第14話「二重の生活と芽生えた想い」
――雪解けのように、静かに日常が戻り始めていた。
ダンジョンでの氷神との邂逅、そして自我を失いかけた暴走。葵たちの奮闘によって澪は無事回収され、短期の隔離・回復措置を受けたのち、日常へと復帰した。
もっとも、表向きは――である。
◆
澪は、氷神の力を解放し、暴走の末にボスを討ち果たした。
だがその代償は大きかった。
力の余波により完全な自我を保てず、周囲を凍てつかせる神の権能――氷神の力。
その制御は、未だ遠い。
(……私が、この力を求めたから)
氷神との対話の末、澪はその存在と共に生きることを選んだ。以後、氷神は澪の頭の中に存在し、時折語りかけてくるようになる。
『……そなたの願いに応じたまで。我は、澪の力なればこそ』
そして澪は、回復後すぐに葵と再会することとなった。
「あ、葵……」
その瞬間。
――カチリ、と何かが入れ替わる。
澪の瞳がわずかに光を宿し、声色が変わった。
「貴様が、葵というか……我が澪に、過分に触れすぎておるのではないか?」
「……氷神」
葵は即座に構えたが、その体からすぐに力が抜ける。澪が自力で制御を取り戻したのだ。
「ま、待って! 今のは……違うの、私じゃなくて……」
「澪……」
その時だった。
「わ、私は……葵が……その、い、一番、大事だから……っ!」
場が静まった。
澪は顔を真っ赤にして口を押さえる。
「……今、なんて?」
「な、なんでもないっ……!」
葵は平静を装おうとしたが、その頬がわずかに染まっているのを澪は見逃さなかった。
――この人の前では、心がざわめく。
それが恐ろしくもあり、嬉しくもあった。
◆
そして、一日だけの休息。
澪は学園へと戻ってきた。
"氷華"のコードネームも、今は凍結された記録の一部。
彼女は今、ただの生徒として――孤高の花として、教室の片隅に座っていた。
「……ふぅ」
窓際でノートを開き、静かにペンを走らせる。
周囲の級友たちは、試験前の雰囲気に包まれていた。
(この公式は……変数をこう処理して……)
『……この程度の学びが、そなたに何をもたらすのか。だが、よかろう』
(うるさい……今は静かにしてて)
澪の心に囁く氷神の声。
だが彼女は無表情を保ち、勉学に集中する。
隣の席から、小さな声。
「澪さん、これ次の演習問題なんだけど」
西條優里。
おっとりとしたクラスメイト。
「ん……いいよ」
澪は無造作に頷き、優里のノートを覗き込む。
(……冷気は制御できてる。大丈夫)
授業の合間。
図書館の片隅で、一人きり。
『そなたは、我を選んだ。後悔は、しておらぬな?』
(しないよ……でも)
脳裏に浮かぶのは、あの瞬間の葵の顔。
そして、自分の口から漏れた言葉。
(私は……何を望んでるの?)
ページをめくる指先が、ほんの少しだけあたたかさを取り戻していた。
◆
夜。
澪は書斎にこもり、氷神の力の由来を探っていた。
古代神話、未解明のダンジョン生成理論、各地の封印伝承。
そして――
『我は遥かなる古より、人の歩みを静かに見守りし存在なり。氷の加護をもって、己が意志を示す者に力を与えん』
氷神の語る過去。
それは、はるか数千年前より存在する“原初の神格”のひとつ。
『ダンジョンを創りし者らは混沌を撒き、淘汰を望んだ。我は――ただ澪、そなた一人を護らんと欲す』
(……知りたい。あなたのすべてを)
澪の指先は、一冊の古文書で止まる。
そこにはこう記されていた。
――《氷の巫女は、白き神と共にあり。その目覚めは、凍てつく理の扉を開く》。
『それは、我が記憶の残滓……綾理の物語なり』
神に選ばれし少女と、千年を超えて見守り続けた存在。
その真実に、澪の胸が静かに高鳴った。
さらに、澪は古書の中に一枚の挿絵を見つける。
それは、長い銀髪の巫女と、その隣に寄り添う氷の女神。
巫女の名は「綾理(あやり)」――澪の遠い先祖とされる女性だった。
『天霜祀神(アマシモツカミ)――それが我が名なり』
その名を口にした瞬間、澪の頭の中に荘厳なる声が響く。
『そなたのご先祖は、実に優しく穏やかであったな。慈愛と愚直が混じりし、実に愛しき者であった』
澪はさらに深く記録を読み進める。
巫女・綾理は争いに巻き込まれた村を氷神と共に救い、白き神の祝福をその身に宿した。
その祝福こそが、澪の銀白の髪、氷の適性の証。
『……そなたの血には、綾理の残した想いと、我が恩寵が流れておる』
だが、神はふと声を曇らせた。
『故にそなたを見守ってきた。それでも、そなたにとって我は……不要のものなのか?』
『違う、私は――』
『我は、ただ綾理の血を継いだ澪を護りたいのみ。されど、他の者へ心を向けるたびに……胸が凍えるのだ』
氷神・天霜祀神は、澪に対して深い執着と愛着を抱いていた。
『我は……澪のすべてでありたいのだ……』
澪は静かに呟いた。
「……ありがとう。私を、守ってくれて」
その言葉に、氷神は一瞬だけ沈黙し――そして再び、微笑んだように感じた。
『ふふ……ならば、我だけを見ておれ。澪』
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