閑話:怪物の子は怪物
「うん、やっぱり惜しいね」
「………旦那様」
「安心してよ、セルリック。この誓約書を反故にするつもりは無いからさ。血判付きを一方的に破った結果何が起きるのかなんて、馬鹿でも分かることでしょ?」
レルフィニシア辺境伯家の執務室。
太陽が沈み月が空に浮かんで暫くが経った頃のその部屋で、今日という貴重な時間の全てを使い潰して
目の前に広げたルドスの持ってきた手札、そしてその果てに親と子ではなく二人の人間として結び血判を押した誓約書に目を通していく。
「いやー、でもあっちの育て方は失敗したかな? 一時の感情、目先の利益だけで動くなって教えてきたはずなんだけどね」
「……先に決めておけばよろしかったのでは?」
「それを言っちゃ終わりだよセルリック。あの子たちには真意を見抜いて、奪い合って、蹴落とし合って、証明して欲しかっただけなのにさ」
「……あれだけ、ルドス様を連れ歩いていてですか?」
「くひっ。可愛い可愛い愛息子を自慢して歩くのは普通でしょ? 偶々、誰の目から見てもあの子が後継者のように見えていただけさ」
「…………悪癖は変わりませんね」
「これが僕だぜ? ま、残念ながら負けちゃったけどね」
辺境伯は笑い、並べられた机に座って書類処理をしている初老の執事は、呆れたように溜め息を吐きながら書類と対面する。
「いやー、惜しいなぁ。ルドスが居ればレルフィニシア辺境伯家は侯爵、いやもしかした王族に名を連ねられたかもしれないんだぜ? 今からでも、懇願しに行ってみようかなぁ?」
「……お止めになられた方が良いかと」
「そう? まぁ、そうだろうね。ルドスは人間が死ぬのに価値を見い出さないし、血縁者が邪魔をするなら普通に殺してくるだろうね」
「…………殺される程度で済むなら、大事にならないかと」
「へぇ、何か知っているみたいだね? 教えてよ」
「……はぁ」
「さぁさぁ、早く早く」
「ルドス様の有される神の力。あれを利用して他者を傀儡化、成り代わり、支配と呼ぶことが出来るであろう事象を引き起こせます。
私が知っている限りでも二十四人、内二十人は各所の重役かそれに近しい人間が対象となっております。あくまで私が調べ、メイド長がルドス様から聞くことが出来た範囲での話にはなりますが」
「……ヒュー、やるね。じゃあ、調べてみようかな?」
「藪蛇を好んで突く必要性はないと思いますが?」
「藪蛇じゃないから突くのさ。ま、死にはしないさ」
**********
レルフィニシア辺境伯家。
ノルビスク王国の西の辺境を統治し、王国の貿易事業の三分の一を独自の管理下に置くことが出来る特権を有している大貴族。
そのため位は辺境伯であるがその実権は公爵に相当し、上から命令という形で指示を下すことが出来るのは国王とその側近である宰相のみである。
それ故に歴代のレルフィニシア辺境伯は怪物と呼称され、その呼び名に相応しく代々家名を継いできた当主たちは確実に自らの支配を拡大させてきた。
当代のレルフィニシア辺境伯も同様に怪物である。
上申を行い許可が出た西側諸国との外交を進め、王国との同盟関係を構築と拡張を繰り返し、管理下にある貿易事業を拡大していった。
その副次的な要因として西の辺境以外での貿易事業も拡大したがため、割合で言えば三分の一ではあるが実態として見るのならば、当代が引き継いだ時の凡そ三倍の規模の貿易事業を単独で管理下に置いていることになる。
その怪物辺境伯には三人の息子がいる。
長男である一人目は貴族らしさを兼ね備えた優秀な男児。
何か特出したことがある訳でもない、貴族らしい性格に貴族らしい考え方を持ち、同世代と比較した上で優秀だと言える程度の実力を持つ。
怪物と呼称することが出来るだけの実力は有していないが、仮に次代の辺境伯として地位を引き継いだとしても問題はないと見て取れる。
少なくとも愚物ではない、だが同時に怪物の器でもない。それがレルフィニシア辺境伯に従っている貴族、その内伯爵以上の家格を有する者たちの評価である。
尚、長らく決めていなかった婚約者に十歳も年齢が下の未熟な伯爵家の令嬢を召し上げたことにより……一部の家からは次代の辺境伯としての格を疑われている。
とはいえ、優秀なのは優秀。
少なくとも傀儡にされることもなければ、無様に喰い散らかされることもない。
実力の差が圧倒的でもなければ、公爵家相当の実力を有するレルフィニシア辺境伯家の当主としては最低限の実力はあると言って良い。
その一点に関しては現当主も肯定する。
次男である二人目は貴族の当主の器ではない。
謀が入り混じる貴族の世界で生きていくことが出来るような性格や性質ではなく、本人の考え方もまた貴族の当主として見れば不安となる要素が多い。
だが謀が入り混じらない世界、力と覇気と恐怖が絶対的に必要となる世界を支配する王として見れば、並び立つ者がいないだけの才覚を有している。
表も裏も全てを読み切って踏み躙る必要性がある貴族社会では生きられない。だがそれらを一切気にすることなく力で抑えつけ、覇気で支配して、恐怖で統率する、それが必要となる王の器を有している。
それ故に、関わりを持った一部の貴族の嫡男たちは当主として優秀止まりな長男を引き摺り落として彼を新たな当主とするべきだと考えている。
しかし、本人には当主になる気も王になる気もない。
王国の東にある帝国の皇女との古い繋がりを大切にし、王国内でするべきことを全てした後に帝国へと婿入りをする予定であるからだ。
大なり小なり思惑という物が周囲にはあるが、当人たちは相手に自らに無いものを求めて惹かれ合う、言うなれば本能的な恋と愛に堕ちている。
そのため、近い将来辺境伯家は次男を家名から喪失することになる。
そして末の子であり三番目。
辺境伯の一夜の過ちによって生まれた正しい出生ではない子供であり、現辺境伯から愛息子と呼ばれている特別な子供。
その性質、性格、考え方を言語化するのならば怪物。優秀という言葉では決して収まり切らない才覚を有し、現辺境伯の後を継ぐ格を持っているとその才覚を知る人物からは考えられている存在。
与えられた教育の全てを十全に飲み込み、与えられていない事柄すらも十全に近いだけの状態で取り込み、成長を重ね続けている化け物。
それ故に現当主は愛息子と他の二人の子供に対して扱うことのない呼称を行う。その上で弱みにしかならないというのに自身の仕事へ同伴させ、本来なら作る必要がない一日という時間を一人のためだけに作る、叶える理由も必要性もない願いを叶えるために血判を用いた正式な誓約を結んだ。
それをした理由はただ一つ。末の子である彼が現当主にとって誰よりも愛しい息子であるから。
当の本人は平穏な自由を望んでいる。
貴族としての在り方から離れ、思うがままの生き方をしたいと思っている。
それを成し遂げるためならば何を犠牲にしても良く、立ちふさがる生涯の全てを薙ぎ倒していくそんな覚悟を抱きながら。
**********
「さてさて、あの子はどんなふうに飛ぶんだろうねぇ」
執務室の天井を見上げながら、辺境伯はそう言葉を紡ぐ。
子は何時でも籠の中の鳥であり、一生をそこで費やすのかそれとも籠を打ち破って自らの翼で空を飛ぶのかを選択する。
長男は籠の外を見て籠の中にいることを選択し、次男は籠の外に抜け出して比翼連理を成すことを選択した。
そして、愛息子であるルドスは籠を破壊した。
加護の中の鳥で居続けることに妥協せず、自らの力で籠を打ち破り先も果ても見えない世界へとその体を飛ばす道を選択した。
そこから先どのように飛び、どのような結末を迎えるのか辺境伯には分からない。
だからこそ、面白い。
考えも付かない未知が其処にあるからこそ、面白い。
「……あぁ、でも惜しいなぁ」
「…………旦那様」
「口に出すだけならタダだよセルリック。それに理解出来るでしょ? ルドスはレルフィニシアの家名を背負って支配を広げるに足る器だっていうのは」
「……であれば、お伝えすれば良かったのでは? ルドス様が旦那様の後を継ぐ次代の辺境伯であると」
「それはね、考えたよ。でも伝えたとしてもルドスは止まらないよ、僕が誰に何を言われても止まることなくこの場所に立った時のようにね」
「でしたら、大人しく諦めてください。未練がましく言葉を吐き続けるようなら、私も
「それは、嫌だね。ていうか二人だけなの?
「全ての責務を果たし終えたその時に暇を頂くと。おそらくはルドス様が正式に家名を除されるその時でしょうね」
「引き抜かれちゃったって訳だ。まぁ仕方ないね、僕よりもルドスの方が主としての器に相応しかったってだけだし、あの子にはその感情を押し殺してまで付き従うだけの価値を見い出せなかったって話だからね」
「…左様ですか」
「そうだよ。薄々理解してるでしょ?」
「……発言は控えさせていただきます」
「それはね、言ってるような物だよセルリック」
辺境伯とその側近が言葉を交わしながら夜は過ぎ次の朝を迎える。
享楽に耽り、ただ悪戯に時間を過ごす生涯訪れる事はないだろうと考えていた一日を過ぎて、いつも通りの策謀が廻る世界へと辺境伯は戻っていく。
もう一度同じような日を迎える事はないだろうと思いながら。
そうして迎えた翌日の朝。
セルリックが仕事を回そうとしたそのタイミングで執務室に来訪したルドスの話によって再び仕事を投げ出して悪戯に時間を過ごす一日が訪れることになる。
「心底楽しませてくれるね、あの子は」
「……楽しまれているなら、なによりです」
「そう? じゃあついでに付き合ってくれない? 一人で飲むのも楽しいけど、寂しさはあるからさ」
「仕事がありますので遠慮しておきます」
「残念、じゃあ頑張ってね」
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