第7話「交錯する意志、鋼の境界線」

ダンジョンの深部は、青白い光を帯びた鉱石の壁が続く静謐な空間だった。しかし、その静けさは嵐の前のもの。


 風間玲奈が小声で告げる。「……気配が、濃くなってる」


 千堂葵が前方で制止の合図を出す。部隊は停止し、息を殺して耳を澄ます。どこかで、金属が擦れるような音――それは、ダンジョン内での"何か"の動きの兆し。


 そして、次の瞬間。


「影反応、急接近――三体、来る!」


 解析班の叫びと同時に、氷壁を突き破って三体の甲殻モンスターが現れた。黒鉄の甲羅に覆われた体、鋭利な爪がきらめく。咄嗟に玲奈が防御展開し、仲間を庇う。


「澪、右を頼む!」


「はいっ!」


 澪は刀を構え、氷をまとわせて一閃。切っ先から放たれた霧氷の刃が一体のモンスターの脚を削るが、致命打には至らず。すぐさまもう一体が後方から迫る。


「――下がれ!」


 怒鳴り声とともに、間に入ったのは男性隊員の一人、野村。彼は大剣でモンスターの爪を弾き返した。


「……触らないで!」


 澪の怒声が響く。その声は、戦闘の音をも貫く強さを持っていた。


「お、おい……助けたんだろ!」


「勝手に割って入らないで。私は“あなた”の助けなんて、望んでない」


 敵意すら孕んだ視線で睨み返す澪。その様子に周囲が凍りついた。葵が素早く割って入る。


「やめろ、今は戦闘中だ。私語を慎め」


 野村が不満げに唇を歪めるが、それ以上は言わずに後退する。澪は、乱れた呼吸を整えるように刀を構え直した。


 だが、葵は見逃さなかった。澪の奥に宿る、言葉にならない恐怖と怒り。葵の眉がわずかに動く。


「澪。後で話す。今は集中しろ」


「……はい」


 戦闘はなおも続き、玲奈の指揮で体制を立て直す。澪は再び、氷の魔力をまとわせ、落ち着いた動きで敵の隙を突いていく。


 だがその間にも、心の中では“過去の記憶”が揺れ動いていた。



 戦闘終了後、部隊は一時休息を取る。


 澪は、離れた岩陰に座っていた。静かに、しかし確かに怒りが心を満たしていた。自分の領域に土足で踏み込んだ男への反発。それは本能的な拒絶。


 脳裏に蘇るのは、中学時代の記憶。


 放課後、何気なく帰る道。毎日のように後をつけてきた男。学校にも家にも居場所が奪われ、警察に訴えても決定的な証拠がないまま、澪は孤独に耐えていた。


 ある夜、ついに“それ”は現実となりかけた。


 玄関先に現れたストーカー。無理やり手を掴まれ、恐怖で身体が動かなくなる感覚。叫ぶ声すら喉に詰まり、凍ったような時間の中で――祖父の通報で辛うじて助けられた。


 それ以来、澪の中に刻まれた“男性への忌避”は、根深く根を張った。



「……澪」


 葵が近づく。彼女は跪いて澪の目線に合わせる。


「気にするな。お前の反応は、間違ってない」


「……でも、隊の空気を悪くしました」


「問題ない。野村には私から言っておく。それより、お前の剣は、ちゃんと前を見ていた」


 澪の目がわずかに見開かれる。葵は柔らかく微笑んだ。


「自分の恐怖を知って、それでも戦っている。それがどれだけ尊いことか。私には、わかる」


 その言葉に、澪は初めてわずかに表情を緩めた。


(この人は……本当に、わかってくれる)


 心のどこかが、確かに氷解していく。



 休息後、一行はダンジョンの奥へ進む。そこには奇妙な紋様が刻まれた巨大な氷の扉。


「これが……ボス部屋か」


 玲奈が警戒の目を向ける。澪は扉に手を伸ばした。冷気が皮膚を刺すが、それが心地よかった。


 だが、その瞬間、扉に反応するように澪の魔力が脈打つ。


「……開く?」


 霧のような魔力が扉を包み、ゆっくりと開かれる。


 その先に広がっていたのは、巨大な氷の祭壇。中央には、無数の魔石が浮かび、そこに鎮座するのは白銀の鎧をまとった異形の騎士。


「……何、この存在感……」


 葵が刀を構える。「澪、前に出るな。全員、臨戦態勢」


 静寂を切り裂くように、騎士が剣を構えた。


 そして、開戦の鐘が鳴る。


 氷と鋼が交錯する一戦が、始まった。


(私は……もう、逃げない)


 澪は氷をまとい、その刃を振りかざした。

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