騎士と卵

真朱マロ

第1話 卵と騎士

 朝が来る。

 慣れ親しんだルーティン通りに、エマは規則正しく目を覚ました。

 顔を洗い、長い髪を硬く編んで頭に巻き付け、身支度を整えてから、部屋を出る。独身寮の部屋にはキッチンがないので、城の食堂で朝食をとってから仕事場である植物園へと向かう。

 そのまま広い植物園の中で作業に没頭し、ちょっとした休憩時間と城の食堂での昼食が息抜きになるのが、当たり前に繰り返される。


 そんな代り映えのしない毎日が延々と続く日常だったが、今日はほんの少し違った。

 食堂に入って朝食のお盆を受け取ったところで、後ろから呼び止められたのだ。


「エマ、すまない。頼みがある」


 振り向くと、申し訳なさそうにシエルが立っていた。

 ふと、盆からはみ出しそうなシエルの朝食量を三度見してしまったが、気にしない事にする。

 背の高いエマが見上げるほどに健やかに育った幼馴染は、本気で困った顔をしていた。

 どんな厄介ごとだろう? と思いながらもエマは隣の席に着くように促した。


「この後はすぐに仕事なの。長引きそうなら、予定を合わせて後で話しましょう」


 他人を頼るよりも、自分で解決することを選びがちなシエルがわざわざ声をかけてくるのだから、これは重要で引き受けるべき案件だとエマは判断する。

 シエルは「あぁ」とうなずいた後で、煮え切らない表情で「いや、ここで」とぼそぼそと言った。らしくない様子に、エマはその背中を軽くトンと叩いた。


「任されたから、早く言ってよ」

「任されたって、まだ何も言ってないだろう」


「不用心だぞ」と始まりかけた小言に「要件は?」とかぶせて促すと、あきれ顔になったシエルは胸ポケットから布に包んだ小さな塊を取り出した。

 壊れものを扱う様な丁寧な仕草で布を開き、シエルは掌に乗せる。

 卵だった。大きさや形は鶏の卵に似ているが、色彩は見る角度で変わり、オパールのようにゆらめいていた。

 あまりの美しさに見入るエマの手に、シエルはそっと卵をにぎらせる。

 ふわりと卵から温かさが伝わってきて、エマは驚いた。

 生きている。これはいずれ孵化(ふか)する命だ。


「こいつが生まれるまで、預かってほしい」

「いいけど。ちなみに何の卵?」


 初めて見る色彩の卵なので、エマだけの判断で預かれるか少し悩んだ。

 植物に悪影響を与える種族のものなら植物園に持ち込む許可が下りない。

 とはいえ、とりあえず申請する算段を頭の中でつけていたら、シエルは困惑そのものの表情でボソリと言った。


「俺の神器」


 え? と零れ落ちた驚きを心の中だけにとどめたエマは、自分を褒めたかった。

 神器とは瘴気や魔物と対抗するために、守護神が授けた唯一無二の贈り物だった。


 人間を愛している守護神は、祝福と慈愛を形あるものに変えて、天敵である魔物たちと戦うための力を授けてくれると言い伝えられている。

 神殿で行われる正規任命式で祈りを捧げると、騎士には武器や防具、治癒師や医師には杖や腕輪や指輪といったものが定番と言われている。

 実際は神の気まぐれのように、決まった形式はなくて、武器以外にも靴や羽ペンといったイレギュラーもそれなりにあった。


 ただ、生きた卵は王国初の珍事だろう。

 孵化する前の卵ではどうしようもないし、壊さない事を優先すると騎士は訓練すら受けられない。


「うっかり落したぐらいじゃ傷つかなかったけど、戦闘訓練や肉弾戦でぶつかりあうと壊れると思う。はっきり言って俺では生まれるまで護り切れない」


 訓練や鍛錬に参加すると卵を壊すこと間違いなしで、どうしたものかと悩んでいたら、夢で女神の声を聞いたのだとシエルは言った。


「信頼できる者を頼れば良かろう、と女神はおっしゃった」


 なるほど、と目覚めてから納得したが、渡せる相手も難題だった。

 シエルに頼れる親兄弟はいないし、同じ騎士仲間に預けるぐらいなら自身で持った方がマシだ。

 一応は名目上の養い親として王妃殿下もいるが、書類に身元保証人のサインは義務でもらえても、神器を預けて「卵を孵化してください」と頼めるはずもない。

 詰んだ、と思ったところでエマの顔が浮かんだと、シエルは言った。


「エマは他人の持ち物でも、自分のモノと等しく大切にしていた。だから、俺自身で持てない場合、頼めるのはエマしかいないと思った」


 エマとシエルはいわゆる「女王陛下の子供」で、王家直属の孤児院出身だった。

 孤児の中でも才能やギフトの持ち主を集めて教育しているのだ。

 シエルは戦闘に関わる才能があるから騎士になり、エマは植物を育てる祝福持ちなので園芸師になった。


 幼馴染といってもベタベタした関係ではないし、同じ孤児院で育って、同じ年に成人したから、関わりは少なくとも仲間意識は強い。

 二人そろってヤンチャで調子に乗る子たちの暴走を止める役割になる事が多く、孤児院ではなんとなく一緒に行動していたため、気ごころは知れていた。

 他にも王城勤めの「女王陛下の子供」は何人もいるが、自分の命と等しい神器を預けられるほどかと自身の心に尋ねれば、今ひとつ信頼に欠ける。


 そんな風に不器用な言葉で語られ、エマは驚きで一瞬目を見開いたが、くすぐったい気持ちでその言葉を受け取った。


「わかった。私は基本的にこの食堂を利用しているから、見かけたら声をかけて」


 シエルも「わかった」とうなずいた。

 騎士は不規則勤務なので、食事ついでの近況報告ならば見通しが立つ。

 エマは食事時間も決まっているし、いちいち独身寮に先ぶれを出さずに済むのもありがたい。

 自身の神器であるから孵化まで預けっぱなしにする気はなかったので、経過を頻繁に伺える事も予想でき、エマの申し出はありがたいものだった。 


「助かる。卵については、本当に先例がないか調べてみる」

「そうね、まずは調べないとね。相談しながら育てましょう。じゃぁ、また」


 就業時間が迫っていることに気付いたエマは急いで朝食を済ませ、丁寧な仕草で卵を布で包むと、胸の内ポケットに大切に納めた。

 そのまま急ぎ足で立ち去るスラリとしたエマの背中に「またな」と声をかけて、安堵したような心もとないような気持ちのままシエルも立ち上がった。


 神器は自身の尊厳と等しい。

 心の一部を引きはがされたように、手放した喪失感がわき上がり、心もとなさが膨らんでいた。


 エマのことは信用しているし、信頼できる。

 家族であり、友人であり、頼りに出来る相手だと思っていた。 

 それでも、明確な他人だった。


 愛嬌のないエマと生真面目なシエルは就職してから接点が少なく、こうして顔を突き合わせて話すのも実は久しぶりのことだ。

 女神の信託があったから託したが、シエルは他人に頼むより自分で行動するのを好む気質なので、頼るという行為そのものが慣れない。


 通常、神器を授けられてから春までの数か月で、持ち主はその扱いに慣れ、春先の魔獣発生時期に備えるものだ。冬眠明けの獣のように、魔のものも動きが活発化するのだ。

 卵のままでは何もできる事がないので、早く卵が孵ればいいのに、と思いながらシエルも訓練へと向かうのだった。

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