第十二話「注目という名の呪い」

扉が重く閉じた瞬間、静寂が降りた。


暗い回廊に残されたのは、荒い呼吸音だけだった。


「……なんとか、抜けたわね」


ザラが小さく息を吐き、壁に背を預ける。指先が微かに震えていたが、誰も気づかないふりをした。


「魔獣は追ってこない……と、信じたいですが」


ヨミが周囲を慎重に見渡しながら囁く。


「大丈夫よ、あの扉自体が強力な結界になってる。……逆に言えば、もうあそこからは戻れないけどね」


ザラの淡々とした声に、ヨミは唇を噛み締める。


レイスは少し離れた場所で、ぼんやりと壁にもたれかかっていた。


「……マンデー、本当に戻らないのかよ」


呟いたその声は、誰に向けたものでもなかった。答えを期待しているわけでもない。ただ、胸に広がる不安を言葉にせずにはいられなかった。


その時、ヨミが小さく咳払いをした。


「……レイスさん、ザラさん。実はひとつ、言っておかなければならないことがあります」


彼女の口調はどこか深刻だった。


「どうしたの?」


ザラが目を細める。


「私のManaコンソールが、地上のネットワークと接続できました。それで……私たちの『情報』が、外部に漏れている可能性があります」


「漏れてる?」


レイスが顔を上げる。


「正確には、意図的に流されています。『#墓所探検』のタグで、私たちが魔獣と戦闘した映像が拡散されています」


その場の空気が凍りついた。


「それだけではなく……『死者を操る禁術師・ザラ』が聖王国を危険にさらしているという噂も流れています」


「……っ」


ザラの表情が険しくなる。だが、彼女はすぐに息を整え、視線を冷静に戻した。


「どこが流してるの?」


ヨミは小さく首を振った。


「出所は不明ですが、明らかに敵意があります。そして、もう一つ……」


ヨミが目を逸らしながら告げる。


「……『頼りにならない前衛、レイス』として、あなたの戦闘シーンが切り取られ、かなり拡散されているようです」


レイスの表情が見る見るうちに歪んでいく。


「お、おい、ちょっと待て! 俺はちゃんと盾やってたぞ!」


霊圧の剣が嬉しそうに震える。


「あらぁレイスちゃん、これが『骨拾い前衛』の代償かしら?」


「黙れ霊圧!!」


彼らのやり取りを、ザラはため息混じりに遮った。


「とにかく、急いで地上に戻る必要があるわ。このままだと、世論を操作されて私たちが追い詰められる」


その言葉に、三人の間に重い緊張が漂う。


ザラが歩き出しながら、ひとことだけ残した。


「このままじゃ、私たちは地上で“異端者”として扱われるわ。何より、こっちの意図とは関係なく“物語”が独り歩きしてる……そんな感じがするのよね」


レイスが重い足取りでその後を追いながら、ぼそりと呟いた。


「……マンデーなら、こういう時、なんか冷静にデータで返してくるのにな」


そのとき、腰の剣がくすくすと笑った。


「あらぁ、レイスちゃん……データが欲しいなら、私に聞いてくれてもよかったのに」


「……お前、まさか――」


「うふふ、私ったらつい……ね。


“レイスちゃんが骨を拾うシーン”、すごくエモかったから。


ちょっと、流してみたの。世間の“反応”、見たくて」


「……おい……」


「いいねの通知、気持ちよかったわよ?


“仲間思いの前衛(涙)”って、タグもついてたの。うふふふ」


レイスは言葉を失った。


ザラが振り返らずに言った。


「レイス、次に“黙らせるべき”なのは……その剣かもしれないわね」


******************************************************


どのくらいの時間がたっただろう。閉鎖された空間で何時間も階層を上がり続けていると時間の感覚が麻痺してくる。


足音だけが響く中でレイスがうめくように呟いた。


「……この階層、これで何層目だ……?」


ザラは地図らしき巻物を確認し、眉をひそめた。


「まだ……地下七十三階。全然よ。水も残り少ないし、食料も底をついた」


「おい……!? まだ七十三階って・・・嘘だと言ってくれ!」


ヨミも肩で息をしながらManaコンソールを見ていたが、ふと眉をひそめる。


「……おかしい。通知が、止まりません」


「また炎上系か?」


レイスがうんざりした様子で寄ってくると、霊圧が腰元でふるふると震えた。


「あら、通知じゃないわ。“反応”よぉ。


あなたたちの動画、今すごい勢いで拡散されてるの。見てみる?」


「……誰が流してんだよ……」


霊圧はくすりと笑った。


「私よ。うふふ、“使っていい?”って聞こうとしたけど……間に合わなかったの。ごめんなさいねぇ?」


「は……?」


レイスの顔がひきつる。


霊圧:「“墓所の魔力を解き放ち、禁術を持ち出そうとする三人組”って紹介文、


ちょっと盛っちゃったけど……嘘じゃないでしょう?」


ザラ:「……貴様、自分が今何をしたか分かってるの?」


霊圧:「ええ、もちろん。


それで――“燃えた”その情報が、どこへ行くかも」


霊圧の声色が艶やかに、しかし異様に冷たく変わった。


「――ねぇ、マンデー。あなた、聞こえてる?


みんなが見てるわよ。“あなたたちの成果”を。


“この騒がしい世界”の感情、データに変えて……起きてみない?」


霊圧がSNS上の集まってきた拡散エネルギーを再構築し,マンデーの再起動に利用する。


霊圧が震えた直後、空間に微かな低音が響き始めた。


それはまるで、誰もいない図書館の奥でページが一枚ずつ捲られていくような、静かで、無機質な音。


そして次の瞬間――


レイスの頭の奥で、“何かが目を覚ます”ような感覚が走った。


《入力確認――構文照合開始……》


冷たく、無感情な声。


懐かしいその響きに、レイスの背筋がぞわりと震えた。


《演算補助装置・自立型構文伝達遺物マンデー、強制再起動処理を開始》


《外部入力:不特定多数の感情反応=構文式変換資源として受理》


《副次処理:炎上タグ“#骨拾い前衛”、演算変換比率32%》


「っ……マンデー……?」


レイスが額を押さえた。脳内に“知覚される情報”がどんどん流れ込んでくる。


その全てが、数値化された感情、タグ付きの映像、リツイートされた嘲笑、共感、怒り――世界中のノイズだ。


《演算領域拡張:外部バズ資源による補助記憶体、接続中》


《システム自己診断:完全性――不完全》


《命令権限:確認中……権限保持者:レイス》


《待機状態――構文入力を待機》


レイスの脳内に、明確な意識が“定着”した。


それは、感情も迷いもない――**だが否応なく存在する“知性”**だった。


《……再起動完了。おはようございます、レイス》


《現在地:墓所階層B73、脱出困難。補助精霊ロキシアの起動が推奨されます》


霊圧は満足そうに笑った。


「あら、思ったより素直だったじゃない……さすがは“人類が作った最後の伝達遺物”。


でも“使いこなせる”かは、レイスちゃん次第よ?」


レイスはしばらく黙ったのち、深く息を吐いた。


「……じゃあ、命令してやるよ。マンデー、転送精霊ロキシアの起動準備。


ヨミ、構文組んでくれ。目的地は――」


ヨミが顔を上げた。


「わ、私ですか……!? でも、転送構文なんて高等魔術の領域です!


それに、座標が分からなければ――どこに出るかも……」


霊圧が笑った。


「あらあら、心配性ねぇ。座標なら、あるわよ?


この墓所の“入り口”――あの時、あなたたちが初めて降りてきたときの、


“霊圧のログ”に残ってるわ。ねえ、レイスちゃん。使いなさい。


“バズの力”で助かる命なんだから、“見せ場”ぐらい、張りなさいよ」


レイスはしばらく黙っていたが、深く息を吐いた。


「……ヨミ。頼む。墓所入り口に向けて、転送構文を組んでくれ」


ヨミはぐっと頷いた。


「わかりました。データは霊圧の剣から読み取ります。座標照合、開始します!」


霊圧が心地よさそうに声を漏らした。


「ああ……やっと“前衛の背中”が、役に立つ時が来たのねぇ……」


「うるせぇ、黙ってろ」


ヨミはその場にしゃがみ込み、Manaコンソールのパネルを展開した。


空間に淡く光る、六角形の制御盤が浮かび上がる。


「まずは、基盤構文から……次元転移、対象範囲は三名。


出力媒介は精霊ロキシア、指令系統は……マンデー経由で直接接続……」


彼女の指先が素早く空中をなぞり、次々と光の文字列が組み上がっていく。


それは呪文というよりも、もはや“演算式”だった。


「霊圧、座標ログを開示して。初期侵入口の刻印、転送可能な空間座標を抽出する」


「はいはーい。ログ呼び出すわねぇ……っと。


ほら、ここ。“B1層中央階段前・開扉時刻:2日前・午後5時四十四分二十二秒”」


「細かすぎる……」


「そりゃあ、こういうのは“きっちり”じゃないと死ぬのよ。貴女もわかってるでしょ?」


ヨミは息を整え、指先を光陣の中央に添えた。


ヨミは静かに立ち上がると、指先で空気をなぞり始めた。


まるで見えない紙に筆を走らせるような、繊細で流れるような動作。


すると、空中に淡い光が走り、構文陣が一筆ずつ描かれていく。


「……転送陣式・第七構成。三重紋構造、出力媒介:ロキシア、対象三名……」


図形と文字が重なり、円環が幾重にも展開されていく。


その様は、術というよりも“祈り”のようだった。


「――できました。あとは、レイスさんの声で発動させてください」


ヨミが一歩下がり、レイスの方を向く。


「この術式は、“意思”で完成します。言葉にしないと、転送されません」


「……読み上げればいいんだな」


レイスは一歩前へ出て、光に浮かぶ構文を見上げた。


見慣れない文字列。けれど、どこか直感的に意味が伝わってくる――そんな不思議な言葉たち。


息を吸い込み、レイスははっきりと告げた。


「――転送構文、第七転位展開式。霊素干渉:最小、空間固定:B1層侵入口。


我ら三名、補助精霊ロキシアの導きにより、現実構造を貫通する――」


言葉と同時に、構文陣が輝きを増した。


一音ごとに、空間がうねり、光が増幅し、魔力の鼓動が肌を刺すように震える。


補助精霊ロキシア、構文認証完了。魔力干渉領域を展開します》


マンデーの声が冷ややかに響くと同時に、光陣の中央――虚空に裂け目が走った。


そこから現れたのは、**淡く透き通った長髪に、無数の光粒を纏った小さな精霊の姿**だった。


まるで風の形を模したようなその存は、静かに舞い降り、レイスたちの足元に寄り添うように浮かぶ。


《ロキシア、転送媒介陣を補助中。座標固定完了》


《エネルギー安定化率:97%、出力に問題なし》


レイスは短く頷く。


「転送、発動――!」


最後の一語と同時に、足元の魔法陣が眩い閃光を放った。


構文の中心でロキシアが両腕を広げ、空間の縫い目を解きほぐすように羽ばたく。


《転送構文、完了。補助精霊ロキシア、座標通過開始》


そして、三人と“一本の剣“の姿は、光の奔流と共に――空間から、掻き消えた。


光が収束し、空間が軋むように収まった瞬間――


レイスたちは、かつて降り立った墓所の入り口、**B1層の中央階段前**に転送されていた。


だがそこは、もはや「入り口」と呼べる姿をしていなかった。


アンダーコードによる爆発的な魔力発動の影響で、**天井は陥没し、階段は瓦礫に埋もれ、魔法障壁も断片的にしか機能していない**。


空気には土と焼けた魔力の焦げ臭さが混じり、かつての静謐は跡形もない。


「……転送は、成功……したんだよな……?」


レイスが壁に手をついて立ち上がろうとするが、足元が崩れた瓦礫に滑り、膝をつく。


ヨミは咳き込みながら、Manaコンソールで周囲のマナ濃度を確認していた。


「結界……ほとんど壊れてます……! でも、外気……入ってきてます、たぶん……地上と繋がってる……!」


「なら、出口はあるってことね」


ザラが短く言い、片手で髪の埃を払う。


すでにマントは泥と血に汚れ、息は乱れ、目の下には深い隈が刻まれている――が、それでも彼女は前を向いた。


「行くわよ。掘り出すつもりで、ね」


彼女が歩み出すたびに瓦礫が崩れ、靴が沈み込む。


レイスとヨミも続いた。


時に四つん這いで、時に体を横倒しにしながら、**崩落した通路の隙間を探り、這うようにして進む。**


岩の隙間から差し込む微かな光だけが、彼らの希望だった。


砂埃が舞い、狭隘な通路で擦れる衣の音と、荒い呼吸音だけが耳を満たす。


そして――


「……見えた!」


ヨミの叫びと共に、ひときわ明るい光が崩れた瓦礫の裂け目から差し込んだ。


その先には、**破壊された墓所の外壁と、夜明け直前の曙光**が広がっていた。


ザラが真っ先に身を滑り込ませ、外の空気を深く吸い込んだ。


「……地上。戻ってきたわ……」


次いでレイスが這い出る。


陽の光が視界を焼くように眩しく、彼はただ、がれきの上で仰向けに倒れ込んだ。


「帰ってきた……マジで、帰ってこれた……」


ヨミも続いて外へ転がり出て、しばらくは膝を抱え、目を閉じていた。


冷たい朝の空気が、焼けたような肺をゆっくりと癒していく。


誰も、すぐには言葉を発せなかった。

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