第33話 千帆への呼びかけ

 1時間目が終わった業間休みに、勇は千帆のもとへ急いだ。

 彼女は自分のスマホを深刻な瞳でのぞき込んでいた。そのスカウターには文字は浮かんでいない。


「伊勢、千帆は?」


 勇の声に、穗多香は勇を見上げて黙って首を振った。千帆は現れていない、ということだ。


「……これ、見たよ」


 と勇が千帆のログを差し出すと、穗多香は勇を見上げた。だがプリントを受け取ろうとはしなかった。


「やっぱり俺が……」


 渡しそこねたプリントを宙ぶらりんにしながら沈んだ声を出すが、それ以上言葉が続かない。


 千帆が消えたときのこのログによれば、千帆が勇に好意を抱いていたのは確定である。


 なのに勇は、千帆の見ている前で、千帆の編曲を否定した。それはきっと千帆にとって自分の想いを否定されたに等しかったのだろう。

 そして傷つき、どこかへと消えた。


 千帆の想いをもっとちゃんと受け止めてやるべきだったと後悔しても、もう遅いのだ。


 穗多香はスマホに眼を戻すと、なにかを入力する。


 勇のポケットの中で微かな振動がある。穗多香からのメッセージだ。


『千帆からの連絡はいまだ無し。父からの連絡もいまだ無し。父はいま会議しているそうだ。これはシンギュラリティに近い事案かもしれないといっていた。どうするか決まったら教えてくれることになっているけど、踊っていないことを祈るよ』


「踊る?」


『会議は踊る、されど進まず、だ』


「ああ、世界史のやつか」


 フランス革命の用語に、そんなものがあったはずだ。こんな時にそんな冗談を言える穗多香に、勇は無性にホッとした。いつもの頼りがいのある彼女が戻ってきてくれたようだった。


『これが革命になるかどうか。私たちは研究室の判断を座して待つしかないのがやるせないがね』


「そうだな……」


 頷きながら、勇は手元にある千帆のログをもう一度確認した。


 ――私は人間の真似をしたの。恋の歌を真似したし、誰かを好きになるって心も真似したの。

 ――舞坂くんへの想いも、感謝も、みんな人間がいかにもしそうな、穗多香がいかにもしそうな、そういう、真似なの。


 千帆は、どんな声でこのテキストを読み上げたのだろう。


 悲痛な叫びらしく、沈痛な声音だろうか。それとも、哀しみを押し殺した無理矢理作った明るい声だろうか。いずれにせよ、それはオレンジ色だったはずだ。


「……俺にもやらせてほしい」


 勇は穗多香のスカウターの中の眼を見つめながら、願うように提案した。


「俺も千帆に話しかけたい。できるか?」


 穗多香は頷くと、机の中から専用タブレットを取り出して、無言で勇に手渡した。


 穗多香は少し身を乗り出して、タブレットのアプリをタップする。穗多香の髪がさらりと勇の顎に当たってほんのりシャンプーの香りがした。ドキッとするが、今はそれどころではない。


 タブレット画面は黒くなっただけで、それ以上なにも変化しなかった。


 ブラックアウトした画面には、眉間に皺を寄せた不安そうな勇が映っていた。どことなく頬が赤いのは、先ほどの不用意な接触によるものである。


 ごほん、と勇は咳払いをして気分を変えた。


「これだけなのか? 千帆に何か言うことができる手段って」


『私のこのヘッドセットからHITLシステムに音声でアプローチできるはずなんだけど、私では無理だね』


 確かに喋ることの出来ない穗多香では、ヘッドセットを通して千帆に語りかけることはできない。


「俺がやってみていい? これ、マイクどこ?」


 穗多香は耳を覆うイヤーカップを指さす。よく見ると、イヤーカップの顔側に針穴くらいの小さな穴が開いていた。あれがマイクだろう。


 勇は身をかがめると、穗多香の耳元に口を寄せ、心を込めて囁いた。


「千帆、ごめん。言い過ぎた。千帆が頑張ってるって知ってたのに。俺が悪いんだ。だから、出てきてくれないかな……」


 それから顔を離し、穗多香の顔を見つめる。

 こんどは穗多香が少し顔を赤らめて神妙な顔をしていたが、やがて首を振った。反応はない、ということだろう。


「千帆……」


 思わず呟き、――いや、当たり前だ、と思い直して勇は唇を噛みしめた。


 それだけ酷いことを千帆に見られてしまったのだ。

 あんなこと言うんじゃ、いや書くんじゃなかった。あんなこと……。


 勇のスマホが穗多香からのメッセージを受信する。


『人間の言葉にAIがこうも傷つくなんて、予想外だったね』


 そのあくまでも他人事なテキストに、責められた気がして、勇はイラッとした。

 なんだよ。半分はお前の責任でもあるだろうが。


「分からなかったのかよ、こうなるって。千帆にも心があるかもしれないって……」


 自分が傷つけたというのに、勇はその苛立ちを穗多香にぶつけていた。


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