第29話 誓い



 

 

 鋭い眼光、大柄で屈強そうな体躯。

 麗鷲うるわしさんの祖父ということは年齢は若くても五十、おそらく六十は超えているだろう。しかし、衰えなど微塵も感じさせない佇まい。

 むしろその重ねた年齢は、大樹の如き重厚感を放っていた。



 

「お、俺……いや、ぼ、僕たちは真っ当なお友達としてのお付き合いをさせていただています」


 

「へえ、真っ当なお友達ねえ」



 ただ俺の言葉を反芻しただけなのに、腹の底に沈むような凄みがある。

 それに一哲さんの背後に置かれた日本刀やら、額縁に飾られた鷲をモチーフにした代紋が怖すぎる。


 麗鷲さんって本当に極道一家のお嬢だったことを、この光景を前に改めて実感した。



「知り合ってすぐに風呂に一緒に入ったと報告が上がってるがどうなんだ?」


 風呂?!

 汚れたばにらちゃんを洗うために一緒にお風呂場には入ったけど、それだと意味が違いませんか?!


「それは……ぬいぐるみを洗うために……」


「どうなんだって聞いてんだ。間違ってねえのかそうでねえのか」


「はい! 間違っていません!」


 

 説明したいけどそんなことできる雰囲気じゃない。

 ほう、潔く認めたか、と一哲さんは顎にたくわえた髭を撫でる。


 

「それに、毎日ご飯を作らせてるっていう話じゃねえか」


「作らせていると言いますか……。はい、作ってもらっています」


「花見で膝枕させたり、他にも色々させてるようじゃねえか。それでも真っ当な友達といえるか? 軽い気持ちでうちの孫娘に手出してんじゃねえのか? あ?」


 

 人から聞けば聞くほど友達の域を超えているような気がする!

 散々一緒に過ごしててなぜ気がつかなかったんだ!


 

「てんちゃんとはそういう関係じゃありません」


「てんちゃん……だと!?」


  

 ああ、これまでの癖でつい!!

 一哲さん、ちらっと日本刀見ないでください!!

 


 

「てめえ極道一家と関わっていくことがどういうことか分かってんのか」


 

「いいえ、分かっていません」


 

「は?」


 

 空気が一層重くなる。呼吸が止まりそうになる。

 この調子だと話すことすらままならなくなりそうな雰囲気の中、俺は言葉をどうにかして搾り出す。


 

「だけど、極道一家として生まれ、これまでてんちゃんに友達ができづらくて学校では一人で過ごしてきたんだろうということは分かります」


 

 学校での彼女を取り巻く視線や、カフェに行ったときに味わった疎外感。

 そのどれもを俺は覚えている。



「随分と言ってくれるじゃねえか。俺たちのせいであいつを独りにしたとでもいいたいのか?」


「それは違います。麗鷲組の皆さんがいてくれたから彼女は独りではなかった」

 


 前になんでそんなに料理ができるのか聞いたとき、世話係のみんなが教えてくれたといっていた。

 それにお花見の用意をしてくれていたり、麗鷲さんのお願いに応えていた様子から良好な関係が伺える。



 

「しかし、同年代の友人を持ち、共通の趣味で遊ぶことも僕たち高校生において大切なことだと思います」


 

 俺はひとりでぬいぐるみを作っていたときは、このままでも良いなんて考えていた。自分の知らない土地で、ひとり気のままおもむくままに過ごせれば問題ない、なんて。


 だけど本当は友達が欲しかったんだ。

 教室のクラスメイトを横目に見ながら憧れていたんだ。


 

 麗鷲さんと出会って、好きを共有して遊ぶことの楽しさを知った。

 

 

「なるほどな。てめえの言いてえことは分かった。しかしだな、俺ぁこの麗鷲の代紋だいもんに誓って、両親のいない天を幸せにしなくちゃならねえ。中途半端な覚悟で近付いてもらっちゃあ困るんだ」

 


 

 一哲さんは、振り向かないまま壁に掛けられた家紋を親指で指差しながらいう。

 俺は一瞬、その大きな存在を前に怯みそうになる。


 

 だけど、カフェでの出来事があったあの日。寂しそうに俯く麗鷲さんの横顔を見て俺は思ったんだ。



 

「てんちゃんはその綺麗でかっこいい見た目からちょっと誤解されそうになるところもあるけれど、本当は可愛いものが好きで、普段はクールなのに推しについては楽しく語る、それでいて人一倍優しい女の子なんです。俺はそんな彼女から、離れるつもりありません」


 

 今では麗鷲さんの居ない生活は考えられない。それほどに充実している。

 そして、俺は鞄の中から肌身離さず持ち歩いているものを取り出す。



 

「一哲さん。あなたが鷲に誓うなら、俺はこの『ブラックドラゴン』に誓います!」


 

 裁縫セットに描かれた『ブラックドラゴン』を印籠のように一哲さんに向ける。

 これが俺の相棒だ。これまで数々のぬいやぬい服たちを作るときにそばにいてくれた、そして俺と麗鷲さんを繋げてくれた大切な存在。


 

 どうだ! 鷲よりドラゴンの方が強いぞ!


 

「ぶ、ぶっ、ぶらっくどらごん?!」



 一哲さんは裏声で震えながら言った後、ぶふぉと厳しい表情を崩して吹き出した。


 

「鞄に手を突っ込むからチャカかドスでも取り出すのかと思ったら、ぶ、ぶらっくどらごんじゃと? ひ、ひぃ……ひぃこの老体をそんなに笑わせんでくれ」


 

 一哲さんはひとしきり笑った後に、真面目な顔をして向き直った。

 いや、ちょっと口の端がぴくぴくしている。

 

「すまねえ。おめえさんのその象徴と覚悟を笑ったわけじゃねえんだ。ただあまりにも思ってもないところからの攻撃で驚いたんだ。なかなかやるな」


 

 どうやら組長を一泡吹かせられたみたいだ。


 

「創、おめえさんの覚悟は分かった。最近、天がよく遊ぶにようになった相手がどんなやつか知りたかったんだ。試して悪かったな」

 

「え?」


 

 俺試されてたのか?!

 認めてもらえたのか名前で呼んでくれるようになっているし。

 きっとよこしまな関係でないことが分かった上であんな聞き方をしていたんだろう。


 

「これからも天のことよろしく頼むぞ」

 

「はい!」


「だけど変な真似すんじゃねえぞ、筋はきっちり通せよ?」


「はいぃ!」


 

 筋ってそういうことだよね。俺たちがそんな関係になる日が来るのだろうか。

 一哲さんはかなり怖いけれど、孫を想う良い人だということが分かった。



 

 失礼します、と俺は立ち上がって部屋を出ていこうとする。



 

「創よ、おめえさん中学三年生になる妹さんがいるらしいじゃねえか」


 

 ぴたりと体が止まる。


 

「咲茉ちゃんだっけか、いま元気か?」



 振り向いて一哲さんを見ると、にいぃと口角を釣り上げて笑っていた。

 なぜこの場で咲茉の名前を……。

 まさか、本当は全然認めていなくて咲茉が人質にでも取られているか?!


 

「ここで電話かけてみな」


 

 ぞくっと背筋が冷える。やはりこの人は極道一家の組長……!

 俺は急いで咲茉にコールする。


 

『もしもし、そうちゃんどうしたの?』


「咲茉! 大丈夫か?」


『んー? いきなりなに? そうちゃんこそ頭大丈夫?』


 

 へ? なんだかいつも通りの咲茉の声だった。

 ちょっと代わってくれやと一哲さんがいうので、俺はスピーカーにする。


 

「初めまして咲茉ちゃん。わしは天のおじいちゃんの一哲じゃよ」


 

 一哲さんは俺と話してた時は全然違う優しい声を出す。誰だこの人。


 

『天ねえのおじいちゃん? 初めまして咲茉だよー!』


「ほほう、この間は天に色々よくしてくれてありがとねえ。お礼に今度色んなお化粧品やお洋服送るからねえ」


『ううん、咲茉がしたかっただけだから。でも、ほんと?! 哲じいありがと!』

 

 哲じいってなに言ってんだ咲茉?! あいつは無敵か?!

 電話を切って俺は一哲さんに尋ねる。


 

「あの……、いま元気かってどういう意味だったんですか?」


「ああ? そのままの意味に決まってんだろ。それに随分と天が世話になったみたいだからよ、ありがとうなって伝えたくてよ」

 

「オヤジ、その笑顔は怖いですって」


 いつの間にか部屋に入ってきていた岩橋さんがいう。

 

「えぇ、そうかい? 創を怖がらせねえように笑って聞いただけだったんだが」


「オヤジの言葉を額面通り受け取る人いませんって……」


 

 岩橋さんは頭を抱えていた。

 この人、麗鷲さんのお祖父さんだー!!


 

 ふ、と俺は吹き出す。


 

「いや、すみません。一哲さんとてんちゃんがとっても似てるなって思って」


「かかか、天とわしが似とるか。嬉しいこと言ってくれるじゃねえか」


相楽さがらくんなに言ってるの。全っ然似てないから」


 

 澄んだ声が大広間に響く。

 岩橋さんの後ろには麗鷲さんが鬼の形相で立っていた。


「悪りぃな天。ちいとばかし創のこと借りてたぜ」


「家の中に入れて脅すなんて最低! それに、なんでお爺ちゃんが相楽くんのこと名前で呼んでるの!? 私はまだ相楽くんなのに! お爺ちゃんなんか知らない。行こう相楽くん」


「え……えぇ、てんちゃん?!」


 

 俺は麗鷲さんに手を引かれて、大広間を後にした。


  

「天! すまなんだ! 待っとくれええ!」


 

 背後からは、誰もが恐る極道一家である麗鷲組組長とは思えない、情けない声が響いていた。







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