祓屋探偵・御影夜一と憑かれた助手
水縞しま
序章
残夏〈1〉
最初は、ごく些細な変化だった。
少しだけ体が重いような、だるい感覚があった。いつの間にかひどく肩が凝っていて、関節の可動域が狭まっていることに気づいた。
目覚めも悪くなった。なかなか瞼が開かない。全身がズブズブとぬかるみに沈んでいくようで、起き上がるだけでも一苦労だ。
「……社畜が過ぎんのかもな」
掛け布団を蹴るようにして、
働き過ぎな自覚はある。勤め先は完全にブラック体質な企業だった。しかし心身ともに頑丈にできているので、特に疲弊することなく今までやってきた。何も問題は無かったはずなのに。
洗面台の前に行き、歯ブラシを口に突っ込む。肩の凝りがひどくて首まで痛い。少しでも解消したくて、頭を左右に倒していたらピキッと鋭い痛みが走った。イライラする。鏡の向こうの自分を思わず睨んだ。
睨むと多少は凄みが出る。平常時は特徴のない顔で、端的に評するならいわゆるモブ顔だった。そのせいで気弱な青年だと勘違いされることが多い。
けど、灼は普通に粗暴だ。平然と舌打ちはするし、喧嘩は買うし、というか売ることのほうが多い。好きなときに好きな場所で、好きなだけ煙草を吸う。マナーとか知らねぇ。
身支度を整えながら、灼は手慣れた仕草で煙草に火を付けた。寝起きの一服は至福のときだ。今から出勤するのかと思うと、途端に億劫になるのだが。
玄関を出ると、蒸し暑い空気が体にまとわりついてきた。一瞬で汗が噴き出してくる。うるさいくらいに蝉の鳴き声が聞こえる。
今は、夏の盛りだ。共用廊下を歩くと、わたぼこりや落ち葉、虫の死骸など目についた。
「どうなってんだよ、ここの管理会社」
イラッとして、軽く舌打ちをする。
どうやら、管理が粗いらしい。比較的新しいマンションなのに、築年数が経過しているように見えるのは、たぶんそのせいだろう。
灼は先々月、このマンションに引っ越してきた。それまで住んでいたボロアパートが取り壊されることになったのだ。仕方なく、勤め先からほど近いマンションに移った。1LDKで広さはそこそこ。家賃は高くもなく安くもなく。ほぼ立地で選んだ。通勤時間が短縮できるのはありがたい。
勤め先は入れ替わりが激しいので、必然的に灼の立場は上がった。それに伴い自由が利くようになった。給与も上がった。微々たるものだけど。良いことしかない。もちろん責任は増えるけれども、それを負担に思うような脆弱なメンタルをしていない。
……だから、むしろブラック体質が合ってると思うんだよな。
エレベーターで一階まで降りて、エントランスを歩いた。足取りが重い。やっぱり体がだるい。
「
灼は、今年二十三歳だ。どう考えても若者の部類に入る。
もしかしたら、自分が気づいていないだけで疲労が蓄積してるのかも。高卒で就職したので、ブラックな勤務を続けてそれなりに年月が経っている。高校時代もガテン系の肉体労働に精を出していたから、この若さで体にガタがきたとか……?
エントランスの入口には、大量の蝉がいた。よく見ると全て死骸だった。薄気味悪い。なんとなく、マンション全体が陰気な感じがする。空気が淀んでいるような。
そういえば、このマンションに越してきた先々月あたりからだ。体に不調が出始めたのは。
引っ越し作業のせいかもしれない。普段の仕事に加え、荷造りやら各種手続きやらで、疲れが溜まったのかも。きっとそうだ。
それ以上、特に深刻に考えることはなく、灼はエントランスを出て歩き出した。
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