第7話「交錯する意志、鋼の境界線」
ダンジョンの深部は、青白い光を帯びた鉱石の壁が続く静謐な空間だった。しかし、その静けさは嵐の前のもの。
風間玲奈が小声で告げる。「……気配が、濃くなってる」
千堂葵が前方で制止の合図を出す。部隊は停止し、息を殺して耳を澄ます。どこかで、金属が擦れるような音――それは、ダンジョン内での"何か"の動きの兆し。
そして、次の瞬間。
「影反応、急接近――三体、来る!」
解析班の叫びと同時に、氷壁を突き破って三体の甲殻モンスターが現れた。黒鉄の甲羅に覆われた体、鋭利な爪がきらめく。咄嗟に玲奈が防御展開し、仲間を庇う。
「澪、右を頼む!」
「はいっ!」
澪は刀を構え、氷をまとわせて一閃。切っ先から放たれた霧氷の刃が一体のモンスターの脚を削るが、致命打には至らず。すぐさまもう一体が後方から迫る。
「――下がれ!」
怒鳴り声とともに、間に入ったのは男性隊員の一人、野村。彼は大剣でモンスターの爪を弾き返した。
「……触らないで!」
澪の怒声が響く。その声は、戦闘の音をも貫く強さを持っていた。
「お、おい……助けたんだろ!」
「勝手に割って入らないで。私は“あなた”の助けなんて、望んでない」
敵意すら孕んだ視線で睨み返す澪。その様子に周囲が凍りついた。葵が素早く割って入る。
「やめろ、今は戦闘中だ。私語を慎め」
野村が不満げに唇を歪めるが、それ以上は言わずに後退する。澪は、乱れた呼吸を整えるように刀を構え直した。
だが、葵は見逃さなかった。澪の奥に宿る、言葉にならない恐怖と怒り。葵の眉がわずかに動く。
「澪。後で話す。今は集中しろ」
「……はい」
戦闘はなおも続き、玲奈の指揮で体制を立て直す。澪は再び、氷の魔力をまとわせ、落ち着いた動きで敵の隙を突いていく。
だがその間にも、心の中では“過去の記憶”が揺れ動いていた。
◆
戦闘終了後、部隊は一時休息を取る。
澪は、離れた岩陰に座っていた。静かに、しかし確かに怒りが心を満たしていた。自分の領域に土足で踏み込んだ男への反発。それは本能的な拒絶。
脳裏に蘇るのは、中学時代の記憶。
放課後、何気なく帰る道。毎日のように後をつけてきた男。学校にも家にも居場所が奪われ、警察に訴えても決定的な証拠がないまま、澪は孤独に耐えていた。
ある夜、ついに“それ”は現実となりかけた。
玄関先に現れたストーカー。無理やり手を掴まれ、恐怖で身体が動かなくなる感覚。叫ぶ声すら喉に詰まり、凍ったような時間の中で――祖父の通報で辛うじて助けられた。
それ以来、澪の中に刻まれた“男性への忌避”は、根深く根を張った。
◆
「……澪」
葵が近づく。彼女は跪いて澪の目線に合わせる。
「気にするな。お前の反応は、間違ってない」
「……でも、隊の空気を悪くしました」
「問題ない。野村には私から言っておく。それより、お前の剣は、ちゃんと前を見ていた」
澪の目がわずかに見開かれる。葵は柔らかく微笑んだ。
「自分の恐怖を知って、それでも戦っている。それがどれだけ尊いことか。私には、わかる」
その言葉に、澪は初めてわずかに表情を緩めた。
(この人は……本当に、わかってくれる)
心のどこかが、確かに氷解していく。
◆
休息後、一行はダンジョンの奥へ進む。そこには奇妙な紋様が刻まれた巨大な氷の扉。
「これが……ボス部屋か」
玲奈が警戒の目を向ける。澪は扉に手を伸ばした。冷気が皮膚を刺すが、それが心地よかった。
だが、その瞬間、扉に反応するように澪の魔力が脈打つ。
「……開く?」
霧のような魔力が扉を包み、ゆっくりと開かれる。
その先に広がっていたのは、巨大な氷の祭壇。中央には、無数の魔石が浮かび、そこに鎮座するのは白銀の鎧をまとった異形の騎士。
「……何、この存在感……」
葵が刀を構える。「澪、前に出るな。全員、臨戦態勢」
静寂を切り裂くように、騎士が剣を構えた。
そして、開戦の鐘が鳴る。
氷と鋼が交錯する一戦が、始まった。
(私は……もう、逃げない)
澪は氷をまとい、その刃を振りかざした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます