【ただいまアンダーランド】

 濃霧の山の入り口にヨスガが立っていた。

 幻覚に過ぎないのだから無視して通り過ぎようとしたけれど、呼び止められたから立ち止まった。


「宮路の傍に居てあげたらいいのに」


 ぼやくヨスガは、何も答えないわたしをしばらく見つめてから霧の中に溶けて行った。

 たった一人になったわたしは、それから程なくして濃霧の山から出られた。麓の霧が薄いところだったおかげだ。

 視界が明瞭になり、今が朝であることを知った。

 アンダーランドへ繋がる広い一本道を駆ける。ここへ来た時には何もなかった田んぼには、所狭しに木々が生い茂っている。呼吸をする度に甘い匂いが鼻に届く。これが糖木の匂い。心なしかバニラに似ていると思った。


「着いたものの、どうしよう」


 固く閉ざされた大門の真ん前でうろうろしていると、大門脇にある小窓がすっと開いた。


「アンダーランドは封鎖されている。ここに何の用だ」


 当たり前だが、明らかに警戒されている。わたしはスミの名前を出そうとして思いとどまった。わたしは人間だ。今のアンダーランドにとって敵と位置付けられているかもしれない。安易にスミの名前を使ってしまったら、彼にも危険が及ぶかもしれないではないか。


「えっと、その」

「ちょっと失礼」


 言葉に詰まっていると、別の人が小窓から顔を出した。


「待っていたよ、コマチさん。すぐに開けるから待っててね」


 ほっとしたのと同時に目の奥が熱くなってくる。わたしは何度も頷いた。

 すぐに一人分の幅ほど大門が開いたので、慌てて身を滑り込ませた。その後すぐに閉じられて厳重に鍵がかけられる。

 バクフウは気の済むまでわたしの顔や体をぺたぺたと触り倒した。


「奴らと居たんだろう。酷い扱いはされていないようで安心した」

「心配なんてしてもらえる立場じゃないのに」

「姫様のご友人が何を言っておられるのだか」


 バクフウはわたしをハクジの元へ案内してくれるようだ。その前に着替えるため、見張り塔に向かった。

 その間、数人の地底人と出くわしたが、特に敵意を向けられることはなかった。逆に居心地の悪さを覚えるほどだ。気を紛らわすように、わたしは更衣室で手早く軽装に着替えた。半袖短パンで動きやすさは満点だが、これでハクジに会うのは如何なものかと思う。

 更衣室から出たところで、バクフウが待っていた。


「用意してもらっておいてあれなんですけど、ハクジ姫様にこの恰好でお会いしていいんでしょうか」

「気になさらずとも、姫様も似たり寄ったりな恰好ですのでご心配なく」


 大げさに恭しく首を垂れてそう言われてしまっては、何も言い返せなかった。

 舞い下りる日が終わったアンダーランドでは、ちらほらと馬車が道を行き交っていた。わたしもそれに倣って馬車へ乗り込む。大通りを駆け上がる中、外の様子を見てみるが以前のような活気は一切なかった。


「着いたよ」


 バクフウの手を取って馬車から飛び降りると、そこは城門の前だった。大門と同じように固く閉ざされている。


「バクフウだ。ハクジ姫のご友人を連れて来た!」


 大声に反応して小窓からひょっこりと顔を出した門番が、わたしとバクフウを交互に見やる。しばらくして問題なく門は開いた。

 城門の中は、あの襲撃の夜の爪痕が色濃く残っていた。割れた外壁や壊れた庭の装飾。踏み荒らされて散ってしまった花々。

 城は避難所として機能しているようで、大通りと比べてもうんと人が多いはずなのに、みんなが疲れ切った顔をしていて静かだ。自分の足音がやけに大きく聞こえる気がして、歩幅が自然と小さくなった。

 バクフウがわたしを見て困ったように笑う。


「四六時中侵入者を警戒しているから、みんな体力的にぎりぎりなんだ」


 入り組んだ城内を進んでいると、一つの扉の前でようやくバクフウの足が止まった。わたしも倣って止める。

 くるりとこちらを振り返ったバクフウの眼差しは力強いものだった。


「だから、一刻も早くどうにかしないと。その為に必要なのは戦力だ」


 扉が開いた。その中には武装したたくさんの人々がひしめき合っていた。アンダーランドの治安維持部隊もちらほらといるが、甲冑で全身を覆った、ひと際体格の大きな一団が目を引く。


「小町!」


 その一団の間から、身を捻るようにして飛び出してきたのはスミだった。

 力強い腕がわたしの背に回る。ようやく帰って来られたのだと実感した。「ただいま」と呟くと、抱きしめる腕に力がこもった。わたしはスミの頭と片目を覆う包帯にそうっと手を伸ばす。ひどい怪我だ。


「あの時、怪我したの?」

「吹っ飛ばされたあと気絶していたのは確かだが、これはまた別件でできたもんだ。気にしなくていい。見た目が派手なだけで大した怪我じゃない」


 なおも疑うわたしの言葉に被せるようにしてスミは続けた。


「それよりも、小町が無事でよかった。あの時、俺は何もできなかったから。ごめんな」

「謝られることなんてされてない。むしろわたしの方が謝ることいっぱいで。ううん、謝って済むことじゃないんだけど」


 話さなければいけないことがたくさんありすぎて、言葉が出てこない。それをくみ取ってくれたスミが小さく微笑んで頷いた。


「大丈夫、みんなで話し合おう」

「その通りですわ。話し合いは大切ですもの。あたくしはいつだって聞く準備を整えておりましてよ」 


 ああ、無事でよかった。

 スミと同じように、大きな一団の間を縫うようにして現れたのは、アンダーランドの姫だった。

 わたしとハクジは目を合わせて、お互いの無事を無言で称える。

 Tシャツにジーンズ姿のハクジは、にいっと腕白小僧のように口角を釣り上げて屈託なく笑った。

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