第11話 2度目の中間発表
母さんが歪んだ空間に消えてから、僕たちの生活は再び絶望の淵に突き落とされた。
一時的にでも穏やかになった日々がまるで幻だったかのように、一瞬にして打ち砕かれたのだ。
家の中は以前にも増して重い沈黙に包まれた。
僕は何をする気にもなれず、ただぼんやりと窓の外を眺めていた。
あの時、もっと強く手を掴んでいれば……母さんを助けることができたのではないかと何度も考えてしまう。
そんな後悔の念が僕の心を
料理をする気力も湧かず、何も食べない日が数日続いた。
父さんも母さんが消えてから人が変わったようだった。
ただリビングで呆然と座り込んでいる。その目には深い疲労と、自責の念が浮かんでいた。
話し合いの後も母さんに冷たい態度を取り続けたこと、そして結果的に家族を守れなかったことへの後悔が父さんを追い詰めていると痛いほど伝わってきた。
兄さんは母さんが消えた瞬間から、まるで魂が抜けたかのように何も話さなくなった。
食事もほとんど摂らず、ただ虚ろな目で一点を見つめている。
時折、兄さんの肩が小さく震えるのが分かった。
あの歪んだ空間に自ら飛び込み、僕と父さんを守ろうとした母さんの姿が兄の心にどれほどの衝撃を与えたか。
兄さんがこれまで母に対して抱いていた複雑な感情と、目の前で消えていった母さんの姿が兄さんを深く苦しめているのだろう。
僕が話しかけても、兄さんはあまり反応しない。
もう母さんのヒステリックな声が響くことはない。
それ自体にいい思い出はないけど、でもそれがなくなったことに対する喪失感は強かった。
いつも大切なものは失ってから気づく。
いなくなってしまった母さんを皆、心のどこかでは想っていた。
母さんは悪いところばかりじゃない。
前の世界では一家心中少し前の家事を放棄するまでは家事は母さんがしてくれてたし、母さんの作る料理が僕は好きだった。
服が好きで、新しい服を買ってきては目を輝かせて鏡の前でその服を着て上機嫌だった。
兄さんがひきこもってしまってからも、兄さんの心配をずっとしていた。
兄さんに対しての言い方は本人の
父さんが夜勤あけに帰ってきてすぐ食べられるように食事を用意していたし、父さんの着るシャツはいつもアイロンをかけてシワひとつない状態にしてた。
そんな母さんはもういない。
目の前で歪みに飲み込まれていったのを見たし、どこにもいないのに死んでしまったという実感はいつになってもわかないままだ。
ただ「いなくなった」という事しか理解できない。
そんな苦しい日々がどれくらい続いたのか分からない。
しかし裁定者による2度目の中間発表の日は、無情にもやってきた。
また眩い光とともに目の前にスクリーンが浮かび上がり、頭の中に裁定者の声が聞こえる。
「3分の2中間評価を開始する」
前と変わらないトーンで裁定者は話し始めた。
目の前のスクリーンには僕らの評価が次々と映し出されていく。
相変わらず僕らは地界行きの評価であった。
それよりも僕たちの心は地界行きの恐怖ではなく、母さんの事でいっぱいだった。
「……聞きたいことがある」
最初に口を開いたのは父さんだった。
父さんの声は震えていたが、その瞳には強い決意が宿っていた。
「百目鬼春香はどうなったんだ……死んでしまったのか……?」
裁定者は無機質な声で父の問いに答えた。
「百目鬼春香はこの世界の「終わり」に飲まれた。死んだというよりもこの世界から消えたという表現が正しい」
その言葉を聞いた瞬間僕の心臓が凍り付いたような気がした。
この世界から消えてしまったら一体どうなってしまうのだろう。
「……戻せないのか。ここはテストプレイの世界なんだろ。消えたらテストができない。矛盾してる」
兄さんが消え入りそうな声で呟いた。
兄さんの目は光の方向を真っ直ぐに見据えている。
父さんも固く握りしめた拳を震わせながら同じように訴えた。
「そうだ。テストされる対象が消えるのはおかしい……春香を返してくれ」
「お願いです。母さんを返してください」
僕も裁定者たちに母さんを戻してもらえるように伝えた。
裁定者が神のような存在ならきっと母さんを戻せるのではないか。
その希望に僕たちは
「いいだろう。百目鬼春香をこの世界に呼び戻すか否か。それはお前たちの多数決によって決定される」
僕、兄さん、そして父さんが同じ願いを抱いていることは明白だった。
「僕、母さんに帰ってきてほしい!」
僕が真っ先に叫んだ。
「……俺もだ。返してほしい」
兄さんが掠れた声で続いた。
若干声が震えているような気がする。
今にも泣きだしてしまいそうなのかもしれない。
「当然私もだ。春香を戻してくれ」
父さんは涙で潤んでいた。
いつも冷静な父さんがこんなにも感情を露わにするのを僕は初めて見たかもしれない。
「全員一致だな。いいだろう」
裁定者は簡単に許可を出した。
その言葉に何の実感もわかないうちに、その場に眩い光が満ちた。
眩しくて目を開けていられずに僕らは腕で影を作って更に目を閉じる。
それから数秒経ったとき、声が聞こえた。
「みんな……」
その眩しい光は徐々に収まっていく。
「あ……」
この数日間の喪失感が一気に消えた。
嬉しくて涙が出てきて視界が霞む。
涙で歪んだ視界のその先に立っていたのは、憔悴しきった表情の母さんだった。
「春香!!」
「母さん!!」
僕たちは一斉に母さんへと駆け寄った。
僕は母さんの身体にすがりついてその実体の感触を確かめる。
母さん本人も自分の身に何が起きたのか分かっていないようで戸惑っていた。
父さんや僕に抱きしめられたことに対する戸惑いもあったと思う。
「…………」
どうしたらいいのか分からない様子なのは母さんだけじゃない。
兄さんもまた突然現れた母さんに対して
自分を助けるために消えた母さんに謝罪や感謝の言葉が喉に詰まって出てこないんだろう。
ただ震えながら涙を流して、ゆく当てのない手を震わせている。
「母さん……」
「
「っ……母さんごめん……っ」
喉につかえていた言葉をやっと兄さんは吐き出すことができた。
ずっとその一言を言いたくて後悔してきた兄さんは、やっと母さんにそれを伝えることができたのだ。
また家族が揃って再会の喜びを分かち合った。
この世界に来て初めて心から家族全員が一つになれた瞬間だった。
喜びの涙を流していたところ、裁定者の声が再び響いた。
「百目鬼家。今回の第二回中間評価結果だが、相変わらず地界行きだ」
喜び合っているところに裁定者たちの無常な言葉が刺さる。
「ただし」
僕らは顔をあげて光の方向を見つめた。
「百目鬼春香の自己犠牲は家族への愛情からくるものであったと判断する。また、お前たちの間の変化、特に家族としての協力意思は、わずかではあるが認識できた。残りの期間で十分にやり直すことはできる。テストプレイは続行する」
裁定者の言葉は以前のような冷徹なものではなかった。
そこにはわずかながらも、僕たちへの希望が感じられた。
「次の最終発表でお前たちの全てが決まる。悔いのないように過ごすことだな」
裁定者は再び光とともに消えていった。
僕たちは裁定者の言葉を胸に顔を見合わせた。
今のところ地界行きの判定は変わらないけれど、絶望はなかった。
母さんが戻ってきてくれた。
それに、僕たちには残された時間がまだある。
これから僕たちは変わっていくんだ。
「もう二度と離れ離れにはならない。みんなで良い家族になって全員で天界に行こう」
「うん」
父さんの言葉に僕と兄さんは深く頷いた。
母さんも涙を拭いながら力強く頷く。
僕たちの本当の再出発はここからだ。
今度こそ僕たちは変われる。
そう信じて僕たちは新たな一歩を踏み出した。
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