プロローグ 【始まりの始まり ~こんなこと、誰もが一度は妄想したよね~】

 その戦いは、あたしが思っていたよりも長く続いた。

 

 あたしがフィールドにいるパーティー四人に指示を出し終わった直後、赤い熊のようなモンスターが雄叫びを上げた。さっきから何度も攻撃をしているのに、その勢いは弱まるどころか怒りでさらにパワーアップしている気さえする。


 とはいえ、ダメージ量からもうかなり弱っているのは明白だし、こいつが力尽きるのもたぶん時間の問題。こちら側のダメージも結構深刻だし、これ以上長くなるのは避けたいところだな。次の攻撃で決められるといいんだけど。

 

 先制攻撃を仕掛けたのはこちらだった。両手に短剣を携えた女の子が飛び出す。


 後ろで高く縛った夜色の髪が揺れる。スピードが自慢の彼女の名前はシグレ。その職業はアサシンで、忍者のような恰好がいかにもそれっぽい。

 衣装は上下とも闇に紛れる黒ずくめだけど、唯一首に巻いた朱色の布だけが、まるで夜道を照らす炎のように鮮やかな色を躍らせている。


 シグレの濃い紫色の瞳が真っ直ぐ赤熊を捉えた。短剣を素早く振るう。一回、二回、そして仕上げに腕を交差させて飛び上がると、両腕を一気に広げるように切り裂いた。身軽さを活かした連続攻撃は見事に決まって、後に控える仲間に活路を開く。


 そんなシグレの攻撃に続いて、背中にステンドグラスのような羽の生えた小さな女の子が両手を前方に突き出した。

 どちらかと言えば地味なシグレの服装と違って、こちらはネックレスにイヤリングと装飾もたっぷりの、ひらひらした少し露出度が高いドレスを身にまとっている。だけど丸くて大きな黄緑色の瞳や、ピンク色のツインテールがまだまだかわいくて幼い印象。


 そんな彼女は魔法使いの妖精フェアリー、リーリアだ。


 手のひらを赤熊に向けるように伸ばされた両手の先に魔法陣が出現すると、間髪入れずに水属性の攻撃魔法【ダイヤモンドダスト】が発動する。


 たくさんの氷の粒が赤熊の周りで弾け、光を反射してきらきらと輝いた。とてもきれいな魔法だけど、威力は絶大。火属性の赤熊は弱点を突かれて大ダメージを受ける。


 すると今度は赤熊が反撃に出た。その巨体からは考えられないような素早さで一直線に駆ける。


 その狙いは……大剣を持つたくましい体を銀の鎧で包んだ、短い金髪の青年。まずい、とあたしは唇を噛んだ。


 パーティーのリーダーでもあるこの青年——ジタンは今、強力な技を発動させるためにじっと力を溜めていた。当然防御なんてできないし、一撃が重い赤熊の攻撃だと最悪倒される可能性があった。そうなったら元も子もない。この技にかけていたのに台無しになってしまう……!


 焦るあたしに対して勝ち誇ったかのように、赤熊が四つ足を地面に付けた状態から前足を振り上げて立ち上がった。そのまま鋭い爪が生えた足を勢いよく目の前のジタンに叩きつける——!


 そのとき、パキンッという澄んだ音がしてジタンと赤熊の間に半透明の丸い壁が出現、赤熊の攻撃を阻んだ。


 当然、ジタンは無傷。あ……そうだ、忘れてた。


 あたしは残る最後のメンバーの存在にホッと胸をなで下ろす。

 ジタンが攻撃を受けずに済んだのは、少し前に、彼に持続する盾の魔法を掛けていた人物がいたから。


 その人物こそ、メンバー最年長のお兄さんであり、回復役を担う僧侶というパーティーの要、その名もオルフェニウス。ただちょっと長いから、パーティーからは縮めてオルフェという愛称で呼ばれている。

 薄茶色の柔らかい髪の毛をぐるりと覆うように薄布がついた帽子を被り、左目にはモノクル。白と緑が基調のゆったりとしたローブを羽織ったその姿はまるで神官のようだけれど、気難しげな印象は一切なくて、むしろ目尻の少し垂れたはしばみ色の目は柔和で優しそうだ。


 するとオルフェの影ながらの活躍のおかげで難を逃れたジタンが、ようやく攻撃の準備を完了させた。青い目を開いて、キッと顔を上げる。


 そして大胆にも赤熊の正面に踏み込んだ。反撃を許すスキも無く、幅広の刃の付いた重そうな大剣を、半ば飛び上がるようにして頭上に振り上げ、渾身の力で真下に振り下ろす!


 ドォンッと、衝撃波が周囲の草花を環状になぎ倒した。発動に時間がかかる分、すさまじい威力を誇る技。その直撃を受けた赤熊はたまらず大きく身をのけ反らせて、どっと地面に倒れこんだ。

 

 そしてそのまま動かなくなり、しばらくすると白い光に包まれる……するとその姿はゆっくりと薄れていき、とうとう影も形も無くなった。

 

 そのとき、タタタッタターンと軽快な勝利のファンファーレが鳴り響き、重々しい戦闘BGMは軽やかなものへと変化した。




「勝ったーっ!」


 あたしは達成感に包まれながら歓喜の声を上げて、キーボードから手を離すと、大きく伸びをした。

 反動でキャスターの付いた丸椅子がちょっと後ろに下がる。パソコン画面の中では、戦いを終えたパーティーが勝利ポーズを取っていた。そう、あたしは今まで、ゲームの中ボスと戦っていたのだ。


「みぃ、お疲れ様」


 隣に座るお兄ちゃんが、ちょっと笑って声をかける。あたしが今いるのはお兄ちゃんの部屋で、パソコンもお兄ちゃんの私物だ。


 ちなみにみぃっていうのは、あたしのニックネーム。

 本名は有原みくる。中学一年生。苗字の読み方はアリハラじゃなくてアルハラなのがちょっと珍しいところ。


 そしてお兄ちゃんの名前は有原創。大学二年生。これもたまにツクルと読み間違えられるんだけど、ソウが正解。


 今日から夏休みに入ったから、のんびりゲームもできるし、お兄ちゃんとも遊べる。幸せだなぁ。……えっ、宿題? あ、あはは。やるってそのうち。


「特にバグは無かったみたいだな。敵の強さのバランスはどうだった」


 あたしがゲームをプレイする様子を、そばで見守っていたお兄ちゃんが口を開いた。あたしは少し考えてから答える。


「うーん、イイ感じだったと思うけど……ボスがねぇ、ちょっと全体攻撃の回数が多くて、回復アイテムとかいっぱい持ってないと危なかったかなぁ」

「そうか。それなら、少し攻撃力の調整をしておくか」

「でもこのくらい強いのもハラハラして面白かったよ?」


 今の会話で分かった人も、もしかしたらいるかもしれないけど、あたしが今やってるゲームはお兄ちゃんが個人で制作してる、いわゆるフリーゲームだ。『幻想奇譚』っていうRPGで、今回ので三作目。

 個人制作だからって侮っちゃいけない。お兄ちゃんの作るゲームはすっごく面白いんだから。しかもストーリーを考えてゲーム制作ソフトでプログラムするだけじゃなくて、自分で絵も描いてる。すごいでしょ? 自慢のお兄ちゃんなんだ!


 そして、あたしがそのゲームのテストプレイヤーを任されていることも、なんだか嬉しい。妹の特権ってやつだね。

 今回の作品はシナリオに力を入れたいとのことで、結構長めの作品になるみたい。それだけ作るのも大変だろうに、忙しい勉強やバイトの合間を縫って作り続けてるんだから立派だと思う。


 そのストーリーは、まだ細かいところは考え中みたいだけど、ざっくり説明すると……

 ここは魔王の復活しかけた世界。災害や狂暴な魔物の出現など、様々な異変が起こる中、一冊の本が発見される。その本には、救世主となる伝説の勇者がこの世に生を受けていること、そして伝説の勇者だけが扱える、邪悪を打ち砕く強力な剣技が世界を救う鍵となることなどが記されていた。「予言の書」と名付けられたその本に選ばれた勇者の青年、ジタンは、仲間と出会いながら使命を全うするべく旅をする


 ……こんな感じ。ザ・王道ど真ん中な内容だ。変に奇をてらった世界観にしなくていい。たとえありがちな展開でも、キャラクターの個性や設定で色んな面白さが生まれる——っていうのは、お兄ちゃんがいつも言ってること。


「とりあえず中ボス倒したし、ここまでにするか?」

 コップに注いだ麦茶を片手にお兄ちゃんが聞いた。あたしもサイドデスクのオレンジジュースをぐいっと飲むと、少し考えて言う。


「でも、ストーリーはもうちょっと先のほうまで実装してあるんでしょ?」

「ああ。昨日だいぶ進んだから……」

「じゃあもっとやりたい!」


 あたしははりきってもう一度キーボードに手を置くと、カーソルキーでドット絵のキャラ達を操作して、次の目的地〈エンティーン村〉というところに行く。


 村に入るとすぐに、村長さんが話しかけてきた。なんでも、突如出現したモンスターによって、村人や旅人が襲われる被害が出てるらしい。そのモンスターは、〈イマジネ塔〉を住処にしているらしく、それを倒してほしいという依頼だった。


[ジタン:なるほど。それは大変だな……。大丈夫です! オレ達に任せてください!]


 ウィンドウテロップにセリフが表示される。さっき強敵と戦ったばかりで疲れているだろうに、二つ返事で引き受けるとはさすがジタン、勇者の鑑。心優しい好青年なのはいいんだけど、ただお人好しすぎてトラブルに巻き込まれやすかったりするのが玉にキズ。


[シグレ:イマジネ塔はここからやや遠い所にありますし、気持ちは分かりますが……ひとまず宿屋に行って、準備をしませんか]


 しかしシグレは冷静。すぐ熱くなるジタンとは対照的だ。まだ十六歳とジタンより四つも年下なのに、しっかりしてるなぁ。ちなみにシグレが敬語で話すのは別に気を遣ってるわけじゃなくて、単に敬語キャラっていう設定なだけだよ。


[オルフェ:シグレの言う通りだよジタン。無理は良くないからね]


 年上らしくオルフェが言う。


[リーリア:村長さん、リーリア達がいるからもう安心だよっ!]


元気いっぱいなリーリアのセリフを最後に会話が終了し、画面上に[ストーリーミッションが更新されました]と表示される。


 そのときだった。


 急にBGMが止まり、画面が真っ白になった。最初は仕様かと思ったけど、どうやら違うみたい。


「あ、あれ? お兄ちゃん、なんか変だよ」

「フリーズ……しかもホワイトアウト? 妙な現象だな」

 お兄ちゃんが不思議そうに身を乗り出す。すると、いきなり画面の光が強まり、視界を白く覆うまでになった。


「わあっ眩しい!」

 あたしは思わずギュッと目をつむる。

「みぃ、離れ――」


 お兄ちゃんの言葉は、最後なんて言ってるのか聞き取れなかった。

 



 しばらくして、まぶたの裏で光が弱まったのを感じた。恐る恐る目を開いてみる。

 

 そこは一面、真っ暗だった。


「え……?」


 頭に大量のハテナを浮かべながらあたりをぐるっと見渡す。どこまでも塗りつぶされたような暗闇が広がっていた。部屋が停電したのかと一瞬思ったけどそもそも今はお昼だし、こんなに真っ暗になるなんてありえない。


「お、お兄ちゃーん!」

 怖くなって叫んでみたけど、何も返ってこない。ウソ、あたし、今ここに一人なの? というか、ここどこ? あたしどうなっちゃったの? さっきまで、ゲームしてたはずなのに……!


 そのとき、空間に変化が起こった。


 突然、あたしが立っている場所一面に白い何かが浮かび上がる。見ると、それは記号や数字やアルファベットの羅列だった。

 一応、何か意味を持って並んでるみたいだけど……ダメだ、あたしにはちんぷんかんぷん。ここでじっとしてても何も分からないや。試しに他の場所も見てみよう、と足を一歩踏み出す——


 すると、あたしが踏んだところの文字列がパリンと音を立てて一気にばらけ、その後めちゃくちゃな順番に並んでしまった。


「わあっ!?」

 人の持ち物にうっかり傷をつけてしまったときみたいな焦りと罪悪感に襲われて慌てて足を引っ込める。

 でも足を置ける場所なんてない。どこもかしこも文字だらけだ。どう移動しても、それは結局破壊を広げる結果になった。軽くパニックになったあたしは、言葉にならない声を上げながらそこら中を跳ね回る。


 すると、またしても変化が。何もなかった空間に、突然光が出現したのだ。豆電球のような白くて丸い光。ふわふわ浮かぶそれをあたしはただ茫然と眺める。その直後、光はまるでつぼみが花開くみたいにして、楕円形に広がった。その縁を飾るように、赤、青、緑、たくさんのカラフルな光の粒が踊っている。


「な、なに……これ……」

 やっぱり申し訳なさを感じつつ、パリパリと文字列を崩しながら光に恐る恐る近づいてみる。すると光はさらに強くなった。なんだか、近づくことを歓迎されてるみたい……?


 思い切って、中心を人差し指で触れてみた。痺れるとか、熱いとか、そんな感覚は一切ない。それならと、さらに勇気を出して腕をぐっと突き出してみる。何の抵抗もなく光に飲み込まれた。でも裏側を覗き込んでも、突き抜けている様子は見えない。ひょっとして、この光の向こうって、違うところに繋がってるの……? ってことは、


「これって、ワープホールとか……?」


 いろんなゲームで見たことがある。見た目は作品によってまちまちだけど、大体こんな感じの楕円形の輪を潜り抜けたら、違う場所に瞬間移動するんだ。でもなんでそんなもの、と考えたところで、あたしはハッと思いついた。


「もしかして、ここ通ったらお兄ちゃんのとこに戻れる?」


 話しかけても当然返事なんて返ってこない。

 ……それでも、あたしはごくりと生唾を飲み込むと二、三歩後ずさった。


 この光に飛び込んだら帰れる……それは根拠なんて全く無い、ただの直感だけど。

 危険かもしれない。でも、ここで何もしないでいるよりは、多分ましだろうと思った。ゲームで探索するときだって、気になったものはとりあえず調べてみたり使ってみたりするのが鉄則じゃん——直前までテストプレイをしていたからか、自然とそんな考えが浮かんだ。


 それに、今この瞬間がすでに異常事態。それなら、もういっそ何が起こっても構わないや。


 決意したあたしは、徒競走でスタートするときみたいに足に力を込めて、上半身を軽く曲げる。深呼吸して……よし!


「せぇ、のっ!」


 そしてあたしは勢いよく床を蹴って、眩しい輝きの中に身を踊らせた。

 



 再び光で何も見えなくなってから、ほんの一瞬後。気付けば、あたしはへたり込んでいるような姿勢でその場に座っていた。手足にフローリングの硬い手触りを感じ、弾かれたように顔を上げて叫ぶ。


「お、お兄ちゃ――」


 あたしが今いる場所が、間違いなく家だと思ったから。


 しかしあたしの目に飛び込んできたのは、お兄ちゃんの顔でもゲーム画面でもなく、簡素な白いベッドと大きな観葉植物だった。


 「……えーっとぉ……」


 あまりにも予想外の光景に言葉を失う。もしかしたら家に帰れるかも、なんて考えていたけど甘かった。しかもまたこんな、全然知らない場所に……ああもう訳分かんな……ん? 待てよ。


 そこであたしはもう一度部屋をぐるりと見回して考えこんだ。いや、来たことはない。こんなとこ絶対来たことはないんだけど……なんか、見たことはある気がする。家具の配置、壁や床の質感。最近どこかで……何これ、いわゆるデジャヴってやつ?


 もうちょっとで何か思い出せそうなのに、すんでのところで出てこない。もどかしくて、あたしはちょっといらいらしつつ、とりあえず立ち上がった。ドアを出てみたら何か分かるのかな。それともこの部屋を調べるべきなのかな。


 決めあぐねたあたしは、何気なくスカートのポケットに手を突っ込んだ。

「うん?」

 すると、何か小さくて硬い感触があった。あれ、何か入れっぱなしにしてたっけ? 


 ポケットから出してみると、どうもそれはイヤーカフみたいだった。こういうアクセサリーは結構好きで、たまにお母さんとデパートに行ったときは必ず雑貨屋さんに寄っていた。


 手の中のそれはピンクのシンプルなデザインで、結構かわいい。ただ問題は……こんなの、全く見覚えが無い。そもそもアクセサリーをこんな雑にポケットに入れておくなんてことしないし。でも、じゃあ、何であたしのポケットに入ってたの?


「つ……着けてみろって、ことなの?」

 またまた返事が返ってくるわけでもないのに、あたしは口に出して聞いた。ちょうど、目の前には用意したと言わんばかりの姿見まであった。

 あたしはしばらくそのイヤーカフを見つめていたけれど、ついに意を決してそろそろとそれを顔の横に持っていった。何かが起こるかもしれない。姿見を見ながら、小さくきらりと光るそれを耳に装着したそのとき。


 あたしは予感が当たったことを知った。


『――だ、これ。何がどうなってるんだ』


 なんと驚いたことに、イヤーカフからはっきり声が聞こえたのだった。というかちょっと待って、この声! あたしは思わず素っ頓狂な声を上げていた。


「えっ、お兄ちゃん? いるの?」


 向こうからも息を呑む音が小さく聞こえた。


『みぃ、俺が分かるのか? 見えるか? ここだぞ』

「い、いや、見えない。どこにいるのか分かんないけど、さっきイヤーカフ拾って、それから声が……何これ最新式の電話!? っていうかお兄ちゃんは大丈夫なの!? あたし変なところ来ちゃって、あとここの前にも変な場所通って」

『みぃ、落ち着け、とりあえず落ち着け。俺も状況を整理したい』


 あたしの言葉を遮るようにお兄ちゃんが言った。その声もだいぶ切羽詰まってるみたいで、いつもの静かで大人しいお兄ちゃんの様子とは全く違う。それでも、ただ慌てるだけじゃなくて事態を分析しようとしているお兄ちゃんの言葉はかなり頼もしくて、あたしもやっと気を落ち着けた。


『とりあえず、無事なんだな』

「うん。大丈夫。お兄ちゃんは?」

『俺も何ともないよ』

「よかったぁ。ねえ、お兄ちゃん今どこにいるの? あたしみたいに変なところ来てない?」


 あたしが聞くと、お兄ちゃんは少し口ごもった。


『俺は……何も変わってないんだ。変わらず俺の部屋にいる』

「え? じゃああたしだけ? あたしだけなんか移動したの?」

『そう……みたいなんだ。だから、とりあえずみぃのいる場所の確認をしたいんだけどな……』

「ん、分かった。えっとねぇ……」


 あたしはお兄ちゃんにこの部屋のことを伝えようと、もう一度ぐるりと見渡す。……ところが、先に話したのはお兄ちゃんだった。


『みぃの目の前に姿見、後ろと右の壁際にシングルサイズのベッドが二つずつ、部屋の隅に観葉植物、床はフローリングで壁も木製……違うか?』


「えっ!?」


 びっくりして大きな声が出た。今のお兄ちゃんの言葉は、あたしがいる部屋の状況を的確に言い当てていた。


「うそっ、なんで知ってるの!? どっかから見てるの!?」

 カメラでモニタリングでもされてるのかとあたしはキョロキョロする。


『そうか……そうなんだな。本当にそこにいるんだな。何なんだ……何なんだよ本当に……』

 どぎまぎするあたしをよそに、ぶつぶつ言うお兄ちゃんの低い声が聞こえてきた。


「ねぇお兄ちゃんどうなってんの!?」

『あのなぁ、みぃ、ほんと、落ち着いて聞いて欲しいんだけど……』


そこまで言ってお兄ちゃんは考えるように沈黙した。息を吸う音が聞こえる。それからあたしに勉強を教えるときみたいにゆっくりと、言葉一つ一つを言い聞かせるように言った。


『今な、パソコンのゲーム画面の中にみぃがいるんだ。ドット絵になって』


 その言葉を理解するのにたっぷり五秒はかかった。


「……えーっと、あたしがいるの? ゲーム画面に、まるでキャラクターみたいに?」


 そこで、あたしはようやく思い出した。この部屋。いつもは真上のアングルから見てるから中々気づけなかったけど。間違いなくここは、『幻想奇譚』に出てくる宿屋の中だ。


 ということは。あたしは一つの突拍子もない結論に辿りついて――いやほんと、これ口に出すのが少し恥ずかしいレベルで信じられないことなんだけど、だってほら、こんな話、マンガかアニメぐらいでしか聞いたことないし――ありえないとは思いつつ、言わずにはいられなかった。


「それって、あたし……ゲームの世界に入っちゃったってこと?」

『とんでもない話だし、とても頷きたくはないけど……。状況を見る限りそういうことなんだと、思う。ああ、二人同時に悪い夢でも見てるんじゃないのか……』


 お兄ちゃんもなんだか歯切れの悪い返事。そりゃそうだよ。確かにあたし、ここに来る前に「もう何が起こっても構わない」なんて強気なこと言ったけど、こんなことになるとはさすがに思ってなかったもん。


「お兄ちゃん、どうしようあたし……」

『いや、どうしようって言われても……うーん』


 元の世界、つまりは現実世界に帰るあてもなく、二人して途方に暮れて黙り込む。しばらく沈黙が続いて、あたしはふと疑問に思ったことを口にした。


「そういえばお兄ちゃん、あたしの声どうやって聞いてるの?」

 向こうから声を届けるのは多分、テレビ電話するみたいにパソコン画面に話しかけてるんだろうけど、あたしから声を届ける手段は何もないと思う。なのに会話ができるのが不思議だった。

『聞いてるというか、読んでると言ったほうが正しいな。みぃが言ったことは全て画面下のウィンドウテロップに表示されるんだ』

「へぇ、そうなんだ……」


 なんだか、本当にゲームのキャラクターになったみたい。


 と、そこまで話したとき、ドアがガチャッと音を立てた。


「うおっ! ……だ、誰だよお前」


 いきなりの驚いたような声にこちらもびっくりして振り向くと、そこにいたのは。


「うっそ……ジタン?」

 

 ワックスで固められた短い金髪と蒼眼、それに真っ赤なマントが印象的な、全身を銀の鎧に包んだ屈強な青年。『幻想奇譚』の主人公である、勇者ジタン――本名、ジタン=エルグラッド。す、すごい、本物だ……ああやっぱり、ここは本当にゲームの世界なんだ!


<続く>

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