『妖を生む屋敷』


「あんきょうこうろ、とは、なんですか?」


 怒鳴られるのが怖くて、鏡月は囲炉裏を挟んで立ち尽くしながら紫丁へ問い掛けた。

 もしかしたら答えなど返って来ないかもしれないと思っていた。


 紫丁は寝ころんだ姿勢からまったく起きる気配がない。

 いつも我関せずの姿勢で、夕餉を作ると寝ている。

 本当は寝ているわけではないということは鏡月にも分かっていたが、 だからこそ、不思議に思っていた。

 関わりたくないと無言で主張しながらも、定期的にやって来る紫丁のことが。面倒くささを隠そうともしないくせに、それでもついて来てくれることが。だから、


「オレたち妖の通り道のことだよ。人の道とは違うからな。どこにでも割と短時間で向かえる」


 舌打ちをしかねない口調で答えてくれたことに、驚きを覚えると共にやっぱり教えてくれるのだと安堵する自分もいることに気が付いた。


「それは、わたしにも通れますか?」

「独りで通って目的地にたどり着くことはまず間違いなくねぇし、道の中で迷ったところで他の妖連中に捕まって食われるのがおちだな」

「じゃ、じゃあ! 玄劾さんは?!」

「あいつらが一緒だから襲われやしねぇよ」

「でも、行きつく場所は? 行きつく場所は大丈夫なんですか?」

「……………」


 沈黙が鏡月の不安を一気に膨らませた。


「紫丁さん! 行きつく場所は大丈夫なんですか?」

「…………どうだろうなァ。なんたって向かった先が《蟲毒の屋敷》だからな」

「それは、どんな怪異なんですか?」


 ドッドッドッドと鼓動が鏡月の耳についた。

 不安が足元から這い上がり、背中から覆い被さる。

 ひやりとする。ぞわりとする。体が重く、息が苦しかった。

 聞きたいようで聞きたくない、相反する気持ちに具合がとても悪くなる。

 答えて欲しいが答えて欲しくない。

 そのまま無視して欲しいと思いつつも、教えて欲しいと思う。

 どちらを本気で望んでいるのか分からない。分からない。

 分からないまま不安に苛まれていると、紫丁がその身をゆっくりと起こした。

 鏡月の方を向いて胡坐を組み、片膝に片肘を乗せ、手のひらに頬を乗せ、ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべて鏡月を見る。


 目が合った瞬間、鏡月は自分が踏み入ってはいけない場所に足を踏み入れたことを後悔した。

 これはろくでもないことを知らされると本能的に察する。

 実際、間違いなどではなかった。


「《蟲毒の屋敷》ってやつは、言うなればオレたちのような妖を強制的に生み出す怪異だな」


 紫丁の眼が言っていた。今更説明を止める気はねぇぞ――と。


「てめぇみてェな、オレたち妖や《物の怪》の連中が視えたり引き付けるガキどもを大量に攫って来て閉じ込めて、それに引き寄せられて来た《物の怪》どもを囲い込んで《共食い》をさせるんだよ」

「と、共食い?」

「そうさ。《物の怪》はそうやって共食いを繰り返して力を付けて《妖》になり、妖はそいつらをさらに喰らって強くなる。オレたちはそういう存在だ。だから、喰われたくない連中は逃げ隠れするんだよ。でもな、《蟲毒の屋敷》に一度でも取り込まれりゃ逃げ出すことは不可能。強い強い結界が張ってあるからな、逃げたくても逃げられねぇ。隠れ場所もねぇ。生き残るためには相手を喰らわなけりゃならない。そして最後に生き残った一匹が《物の怪》たちの頂点。妖として生まれ変わり、集められたガキどもを喰らう資格を得る」

「え?」

「オレたちが視えるガキどもってのは、オレたちが視えねぇ普通のガキどもと比べると、格段に力を強めるからな。ましてやガキの肉は柔らかくて美味い。集められたガキどもは言葉通りの《餌》なんだよ。それにまんまと引き寄せられる《物の怪》たちにしても、いい迷惑だ。

 故に人からも《物の怪》たちからも恐れられている。それが《蟲毒の屋敷》って呼ばれてる怪異さ」

「で、でも、あの女の人はそこから逃げ出したって……」

「ああ。俄かには信じられねぇが、十数年に一度ぐらいの頻度でそんな奴もいるみてぇだからな。相手を喰らって力を付けて、一瞬の隙をついて逃げ出す奴が。だが、代償はでかい。むしろよくここまで持った方だ。よほどの執念だったんだろうな」


 そう言って、紫丁は何が面白いのか『ククク』と笑った。


「可愛い可愛い我が子を救ってもらいたい一心で共食いを繰り返し、その身と引き換えに助けを求める。寄りにも寄って玄劾に」


 ぐさりと突き刺さった視えない刃に傷ついたところに、頭から冷水を浴びせられたような悪寒を覚える。


「そ、んなに、強いんですか?」

「まあ、強い……んだろうが、黒蝶花と王華が向かったんなら、よほどの無茶をしねぇ限り玄劾だって死にはしねぇだろ。昔と違って色々克服しただろうし、初めての依頼でもねぇからな」


 死――と言う単語を聞いて、鏡月は崩れ落ちるように床の上に座り込んだ。

 自分を助けてくれた玄劾が死ぬかもしれない。

 二度と帰って来てくれないかもしれない。

 自分はまた、独りになる――

 嫌だった。取り残されるのは嫌だった。


「――きたい」

「あ?」


 紫丁の顔からふざけた笑みが消え失せる。


「わたしも、玄劾さんのところへ、行きたい……です」

「はあ?」


 低い声で凄まれる。


「てめぇヒトの話聞いてなかったのか? 《物の怪》が視えて引き付けるガキは格好の餌だって言ったよな? ましてやてめぇは《白木の者》だ。近づいただけで取り込まれるぞ?」

「それでも! わたしは独りになりたくないのです!」


 癇癪を起したかの如く両手をバンと床に打ち付ける。


「行ってどうする」


 冷え切った侮蔑の声にびくりと体が震えた。


「何の力もねェてめぇが行って、一体何の役に立つ。立つわけねぇだろ。むしろ足手纏いだ。

 一体何のためにあいつがてめぇを置いて行ったと思ってる? 守るためだろうが」


 そんなことは解かっていた。解かってはいたが、


「それでも、嫌なんです!」

「ほう……」


 紫丁の眼がすっと細められた。


「それでも独りになるのは嫌なんです」

「ふん。ただのガキの我がままか」

「否定は、しません。迷惑になるのも分かっています。危険なのも分からないわけではないのです。それでも、見えないところで玄劾さんがいなくなるのは嫌なんです。近くまででいいのです。せめて見えるところにいたいのです!」

「ふ~ん」


 鏡月の精一杯の想いに対して返って来たのは気のない返事だった。

 鏡月は、下唇を噛んで顔を上げた。上げて、紫丁を見た。

 紫丁は、恐ろしく冷めた眼で鏡月を見ていた。

 蛇に睨まれた蛙と言うのは、このような心境のことを言うのかと身に染みる。

 息をすることすら躊躇われるほどの圧力だった。


 全身が心の臓になったかのようにどくどくと脈打っていた。

 眼が逸らせない。息が出来ない。怖い。怒られる。いや、怒鳴られる。しごかれるかもしれない。無言が何よりも怖ろしかった。

 だからこそ、フッと突然紫丁が笑みを浮かべた意味が分からなかった。


「ふ、く、くくく、何だよてめぇ。くくく、面白れぇな」

「え?」

「面白れぇよ。足手纏いにしかならねぇことを承知で、一丁前に自分の意志を貫くか。その傲慢さ。身勝手さ。ガキでも人か。いいぜ」

「え?」

「連れてってやるよ、《蟲毒の屋敷》に」

「でも……」

「なんだよ。行きてェんじゃねェのかよ」

「いえ、行きたいです! でも、どうして突然」

「は? 別にてめぇのためじゃねェよ」


 戸惑う鏡月を鼻で笑い飛ばし、紫丁は立ち上がると伸びをした。


「オレだってこんなところでガキのお守りなんて真っ平ごめんだって話なだけだ。あいつは言った、てめぇを頼むってな」

「でも、玄劾さんはここで留守番だって……」

「だな。でもオレは返事なんてしてねぇぜ?」


 得意げに返されれば、鏡月は何も言い返せなかった。

 確かに紫丁は了解の返事をしていない。


「それでもまぁ、てめぇのことは守ってやらんでもねぇが、だからこそ、別にここで守る必要もねぇだろ」


 紫丁の言い分に、鏡月はポカンと呆気にとられた。


「んだよ。行くのか、行かねぇのか。どっちだよ」


 途端に不機嫌になる紫丁に、


「い、行きます。行きます。連れて行ってください!」

「ああ、任せろ。オレが連れて行ってやるさ。かつて玄劾も攫われた《蟲毒の屋敷》にな」

「え?」

「まぁ、とりあえずは《暗鏡行路》無事に通り抜けられるかが問題だ――根性見せろよ?」

「え?」


 ニヤリと人の悪い笑みで見下ろされ、問い返すきっかけさえ奪われた鏡月は、頬をひくりと引き攣らせた。


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