の運転手の仮眠室を兼ねた控えの間、更にその向こうには屋内駐車場とその外にヘリポートがあり、必要があれば、都内の大学病院へ搬送することが可能となっていた。休憩室内には、専任の医師と看護婦が常駐し、簡単な応急処置や風邪くらいであれば充分に対応できる。この部屋は、以前怪我をしたときに省吾も入ったことのある部屋だった。
省吾は隠形したまま、医務室に入った。医務室には扉がなかったから、医務室への立ち入りを誰にも気づかれることなくすることは簡単だ。
洗濯石けんの香りのするベッドの上に、静音は座っていた。横たわっていたのを起きあがったのだということが、掛け布団の乱れ方でわかる。
「省吾さん?」
省吾が隠形したままでいても、静音の目には見えるらしく、彼女は何の迷いもなく省吾に話しかけてくる。思えば、このころから静音は省吾のことを「省吾さん」と呼んでいた。
「……見えるんだ?」
省吾は姿を消したまま、静音の側に寄った。このことが大人に露見したら、叱られる事はわかっていたから。そして、周囲に音が逃げないよう、音の結界を張った。音の結界は、難易度が高く、省吾が一人の力で何の準備もなく成果を出すのは難しい。だから、親睦会に静音が来ると聞いた日の夜、この日のこの時の為に、徹夜を繰り返し、失敗を繰り返しながら作った護符を持ってきたのだ。
「うん。ちょっとモヤがかかってるけど、見えるよ。静音は省吾さんを間違えたりしないよ」
ふにゃり、と静音は笑った。この笑顔は、油断しきった表情で、この笑顔を見るたびに、省吾は、「この子を守らなくちゃいけないんだ」と本能的に感じてきたのだ。
「《神木の巫女》になるって、やっぱり本当なの?」
八月からずっと胸につっかえていたこと。なにかの間違いであって欲しいと願ったことを、省吾は口にした。
「うん。わたし、《神木の巫女》になるんだって。修行は十二月から始めるって、当代様がおっしゃったの。……わたし、当代様と初めてお会いしたんだ。やさしい方だったよ」
「そ、う」
あまりにもこだわり無く、静音が「《神木の巫女》になる」ことを肯定したので、省吾は、脱力を通り越して、怒りが湧いてきた。
「《神木の巫女》って大変なんだよ? 知ってるの?」
また。初めて会ったときのような、意地悪い気持ちが出てきた。
――なんだよ、人の気持ちも知らないで。
「外にだって出られなくなっちゃうし、学校だって行けなくなっちゃうんだぞ!」
《神木の巫女》は門外不出。その事実を静音は知らないのではないだろうか。そう、省吾は考えた。しかし、静音の返事は違った。
「……うん。知ってるよ。学校、行けなくなるんだよね。夏休みのしゅくだい、せっかくやったのに、出せなかったんだ。じゆうけんきゅう、ちゃんと終わってたのに」
そういう事じゃない、と省吾は叫びたかった。
「僕とも、会えなくなるんだよ?」
静音は、ぴたりと口を閉じた。
「それでいいの?」
「……」
「黙ってないで、なんか言ってよ、静音ちゃん!」
静音は俯いて、ぽつりと小さな声で言った。
「…………うんだもん」
「え? 聞こえないよ」
「……わたしが《神木の巫女》にならないと、いっぱいの人が死んじゃうんだもん」
今度は、省吾が黙った。
「学校だって、お友だちだって、省吾さんだって、みんな大切だもん。その人たちが死んじゃったら、いやだもん」
ぎゅっと、静音は掛け布団を掴んだ。目の前にできた布団の塊に、しみが一つ、また一つと増えていく。
「会えなくなるのは、いやだけど、省吾さんや、みんなが死んじゃうのは、もっといやなの……」
《神木の巫女》は護国の柱、と、父親が言っていたのを省吾は思い出した。
『人間は、大地や海から恵みを得ているけど、人数が多すぎて、支えきれない場所もあるんだ。その疲れた大地を支えているのが神木で、神木をお慰めするのが《神木の巫女》の仕事なんだよ。大地はそもそも暴れたがっている。地震もそうだろう? それを根を張って抑えているのが神木なんだ』
それは、神木を初めて見たとき、父親が誇らしげに語っていたのを、省吾は思い出した。
「いやでも、がまんしなきゃいけないの」
このとき、省吾は自分の方が静音よりも聞き分けのないことを言っていることを自覚した。恥ずかしかった。
「ごめん」
それが省吾の精一杯だった。
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