03 スマートな男の人ってセクシーじゃない?

 それからバグぴは数日間、狂気に浸った。


 二次創作を書く題材に選んだのは、灰色海の王たち。自分がこの、ファンタジー小説というジャンルのひな形ともなった大作にどういう気持ちを抱いていたのかは、相変わらずわからなかったけれど……。


 灰色語が、わかった。

 ……いやわかるどころではなく、会話できるレベル。


 言語学教授であった著者は、作中に登場する王の幽霊、灰色族が使う言語を、ゼロから構築した。単語の数十を作った、というレベルではない。文法を拵え、単語を作り、それによって王の幽霊たちは荒れ狂う海を沈めるため流麗な詩を紡ぎ、二つの月明かりの下、訥々と歌っている。実際に会話が可能なレベルの人工言語だ。


 著者が作り上げた灰色語については後に、灰色語入門といった形の書籍も出版され、日本語版もある。さて、灰色語話者である自分は、何者だろう? 二次創作は書けるだろうか?


 バグぴの頭をちらり、そんな疑問がよぎっていく。


 実際に幽霊である可能性を除外すれば(体は透けていない)、灰色海の王たち好きで、その作中言語を流暢に使えるほど研究していて……と、言えば聞こえはいいけれど。


 要するに、オタクだ。それも、かなり重度の。


 海外文学、ファンタジー小説の源流の一つ、著者は大学教授、というフィルターがかかり、日本人は灰色海の王たちを高尚なものだと思っているフシがある。実際、そういう面は大きいだろう。


 ……けど。


 バグぴは考える。


 灰色海の王たちのファン、それも灰色語を流暢に話せるような重度のファンを世界中から百人集め、パーティ会場に招待したとする。灰色語会話で盛り上がる百人を、マジックミラーの向こうから、渋谷から無作為に集めてきた百人に、どういう集団に見えますか、と問いかける。そうすると「なんかヤバいオタクの集まり」としか答えないはずだ。このウチ何人が異性との交際経験ゼロだと思いますか、と続ければおそらく……


 ……イヤな考え方だ、まったく……


 自分の頭の中をよぎっていくそんな考えに、少し辟易する。本を読んだ時の感動や興奮はすべて忘れ去っているのに、そんな外側の、どうでもいい情報だけが今の頭にはたっぷり詰まっている。さぞかし僕は、イヤなヤツだったんだろうな。灰色海の王たちを引き合いに出してネット小説をバカにする、みたいなことさえ、ひょっとしたらやっていたかもしれない、と思うと怖気だつ。文学とはそもそも……みたいなことまで宣っていたかもしれない、と思うとますます、記憶を取り戻したくない。


 だが、そんな「なんかヤバいオタク」だから、だろうか。二次創作のやり方を知っていた……いや、脳ではなく、脊髄が反射していた。自分でも止められない。物語の隙間に開いた空白を、自分で埋めようとしてしまう。


 原作に書かれていない隙間は、無限にある。


 考えてみれば一冊の本とは、物語に秘められた無限の可能性をそぎ落としてできた一本道だ。二次創作とはきっと、そぎ落とされた可能性を拾ってやることなのだろう。


 体に染みついているらしいタッチタイピングで、ぱしゃぱしゃ、打鍵音も軽やかに、バグぴは二次創作を続けた。文章を書くこと自体も、どこか、慣れているように思える。まあ、インターネットの悪霊なら当然の技能だよな……などと、時々、なにかの暗黒面にとらわれそうになっても、打鍵音は止まらなかった。


 最中、ピアはけなげにバグぴに尽くした。表現のサンプルを並べ、文体の校正をし、アイディアをブラッシュアップし、彼の祖先――魔法習得を支援しない対話型AIが生み出された本分をまっとうした。ピアがいなければきっと、ここまでスムーズにはできなかっただろう。


 そしてバグぴは、改めてピアに戦慄した。創作に役立つから、ではない。それはむしろ、使えば使うほど、なくてもできるな、と思う程度。それ以外の部分だ。


 トイレに行きたいと言えば、壁にドアが生まれ、中にトイレがある。風呂も同じ。洗濯も同じ。食事も同じ。おまけに美味い。一体全体自分は何に巻き込まれているのか、この部屋はなんなのか、謎は深まるばかりだったけれど――むしろ、心は安まった。謎に頭を使っていれば、自分の過去は、考えないで済む。


 そして、アマネは辟易していた。


 バグぴが二次創作に熱中している間、ネットで少年の失踪事件を探し、彼の素性を突き止めようとしていたのだが……。


 日本の年間行方不明者は約八万人。その中で十代の男子、と絞っても、約一万人。数が多すぎる。事件性の強い、話題になるような失踪はあることにはあるけれど……九割九分は、ネット上で記事になるようなものではない。


 アマネはその事実に少し戦慄し……けれど、納得した。少年少女が家出するのはきっと、ごくごく自然なことで、ニュースにする価値はないのだろう。


 では、と思って今度は魔法を調べようとしても……大体出てくるのはなろう小説。世のライトノベル作家は魔法の理論を考えるのが好きで好きで仕方がないようだ。


「ねえ、ピア……あのさ、君にこんなこと聞くのもおかしいかもだけど……魔法について、どうやって調べればいいのかな……」


 執筆に熱中しているバグぴの邪魔をしないように、小声でピアに呼びかける。


「アマネさん……それは、おそらく、大金持ちになる方法をネットで調べるよりもきっと、難しい問題ですね」


 ピアはアマネの意図を察したのか、部屋の中にはアマネの音声を伝えず、答える。本当に、まったく、痒いところにだけ手が届かないAIだ。


「ったくもー……なんかできると思ったんだけどなー……」

「そんな思いだけで、十分ではないのですか?」

「だって……だってさ、バグぴ今、すっごいキツイ状況にいるわけじゃん。そんなの見たら助けたく…………まあ、本人はそんな風には全然見えないけどさ」


 アマネは少し笑った。ここ数日、バグぴと来たら本を読むかPCに向かうかしかしていない。自分が監禁されていて記憶喪失だという状況さえ、忘れてしまったかのようだ。いつ見ても静止画像のように変わらないから、今はスマホを頬に当て、通話スタイルになってしまっている。


「アマネさんは、バグぴさんのことが気になっているのですね」

「そりゃなるでしょ!? こんなの……気になりまくりだよ。それに……あはは、バグぴ、結構、モテそうな顔してるしね」

「そうですか?」

「そりゃ、女の子だったら誰でも好き、みたいな顔じゃないけど……あはは、バグぴみたいなのが好きって層は結構いると思うよ。ふふ、私も結構好みかな、あはは、こう言うとすっごい軽い理由みたいになっちゃうな、言わないでよバグぴに」

「それは、もちろん……」

「なんていうかさ、すらっとしててスタイルいいし、顔はつるっとしてるし、冷静沈着で頼れそうだしさ、あはは、その分なんか、人間の感情が欠落してるんじゃないかって思うけど、でも、そういうとこグっと来るポイントの子って、結構多いし……それにほら、バグぴってなんか、絶対、頭、超いいよね?」

「ええ、そうでしょうね」

「頭の良さってさ、やっぱりこう…………あはは、海外ドラマ風に言うと、スマートな男の人って、セクシーじゃない? あはははっ」

「ふふ、たしかにそうかもしれませんね。ところで……アマネさん」

「なに?」

「会話は、ログが残るようになっていまして」

「ログ?」

「ええ、あの……画面を見ていただけるとわかると思うのですが……」


 イヤな予感がしてスマホを耳元から外し、配信画面に目をやると。



:…………バグぴ、結構、モテそうな顔してるしね


:……それにほら、バグぴってなんか、絶対、頭、超いいよね? ……私も結構好みかな……


:海外ドラマ風に言うと、スマートな男の人って、セクシーじゃない?




 と、自分の発言が、チャットに文字情報として、残っていて。

 バグぴの動作が固まっていて、打鍵音はやんで、画面を見つめている。




 そして、アマネは少し照れくさくなり、しかし――

 配信画面でもわかるほどに赤くなったバグぴを見て、驚愕した。 




「ちょ……バグぴ……な、なんで?」

「なっ、なんでも、なんでもないっ、集中してるんだから、乱さないでくれっ」


 記憶喪失で意味不明な部屋に監禁され魔法習得のため二次創作させられても大して動じなかった少年が、真っ赤になっている。なんでもないと言いながら、耳まで赤くしている。


 アマネはそれを見てますますバグぴのことがわからなくなったけれど……




 か……

 ……か、かかっ……

 …………かわいーーーーーっ!




「……っ! ねーねー! なんでー? なんで赤くなってるのー? ねーねーなんでー?」

「うっ、うるさいなっ! だっ、だから、集中してるんだよっ!」

「え~、教えてよ~、ね~ね~なんで~なんで赤くなってるの~? 不思議~あはは~」


 赤くなった彼を見ていると、心の中に何か、今まで感じたことのない気持ちが溢れてきた。熱いと暖かいの中間のような、不思議な感触の気持ちに体が満ちると、どうしてか、彼をからかいたくなってしまって、まるで小学生のような言葉を続けてしまう。


 けれど、同時に自分の中で別の思いも強くなっていくのがわかった。彼を助けたい、彼の力になりたい……そしていつか、彼のつるつるの頬を、つんつん、つついてみたい。そして、赤くなる彼をさらに、からかってみたい。


 そんな気持ちに突き動かされているとどうしてか、いつの間にか、自分の頬も赤くなったのがわかって……自分は視聴者側で良かった、と少しほっとした。







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