第4話 彼との出会い 天side
私の家族でもある大切なぬいぐるみ、『ばにらちゃん』を落として、私は激しく動揺していた。
今日は組のお花見があって、そこの桜が評判だから普段は家でお留守番をしてもらっているけど、一緒に見たくて持ち出した。
巾着にボールチェーンでつけていたのに、帰り道に気がつけば外れていた。
私は膝を折り、地面を探し回っていた。
私がばにらちゃんと一緒に歩きたい、と車での移動を徒歩にしたせいだ。
今頃寂しい思いをしているかもしれない。
私は、知らないところでポツンと一人ぼっちになっている『ばにらちゃん』を想像する。
一人で置いていかれるのがとても寂しいことを私はよく分かっているはずなのに。
「うぅ、どこにいったの……」
私の不注意で迷子にさせてしまった。
もしかしたらもう二度と会えないかもしれない。
私が失くして焦っている時に『また同じ物を買えば良いじゃないですか』と若い組員が励ましてくれたけど、ぬいに同じ物なんてない。
「すみません」
ふと、男の子の声が降ってきた。
それが彼との出会いだった。
「あ?」
その時、威嚇した私を今なら半殺しにしたいほどに悔いている。
「ナンパならお断り、今はそれどころじゃない」
自分でも自覚があるけど、私の見た目は話しかけ易いタイプじゃない。
組員には『お嬢の目は若頭よりもおっかないっす』なんて言われるくらいだ。
華の高校生に対してそんな失礼なこという人には、後で優しく叱ったけど。そう、優しくね。
そんな私が完全なる拒絶をしたのに彼はもう一度かけてくれた。
それが彼の優しさだと気づくのに時間は掛からなかった。
彼は私の『ばにらちゃん』を差し出してくれた。
しかし残念なことに、体は全体的に汚れ、腕も取れていてとても痛々しい姿だった。
形はどうあれ見つかったことを喜ぼうとしていたけど、どうしようもなく落ち込んでしまう。
そんな中、彼が自分に貸して欲しいと提案してくれた。
そこからは魔法のようだった。
鮮やかな手捌きで、すぐにばにらちゃんの腕を繋いでくれた。
「男がぬいぐるみ好きなんて変ですよね」
悲しそうに笑う姿に胸が痛んだ。
同時に、彼をこんな顔にさせた人は誰なのかと憤った。
「そんなことありません、とても素敵です! あなたは命の恩人です」
私の大切なものを、大切にしてくれた優しい心。
そして、あの手捌きは彼の努力の結晶。
それを誰が否定できるというのだろう。
「あ、そうだ。まだ名前聞いてなかった」
彼に名前を聞かれ、私は自己紹介をした。
「
聞かれたのなら答えねばなるまい、たとえこの名前がこの街で恐れられようとも。
私は自分の組のことを好きだし誇りに思っている。
馬鹿なところがあったりするけど良い人が多い。
私が小さい時から世話をしてくれているし面倒見だっていい。
麗鷲組は半グレやマフィアといった外部組織から街を守る、治安の保全に一役かっている。
代々の組長の方針でクスリなどを取り扱った危ないシノギはやっていない。
だけど、そう思うのは身内だからだとは分かっている。一般人は暴力団を怖がるのが普通だ。
「かわいい名前だね」
「え?」
「よかったね、てんちゃん」
あろうことか下の名前、それにちゃん付けで呼ばれるなんて。両親が生きていた頃以来だ。
今は呼ばれるなら名字か『お嬢』だ。名前を呼ぶのは組長であるおじいちゃんくらい。
結果として、彼がそう呼んだのは些細な行き違いだった。
けれど、彼が呼んだ「てんちゃん」という響きが鼓膜から離れることはなかった。
「……
そして彼と別れてから、彼の名前を口づさむ。
裁縫セットに書かれていた名前を見逃さなかった私を褒めてあげたい。
浸っていると、遠くから二人の柄の悪そうな男が走ってくるのが見えた。
「お嬢、すいやせん見つかりませんでした」
「お嬢〜、めっちゃ探したんすけどどこにもなくて、まじ不甲斐ないっす」
一人はスキンヘッドで堅物そうな大柄な男。岩橋。
もう一人は金髪でひょろっとしたチャラそうな男。松田。
こんな二人に話しかけられたら誰だって驚くだろうけど、彼らは麗鷲一家の組員で私の世話係。
彼らは私と同じように『ばにらちゃん』を探し回ってくれていた。
「こうなったら俺たちだけでなく、組員全員を招集して捜索にあたりますか」
「誰かにパクられたかもしれないっすからね……。あれ、お嬢その手に持ってるのって」
松田が私が手に持っている物を見て、目を見張り大声をあげる。
「見つけたんすか! いやあ、良かったすね!」
「うん、見つけた」
私は『ばにらちゃん』を胸に抱き抱える。
それと同時に、私は一人の優しい男の子のことを思い浮かべていた。
◇
じゅーと肉の焼ける音、ぐつぐつと鍋の魚が煮える音。
一般家庭よりも広い台所が、今日は所狭しと食材やら調理器具に埋め尽くされている。
お肉の焼き加減はこれでいい、味付けも濃すぎないし丁度いい。
魚もこれ以上は煮えすぎて身が崩れてしまうからここで火を止めて、冷めてたらお昼には味が染み込んでいい具合になる。
早朝、私は制服の上にエプロンをつけて、同時にいくつもの料理をこなしていく。
「お嬢、今日はご馳走ですか?!」
台所にいつものように騒がしく入ってきた松田が、この光景に喜びの声を上げた。
ちょっと一口と、手を伸ばす松田の頭を後から来た岩橋が殴った。
「なんすか?! 殴ることないじゃないっすか」
「これは俺たちのじゃねえよ」
「じゃあ誰のって……ああ」
松田は合点がいったようだった。
「あの
聞き捨てならない言葉が聞こえてきたので手に持っていた獲物を投げる。
包丁がすとんと松田の顔の横をすり抜ける。
「
勘の良い岩橋が私に代わって松田を訂正する。
「それでいいの」
「だからって
壁に刺さった包丁を取って、洗ってから調理を続ける。
刃こぼれは……していない。さすがおじいちゃんのお気に入りの刀匠の作品、なんて感心する。
「無視はなくないですかー?!」
今、私が甲斐甲斐しく料理をしているのは
その日中に二人に頼んで
私の通う高校の理事長とおじいちゃんは幼馴染らしく、何かと便宜を図れるからという理由で私はそこに通っている。
私は
彼が隣の家に住んでいるということも把握しているけど、いきなり突撃するのは重い女と思われたくはないから自重した。
「
「春が来たのかもな」
「へ? 春はもう来てるっすよ、花見したじゃないっすか。岩橋さん馬鹿なこと言わないでくださいよー」
「馬鹿はお前だこの野郎」
今から
彼の前では変な顔をしないように表情筋を固めることに決めた。
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