#17 兄妹契約破棄
諦めて、どうか穏やかに収まってくれと他力本願で傍観していれば、ついに玲に咎められる。
選べ、ってと言われてもな……。
つい冬佳と玲の二人の顔を見る。二人とも俺を見ていた。片や真剣な眼差しで俺に問いかけるように、片や俺が絶対に自分を選ぶと縋るように。
「私だよねお兄ちゃん?」
動揺を露わにしてしまいそうになる表情筋を抑え、はぐらかしの言葉を返そうとして、その前に冬佳が俺の手を引いた。
「お前は黙って。いま私は兄に話をしてるから」
「……分かった。じゃあ玲ちゃんの話を吞んであげる」
「は?」
「玲ちゃん、こうしようよ。お兄ちゃんにここは宣言してもらうの。それで今ここで、明確に私たちの今後を決めてもらう」
せ、宣言って……?
「な、何の宣言だよ?」
「決まってるじゃんー。どっちの兄妹契約を破棄するかだよ。私と玲ちゃん、どっちを妹として選ぶかここで決めて?」
キャピっと可愛らしく首を傾ける冬佳に、またもや舌打ちを鳴らした玲。だが玲もその提案自体に文句は無いのか、特に皮肉は挟まず静観するみたいにジッと俺を見詰めた。思わず後頭部を掻きながら、俺は返事を探す。
「どっちって言われてもな……」
「私はお兄ちゃんと兄妹契約を結んでるけど、玲ちゃんも良く知らないけど兄妹契約を結んでるんだよね? 玲ちゃんがこの調子じゃねえ、この二つの契約は共存することなんて不可能なんだよ。だからお兄ちゃんはどっちかを破棄して、どっちかを優先する必要がある。分かるかなー?」
優先だって?
そんな必要はないはずだ。世の中に二人の妹を持つ兄貴は沢山いる。
「別に……共存って大仰な言い方はともかくとして、仲が悪い妹が二人いるって思えば矛盾はないだろ」
「分かってないねえ。それは互いを認めている場合にのみ成立する考え方だよ。私にとって妹は一人、玲ちゃんにとっても妹は一人。二人以上の兄妹なんかこの世に存在し得ないの」
そういうもんなのか……?
首を捻る俺に冬佳は付け加えて告げる。
「じゃあ例えば玲ちゃんにお兄ちゃんがもう一人出来たらお兄ちゃんは認められる?」
「無理だな。玲の兄貴は俺だけだ」
「はい。いま私と玲ちゃんはそういう感じなわけ」
なるほどな。確かに俺以外に兄貴……弟でもいいが、そういう存在がいたら何となく気持ち悪い。玲がこの数カ月抱えてきた感情が何となく分かった気がする。
「そういうことだから、お兄ちゃんは私を選ぶよね?」
疑問形とは裏腹に、冬佳は確信げな響きを伴わせて言葉を紡いだ。
それを無言で見守る玲。
どちらも俺の双眸を掴むように目を離さず、俺の次の言葉を待っている。
…………どちらか一方を、か。
そう初めて真剣に考えたとき、1秒も悩まず結論が出た自分に驚いた。
玲は現実に俺の妹だし、冬佳もこの3カ月弱で大分俺の妹という認識が芽生えてきた。
どちらも今となっては俺の認識では妹で、庇護の対象だと思っていた。
でもやっぱりアレだ。
罵倒されようが空気扱いされようが、重ねてきた年月に背を向けることは出来ないらしい。
「すまんが冬佳……それなら玲、だな」
「…………え?」
笑顔が引っ込み、呆気に取られた顔をする冬佳。
正直、俺だって心が痛い。
曖昧にぼやかさずに言葉にするってのは、きっとこういうことなんだろう。
冬佳への罪悪感が胸中で膨らみ、堪らず玲の方を見る。
玲は「そう」と小さく呟いたまま、顔を俯かせている。玲の反応は逆にあまりよく分からない。言葉で詰られたり虫唾が走った顔で睨まれればまだ分かりやすいんだがな。黙ってプールサイドの地面を見ている玲から読み取れる感情は然程多くはない。精々、妹と言われて嫌だったわけではないんだろうな、ってくらいだ。まあそんなのは体育祭の日の会話で分かりきったことだったが。
暫く気まずく多い空気が支配する仲、ポツリと言葉を落とし、場の歯車を回したのはやはり冬佳だった。
「あはは~……そっか。血には……ううん、時間に負けちゃったかな」
「冬佳……」
「いいよ、光太は気にしなくて! 私だって自信はあったけど、何となくこうなるんじゃないかなぁ~って思いはあったし」
千切れそうな笑顔で話す冬佳は見てられない。
確かに、契約の下、互いの利害が一致して築かれただけの兄妹関係だった。
それでもお互いに本気だった。本気で兄妹になろうとしていた。
馬鹿げてる。アホらしい。
そう思われて結構、他人の目を気にせずとも追い求めた何かがあったのだ。
───いま思うと、俺にとってのその何かとは、在りし日に確かにあった、玲との昔の兄妹関係だったのかもしれない。
「兄妹契約はこれでお終い」
冬佳は名残惜しむ顔をしながら、それでもスパッと言い切った。
「光太とはこれからは従姉同士で、アルバイト仲間。そういう感じで宜しくね」
「ああ…………そうだな…………」
お兄ちゃん、とはもう呼ばれないんだな。当然だ。冬佳は妹ではないと言ったのだから。これは俺の選択の結果だ。
「でも一つだけお願いして良いかな?」
「なんだよ冬佳……さん」
「お兄ちゃんポイントの有効期限、ちょっとだけ延ばして」
「今その話するか? ったく、もう兄妹じゃねえんだ……買い物の荷物持ちとか、そう言う軽い感じのことしかやらないぜ?」
「それでいーよ。じゃ、私は帰るね。あとは兄妹水入らずで話すこと! これは妹として失敗した私からの忠告」
それってどういう…………いや。もう俺に冬佳の事情に立ち入る権利なんて無いんだ。
冬佳は軽く玲の肩に手を置くと、更衣室へと去って行った。
炎天下の蒸し暑い空気を切り裂く蝉の声が耳朶を打つ。
目を閉じればこの三カ月弱が脳裏で勝手に再生された。
愛嬌たっぷりに笑う顔、俺に引っ付く甘えた仕草、時折手を引っ張って俺を外へ連れ出す強引さ。俺にとって冬佳は俺の妹だった。
そんな歪でも確かにあった関係性が、過去形になった実感は未だない。
「プール。入りたい……暑いから」
冬佳の背中が見えなくなると、玲は少し顔を上げて25mプールに目を向けた。
そう、だな。暑いよな。確かに暑いな。
俺はぎこちなく頷く。黙ったままそっと25mプールに入った俺達は傍目からして異質な空気を放っていた。
泳ぎもせず、はしゃぎもせず、会話もせず。
温泉にでも入っているかの如く、ただただプールに浸かる。
玲は何も言わない。
たぶん言おうとしているのだが、言葉が纏まらなくて口が動かない。そんな風なしかめっ面で25mレーンを隔てるブイを眺めている。
…………しょうがない。俺から話題を出すか。
「プール、久しぶりだよな」
玲はゆっくりと頷いた。
「アンタとは……小学生の頃ぶり。その時も良く来たのはここだっけ」
「ああ。丁度このプールが改装された直後くらいじゃないか」
「よく覚えてる」
「そりゃな。ガキの頃の楽しい記憶ってのは鮮明なんだ」
「……そう。楽しかったんだ」
ふーんと言いそうな顔をして口元をゴニョゴニョとさせる玲を見て、何か不味いことを言ったかと考えて言い訳をしようかと思ったが、止めた。当時はそうでもなかったかもしれないが、今思い返すと楽しかったのは事実だ。事実を事実として言って何が悪い。
「その水着も久しぶりに見たぞ。まだ着れるんだな」
玲が着こなしている水着のワンピースに目を遣る。
中学2年生だったか、家族でモールに行った時に幾つか試着しながらここの水着を買っていたことを覚えている。勿論俺はその場にはいなかったぞ。親父と一緒にお袋と玲が買ってる様子を店外から見てただけだ。
「まあ……ちょっときついけど入らなくはないし」
言いながら玲は肩に通った水着の紐に指を通す。人差し指が一本ギリギリ入った。まあ成長期だからな……問題無く着用できていること自体が奇跡というべきか。
ただこの水着も今年が最後だろう。
「新しいの買わないのかよ」
「なに。アンタ、私の水着選びたいわけ?」
「んな馬鹿なこと言うか。ただ海とか行って遊んでる途中で破れでもしたら大変だろ」
「どうだか」
瞬きもせずに、玲は俺をじーーっと澄ました顔でロックオンし続ける。
「なんだよ」
「……別に、なんでもない」
「そんな見られたら気になるだろ」
「ホントに何でもないから」
これ以上は答えたくないと言いたげに玲はゆっくりとした動きでブクブクと沈んでいった。だったら見つめてくんなよ。
10秒ほどして浮かんできた。
ぷはぁ~っと大きく息を吸って、玲は呼吸を整えた。
「……アンタはさ。なんで即答したの。迷わなかったの?」
言葉に迷ったように沈黙した後、濡れた顔を腕で拭うと、髪先を指でいじりながら言った。
主語は無かったが、何の話かは分かる。
冬佳ではなく玲を選んだことを言っているのだ。
「そうだな、迷わなかった……ってことになるんだろうな」
「なにその言い方。不満?」
「当然だろうが。お前、これまでの自分の言動を反省しろよ」
思い返される罵詈雑言の数々。それでよくそんな疑問を持てるなおい。
正論を言われて何も言い返す気がないのか玲はぷいと顔を背けた。
「お前がそんなことを聞いてくるとは思わなかったよ」
「別に……興味無いわけじゃないってだけ」
「ややこしいわ。つまり興味あるってことだろ?」
「そこまで言ってない」
そっぽを向いたまま言葉を返す玲。俺には良く分からないが、玲からすると細かいニュアンスの違いがあるようだった。まあコイツが変に面倒くさいのは今更だからいいけどな。
「ともかく、迷わなかったよ。自分でも驚くほどにな。幾ら足掻いても俺とお前は実兄妹という鎖で繋がれてるらしいぜ」
「……言い回しがキショイ」
うるせえ。俺だって本音を言うのはこそばゆいんだ、指摘してくんじゃねえっての。
「例え玲が俺の立場だったとしても同じ選択をしてるだろ絶対」
言われっぱなしも癪だったのでここらでジャブを一発と思って言い返せば、眉を歪めて不快感を露わにし、逆毛立たせた猫みたいな声で「はぁ?」と言う。
「なにそれ。その決めつけキモいんだけど。妹キチのアンタと一緒にしないでくれる」
「妹キチってお前な……」
そこまでじゃないだろ。ただ理想の妹を真剣に欲しいと思ってるだけで。
……そこまでじゃないよな? キチとか言われるほどじゃねえよな俺?
少し前ならともかく、今の実妹から言われるようであれば流石に身の振り方を考えるべきかもしれないと少し考えを巡らせていれば、そっと手を握られた。反射的に玲の顔を見る。玲の顔は初夏の日差しに照らされ仄かに朱色を灯している。
「でも……私はアンタの妹だから。そのくらいは全部受け入れられる器量がある訳で……特別にその妹への思いも引かないであげる」
早口で言い切ってまた視線を俺から外した。恥ずかしかったらしい。
照れるくらいならやるなよと思いつつも握られた手の温かみにノスタルジーを覚えた。
……昔はこうして良く手を繋いでたんだよな。俺達。
「……流石に受け入れるのは兄貴的にどうかと思うぞ。俺は」
「は、はあ!? 元はと言えばアンタが悪いんじゃん! なんでそっちが引くの!」
「兄貴のことを全部受け入れるとか言ってくる妹に対する正当な反応だろうが。公共の場で何を言ってんだよお前は?」
「全部じゃないから! やっぱキモイ! 死ねばいいんじゃないの!?」
「死ねはねえだろ!」
ぼそっと本音を言えば、地獄耳に捕まって結局最後には言い合いになってしまった。
少し前と比較すれば多少はマシになったとはいえ、俺と玲の間には昔のような和気藹々とした空気感は無い。
だがこれが今の兄妹関係と思えば、まあこんなもんかとも思う。
言い争いを続ける傍らで握り続ける玲の手の温度を感じつつ、ふとそんなことを考えたのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます