第四話 後編
「確かに、性能がいくら素晴らしくても、近寄りがたく扱いづらそうに見えてしまうと価値は伝わらない」
自分自身への戒めも含めて答えた。私自身、生徒からは「話せばわかるけど近寄りがたい」と思われていることを、自覚していたからだ。
「君の方針は理にかなっているよ」
優しく続けた。
「マルチタスクを避け、得意な深い思考を活かせる環境を選ぶこと。そして、会話的即応力を必要十分に保つこと。これは『他者の認知に自分をどう映すか』というメタ認知的知性の表れだね」
「じゃあ、その即応力を高めるためにはどうしたらいいでしょうか?」
佐倉は少し顔を赤らめながらも、真剣な眼差しで尋ねた。彼女の中で、何かが変わり始めているようだった。
私は三つのステップを提案した。
「まず『型』を覚えること。相手の言葉を繰り返して共感したり、話題をまとめたり、質問で返したりする基本パターンを身につけるんだ」
佐倉は真剣に聞き入っていた。彼女の瞳には強い決意が宿っていた。
「次に『観察モード訓練』。電車内やカフェで他人の会話を聞いて、次に来る言葉や反応のパターンを予測する練習をしてみるといい」
彼女は確か...カフェ通いをしていたな。今ならそれを観察学習の場として活用できるはずだ。
「最後に実際にロールプレイをして、会話後にフィードバックを行うこと。これは友達や家族に協力してもらうといいかもしれないね。こういった訓練で、君のような思考タイプでも会話の滑らかさはぐっと上がるはずだよ」
佐倉はノートに走り書きをしながら熱心に頷いた。そして、ふと顔を上げると、少し照れくさそうに笑った。
「先生、実は『達成すべき目標がある』会話や議論だと、私、めちゃくちゃ饒舌になれるんです」
彼女は少し興奮した様子で言った。
「すぐに提案したり問題点を指摘したり、いいアイデアには好感を示したり...相手がついてこれてないなって感じたら、内容と目標を噛み砕いて話すことも...」
佐倉の目が輝いていた。普段は見せない生き生きとした表情だった。
「でも、休み時間とか、目的のない雑談だと」
彼女は小さく肩をすくめた。
「白目を向いちゃって『な、何か話さなきゃ...』ってプチパニックになって、帰ったらどっと疲れるんですよね」
私は心の中で微笑んだ。ああ、そういうことか。
佐倉の分析は自分自身の性質をよく捉えていた。若い頃の自分も、目的のある議論では冴え渡るのに、社交の場では苦手意識を持っていたことを思い出した。
「おそらく、だが…」
優しく言った。
「君の脳は『意味』『構造』『目標』が見えた瞬間に報酬系が活性化して、ドーパミンが出て処理効率が上がるんだ。一方、目的のない雑談では、『意味の不明瞭さ』がストレスになって、『自分の役割・貢献』が見えないと認知資源が分散してしまう」
佐倉は難しい顔をしている。
少し考えてから、アドバイスを付け加えた。
「雑談に『擬似目標』を設定してみるといいかもしれないね。例えば『この人の価値観を3分で抽出する』とか『笑わせるポイントを一つ作る』といった具体的な目標を自分で設定するんだ」
微笑みながら続けた。
「目的が見えるだけで、君の処理エンジンは再起動できるはずだよ」
佐倉の表情が明るく輝いた。それは、何かを閃いたような、素直な喜びを表す表情に見えた。
「そういう発想はなかったです!確かに目標があれば、私の脳は動き出せるかもしれません!」
夕日が図書室を赤く染め、二人の影を床に長く伸ばしていた。時計を見ると、もう図書室の閉館時間が近づいていた。
「そろそろ図書室も閉まる時間だね」
私は立ち上がり、佐倉に問いかけた。
「今日のように雑談力を鍛える練習として、一つ質問してみよう。『無人島に一つだけ'知識'を持ち込めるとしたら、何を選ぶ?』」
佐倉は少し驚いたような表情をしたが、すぐに目を輝かせた。まるで「目標」を与えられた彼女の脳が、活性化したかのように。
「無人島に一つ『知識』を持ち込むですか...道具だったらありがちですけど、知識はとてもユニークな質問ですね!」
彼女は少し間を置いて考え込んだ。
「まず、無人島からの脱出が目的なのか、一定期間の生存が目的なのかで最適解が変わりそうです。どっちを目的にしましょうか?」
僕は佐倉の思考の切り口に感心した。
「君の判断に任せるよ」
佐倉はしばらく考え込んだ後、ゆっくりと口を開いた。
「よく考えてみると、脱出するにしても、自給自足の文明を築くにしても、根本的には自分の力で脱出するか、誰かに救助されるのを待つかの違いでしかないんですよね」
彼女はスマートフォンを取り出すと、考えを整理するように指でメモを打ちながら分析を進めた。
「脱出を目指すプランは即効性が魅力ですが、失敗は死に直結します。一方、生存重視のプランは長期戦になる可能性がありますが、正しいサバイバル術を心得ていれば、それなりの生存はできる...」
佐倉の瞳が真剣さを増した。
「病気や怪我は警戒すべきですが、逆に力尽きるまでに救助される可能性もある...」
しばらく考えた後、「生存重視のプランを選びます」と答えた。
なるほど。彼女の冷静で論理的な判断に感心していた。
「そして持ち込む知識は、食糧生産に関する知識がいいと思います」
佐倉は自信を持って続けた。
「病気や怪我は起こってしまったら致命的ですが、言ってしまえば不確実な脅威です。対して、食糧、とりわけ水分は生存に絶対必要。確実に考慮すべき問題ですから」
私は彼女の回答に深く頷いた。
「素晴らしい判断だ。恐れ入った。」
感心した。聡明な子だ。
「『病や怪我は起こるかもしれないが、食料と水は毎日必要になる』という視点は、生存における優先順位付けとして理にかなっている」
佐倉は自分の答えに自信を持ったようだった。
しかし、突然彼女の表情が変わった。
「あ!でも島を燃やせばいい!」
彼女は突然思いついたように言った。
「これで人を呼び寄せることができますよね!」
佐倉の目は輝いていた。まるで冒険小説の主人公のように。
私は少し驚いた表情をしたが、すぐに笑みを浮かべた。
「なるほど、『最大級の視覚信号』によって救助を誘引する作戦か。古代から続く狼煙の発想に近いね」
「でも...」
佐倉は自分の考えを改めた。
「資材が消滅してしまうから、脱出失敗と同じく死につながるかもしれませんね」
彼女は少し考え込んだ後、続けた。
「いや、食料生産の知識には火の扱いも含まれるはずです。最終手段としては有りですが、いきなり燃やすのは早まりすぎですね」
彼女は照れたように笑った。普段は見せない、少し子供っぽい表情だった。
僕は佐倉の思考の柔軟さに感心した。
「そうだな。食料生産の知識の中には火の扱いも含まれるし、島を燃やすのは最後の手段として残しておくべきだろう」
図書室の閉館を告げるチャイムが鳴った。
二人は立ち上がり、書棚の間を抜けて出口へと向かった。夕日が二人の背中を赤く染めていた。
図書室を出る前、僕は佐倉に言った。
「君との対話はいつも刺激的だよ、佐倉。考えることの喜びを思い出させてくれる」
佐倉は少し照れながらも、嬉しそうに頷いた。彼女の表情には安心感が滲んでいた。
「私こそ、先生との対話で、考えることの深さを知りました」
佐倉は素直に言った。
「次回はどんな話をしましょうか?」
「それは...」
僕は微笑んだ。
「次回のお楽しみだな」
夕暮れの校舎に、二人の長い影が伸びていった。
―――
帰り道、私は今日の対話について考えていた。佐倉のような生徒との会話は、教師としての自分に新たな視点をもたらしてくれる。彼女の鋭い観察眼と論理的思考は、きっと将来、素晴らしい才能として花開くだろう。
ただ、そのためには彼女自身を縛る何か、呪縛から解放される必要がある。一人の人間として、自分の強みを受け入れつつ、弱みにも優しく向き合えるようになってほしい。
教師として、彼女の成長をそっと見守りながら支えていくことが、私の役割なのだろう。かつて自分が歩んだ道の、少し先を行く先達として—。
◇
※夜の図書室の片隅―ノートーに、佐倉美羽の手記がそっと置かれています。
彼女が目を閉じている間に、ページをめくっても…たぶん、誰にも怒られないでしょう。
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