第14話「二重の生活と芽生えた想い」

――雪解けのように、静かに日常が戻り始めていた。


ダンジョンでの氷神との邂逅、そして自我を失いかけた暴走。葵たちの奮闘によって澪は無事回収され、短期の隔離・回復措置を受けたのち、日常へと復帰した。


もっとも、表向きは――である。



澪は、氷神の力を解放し、暴走の末にボスを討ち果たした。

だがその代償は大きかった。


力の余波により完全な自我を保てず、周囲を凍てつかせる神の権能――氷神の力。

その制御は、未だ遠い。


(……私が、この力を求めたから)


氷神との対話の末、澪はその存在と共に生きることを選んだ。以後、氷神は澪の頭の中に存在し、時折語りかけてくるようになる。


『……そなたの願いに応じたまで。我は、澪の力なればこそ』


そして澪は、回復後すぐに葵と再会することとなった。


「あ、葵……」


その瞬間。


――カチリ、と何かが入れ替わる。


澪の瞳がわずかに光を宿し、声色が変わった。


「貴様が、葵というか……我が澪に、過分に触れすぎておるのではないか?」


「……氷神」


葵は即座に構えたが、その体からすぐに力が抜ける。澪が自力で制御を取り戻したのだ。


「ま、待って! 今のは……違うの、私じゃなくて……」


「澪……」


その時だった。


「わ、私は……葵が……その、い、一番、大事だから……っ!」


場が静まった。


澪は顔を真っ赤にして口を押さえる。


「……今、なんて?」


「な、なんでもないっ……!」


葵は平静を装おうとしたが、その頬がわずかに染まっているのを澪は見逃さなかった。


――この人の前では、心がざわめく。

それが恐ろしくもあり、嬉しくもあった。



そして、一日だけの休息。

澪は学園へと戻ってきた。


特殊災害対応部隊セクターCのことは決して知られてはならない。

"氷華"のコードネームも、今は凍結された記録の一部。


彼女は今、ただの生徒として――孤高の花として、教室の片隅に座っていた。


「……ふぅ」


窓際でノートを開き、静かにペンを走らせる。


周囲の級友たちは、試験前の雰囲気に包まれていた。


(この公式は……変数をこう処理して……)


『……この程度の学びが、そなたに何をもたらすのか。だが、よかろう』


(うるさい……今は静かにしてて)


澪の心に囁く氷神の声。

だが彼女は無表情を保ち、勉学に集中する。


隣の席から、小さな声。


「澪さん、これ次の演習問題なんだけど」


西條優里。

おっとりとしたクラスメイト。


「ん……いいよ」


澪は無造作に頷き、優里のノートを覗き込む。


(……冷気は制御できてる。大丈夫)


授業の合間。

図書館の片隅で、一人きり。


『そなたは、我を選んだ。後悔は、しておらぬな?』


(しないよ……でも)


脳裏に浮かぶのは、あの瞬間の葵の顔。

そして、自分の口から漏れた言葉。


(私は……何を望んでるの?)


ページをめくる指先が、ほんの少しだけあたたかさを取り戻していた。



夜。

澪は書斎にこもり、氷神の力の由来を探っていた。


古代神話、未解明のダンジョン生成理論、各地の封印伝承。

そして――


『我は遥かなる古より、人の歩みを静かに見守りし存在なり。氷の加護をもって、己が意志を示す者に力を与えん』


氷神の語る過去。

それは、はるか数千年前より存在する“原初の神格”のひとつ。


『ダンジョンを創りし者らは混沌を撒き、淘汰を望んだ。我は――ただ澪、そなた一人を護らんと欲す』


(……知りたい。あなたのすべてを)


澪の指先は、一冊の古文書で止まる。

そこにはこう記されていた。


――《氷の巫女は、白き神と共にあり。その目覚めは、凍てつく理の扉を開く》。


『それは、我が記憶の残滓……綾理の物語なり』


神に選ばれし少女と、千年を超えて見守り続けた存在。

その真実に、澪の胸が静かに高鳴った。


さらに、澪は古書の中に一枚の挿絵を見つける。


それは、長い銀髪の巫女と、その隣に寄り添う氷の女神。

巫女の名は「綾理(あやり)」――澪の遠い先祖とされる女性だった。


『天霜祀神(アマシモツカミ)――それが我が名なり』


その名を口にした瞬間、澪の頭の中に荘厳なる声が響く。


『そなたのご先祖は、実に優しく穏やかであったな。慈愛と愚直が混じりし、実に愛しき者であった』


澪はさらに深く記録を読み進める。

巫女・綾理は争いに巻き込まれた村を氷神と共に救い、白き神の祝福をその身に宿した。


その祝福こそが、澪の銀白の髪、氷の適性の証。


『……そなたの血には、綾理の残した想いと、我が恩寵が流れておる』


だが、神はふと声を曇らせた。


『故にそなたを見守ってきた。それでも、そなたにとって我は……不要のものなのか?』


『違う、私は――』


『我は、ただ綾理の血を継いだ澪を護りたいのみ。されど、他の者へ心を向けるたびに……胸が凍えるのだ』


氷神・天霜祀神は、澪に対して深い執着と愛着を抱いていた。


『我は……澪のすべてでありたいのだ……』


澪は静かに呟いた。


「……ありがとう。私を、守ってくれて」


その言葉に、氷神は一瞬だけ沈黙し――そして再び、微笑んだように感じた。


『ふふ……ならば、我だけを見ておれ。澪』

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