第13話 安と食事        2019年6月7日(金)18時

 次の金曜日、藤堂は朝からそわそわしていた。

 安とは微信(ウィチャット)で事前に約束を交わした。18時に会社の玄関で、藤堂は藤堂のクルマに乗って待っているので、そのクルマに乗り込んで来て欲しいという連絡をしていた。

 藤堂は、出来るだけ他の社員には見られたくないと思った。

 その日、藤堂は、残業をする訳にはいかないので、日中は集中して仕事をこなし、会議も長引かない様に自らコントロールした。

 また、藤堂は、宋に17時50分にクルマを玄関につける様に、運転手に伝えて欲しいとお願いしておいた。その時の宋の反応は、「わかりました」だけであったので、安と食事に行く事は知らないのだと思った。

 藤堂は、17時50分に一階の会社玄関に降りた。既に、藤堂のクルマは玄関前に横づけされていた。

 クルマに乗り込むと藤堂は運転手にすかさず言った。

「Please Wait、One more person、ちょっと待って、もう一人」

 藤堂が必至で言った事は、運転手に伝わったらしく、運転手は、「OK」と言った。

 18時ぴったりに、安が一階ロビーに現れた。安は外から藤堂のクルマを覗き込み、藤堂が後席に乗っているのを確認すると、素早く後席のドアを開け、藤堂の隣の席に乗り込んできた。

 藤堂は、安のその一連の動作を見て、安も他の同僚には見られたくないと思っているのだと確信した。

 藤堂の運転手は、安が突然クルマに乗ってきたので少し驚いた様だが、安が運転手に色々と話していたので、藤堂は、安が何か良い言い訳を運転手にしたのだと思った。これから日系のサプライヤーに会うとでも言ったのかもしれないと思った。

 クルマは、西に向かって進み、故宮の北側に位置する南鑼鼓巷(ナンルオグーシアン)という北京の古い町並みが残っている胡同エリアで止まった。安は運転手に対して、帰りはタクシーで帰るので、待機している必要はないと伝えた。

 南鑼鼓巷のメイン通りは、東京原宿の竹下通りの様にクルマは入れないので、藤堂と安は、商店が建ち並ぶメイン通りを二人で肩を並べてゆっくり歩いた。

 安は、歩いている途中に、藤堂に胡同の建物や生活様式について説明した。

藤堂は、安と二人で南鑼鼓巷を歩いていると本当にデートしている様な気分になった。

 中央演劇学院がある角を右に曲がり、50メートル歩くと「束河人家」という火鍋屋に着いた。

 店に入ると安は店員に名前を言い、予約している事を告げた。

 この店は、雲南省の火鍋を出す店であり、店内は雲南の独特な雰囲気に包まれていた。

 藤堂と安は、火鍋を食べながら、ビールや雲南の米酒を飲み、色々な話をした。仕事の話、プライベートの話、中国文化の話、北首汽車の組織体制の話など話は尽きなかった。

 その中で、藤堂が特にドキッとした会話がある。

「藤堂さん、中国に来て一年ぐらい経ちますが、中国で北京以外の場所には行きましたか?」

「出張で上海には行ったけど、他の都市には行ってないな」

「藤堂さん、中国には魅力的な場所が沢山ありますよ。西安もいいし、成都もいいし、九塞溝や敦煌もいいですよ。早く行かないと、藤堂さんの任期中に回りきれませんよ。この店は、雲南省の火鍋のお店ですが、雲南省の麗江とか大理とかも、独特の文化と雰囲気があって素敵ですよ。私は特に麗江が好きです。雲南の雰囲気あふれる麗江のカフェで、のんびりとその土地の音楽を聴きながらプーアール茶を飲むなんて最高ですよ。今度、一緒に行きましょうよ」

 かなり酒が入っていたせいか安は饒舌になっていた。

 藤堂は、安が酒の勢いで、その様な事を言っているとは理解をしながらも、それでも嬉しかった。

 二人は、21時ぐらいに席を立った。当然、藤堂が会計をした。ビール、米酒とかなり飲んだわりには、良心的な価格で藤堂は少し驚いた。

 店を出ると安が藤堂に笑顔で言った。

「藤堂さん、後海(ホウハイ)に行った事ありますか?」

「後海? どこそれ?」

「この近くに大きな湖があって、そこが後海です。気候もいいですし、酔い覚ましに 後海まで散歩しましょうよ」

 藤堂は、まだ安と一緒に居れるのかと思い嬉しくなった。

 15分程歩くと後海に着いた。道中も安が色々な事を話してくれたので、藤堂にとってはあっという間の15分であった。

 夜の後海は静かで綺麗だった。二人で後海を眺めていると、藤堂は、今、ここで安にキスを求めても成功する様な気がした。

 だが、その瞬間、安が藤堂に言った。

「藤堂さん、後海にも素敵なバーが沢山あるので、もう一杯だけ飲んでいきましょうよ」と。

 藤堂は、急に現実に引き戻され、我に返り、安の提案に喜んでOKした。

 安がおしゃなバーを選び、藤堂と入った。

 バーのテーブル席には空きがなく、二人はカウンター席に並んで座った。

 藤堂はメーカーズマークのロックを、安はジントニックをオーダーした。

 バーでは、R&Bのバラードが流れており、音量が大きかったので、二人はかなり近い距離で会話する事になった。

 そこでは、中国人の結婚感や結婚事情についての話をした。

 藤堂は、そこで初めて、安が二年前に結婚した事、旦那は金融系の仕事をしており非常に忙しいので、まだ子供を作る気が無いという事、旦那とは見合いで結婚した事を知った。

 実際、中国では女性が30歳近くになると親が見合いを勧めるケースが非常に多い。北京の大きな公園では、親が自分の娘や息子のプロフィールを掲示し、見合い相手を探すイベントが行われていた。

 藤堂は、安の夫婦生活の話を聞き、安が100%満足する結婚生活を送っているとは思えなかった。

 二人は、それぞれ同じ酒を2杯ずつ飲み、店を出た。

 時計は10時半を指していた。

 店を出ると安があらかじめ滴滴(ディディ・中国の配車サービス会社)のアプリを使って呼んでいた白い国産車のセダンが待っていた。

 安が運転手に目的地を確認した。

 夜なのでクルマはかなりのスピードで走った。そして、クルマが揺れた瞬間に、藤堂は安の手を握った。安は拒まなかった。手を握っている間、二人には会話は無かった。藤堂は、酔ったふりをして目を閉じていた。

 クルマは、15分程走ると藤堂のミレニアムアパートに着いた。

 そして、安が藤堂の目を見て静かに言った。

「藤堂さん、申し訳ありませんが、おトイレを貸して頂けませんか?」

 その晩、藤堂は初めて中国人の女性を抱いた。


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