第12話:褒美と根回し
「この度の働きは見事である、本来なら大々的に褒賞すべきなのだが……
一番働いた、その方の手柄にしてやれなくて悪いな」
上屋敷に報告に来た勝三郎を、老中の田沼意次が直々に労う。
「とんでもありません、町方の者達を守るのが佐久間家の役目でございます」
「その方が立てた手柄を、全部他の者に与えるしかないのだぞ」
「お気遣いは有難いですが、ちゃんと父上や兄上達。
義父や親類達の手柄となっております、御気になさらないでください」
「うむ、そうか、そうか、飲め」
「頂戴いたします」
老中から労われて直々に酒を注がれるなど、二百俵取与力の部屋住みには、とんでもない栄誉だった。
「この度の件、黒幕がいるというのは本当か?」
「はい、火付け盗賊改めの権限で激しい拷問を加えましたが、どれほど責めても何も吐きませんでした。
それどころか、目をつけていた者達は、牢番の目を盗んで自害してしまいました。
金をもらって盗賊に学寮を貸していた僧達は何も知らないようです。
ひと筋縄ではいかない者達が、裏で糸を引いていたものと思われます」
「引き続き探索を任せたいが、必要な物はあるか?」
「率直に申し上げますが、軍資金と人手、権限が必要でございます。
町方は父と長兄が与力しておりますので、何とでもできます。
旗本御家人に対しては、義父を通じてある程度の事ができます。
問題は寺社地です、次兄の養家が火付け盗賊改めとなったので学寮に入れましたが、そうでなかったら取り逃がしていたかもしれません」
「勝三郎の手柄は目覚ましい物があったが、それが全て家族の物となった。
町方与力の佐久間家には奉行所からの褒美しかないが、柘植家は違う。
柘植甚左衛門は、この度の手柄を理由に徒目付組頭に抜擢する」
「有難き幸せでございます」
「御先手組与力の佐久間家も抜擢する事はできないが、組頭を火付け盗賊改め方に任じて、寺社地に立ち入れるようにはできる。
組頭に能力がなかったら、有能な者の下に移すから安心しろ」
「有難き幸せでございます」
「助かっているのは余の方だ、礼には及ばぬ。
権限はこれである程度は補えるであろう。
どうにもならない時は余が何とかしてやるから、知らせに参れ」
「はい、これからも小まめに報告させていただきます」
「軍資金と人手だが、幕府は勝手向きが苦しいのだ。
できるだけの事はするが、全て補えるわけではない」
「では御老中の留守居役に、某の船宿を使うように言っていただけませんか?」
「ほう、やるな、留守居役の豪遊に自分の店を使わせるのか?」
「はい、金に糸目をつけない留守居役に使っていただければ、船宿が繁盛して探索に使える軍資金と人手が増えます」
「分かった、三浦と須藤に話しておく。
留守居役同士の会合だけでなく、町方の接待にも使うように申し付けておく」
「有難き幸せでございます」
勝三郎は田沼意次直々の歓待を受けて、更に褒美の百両与えられた。
田沼意次は約束通り勝三郎の義父を徒目付組頭に抜擢した。
老中に労われた翌日、勝三郎は朝から槍の鍛錬に励んでいた。
「若旦那、捕えられた岡場所の女達が、吉原に売られるという噂は本当ですか?」
大川の魚を槍で生け捕りにしている勝三郎に亥之助が話しかける。
「貧しくて身を売るしかなかった者達だ、無給で吉原で働かされるのは可哀想だ。
だが吉原に売られなくても、年季が終わっても、隠れて身を売るしかないだろう」
勝三郎が憐れむように言う。
「何とかしてやれないんですかね」
「親兄弟の借金がある女だと、少々の内職ではどうにもならん」
「悪い親兄弟から匿ってやることはできないんですか?」
「親兄弟を見限れる者は助けてやれる。
だが、苦界に身を置き続けても親兄弟を助ける孝行者は助けてやれぬ」
「ちくしょう、人でなしの親兄弟を殺してやりたいぜ!」
「孝行者の女を助ける為に親兄弟を殺すのは簡単だ。
だが、どれほど酷い親兄弟でも、親兄弟を殺されて嘆き悲しむのも女だ。
御定法を越えて殺す訳にはいかない、やれるのは御定法通りに罰する事だ」
「それはどういう意味なんですか?」
「博打の胴元はもちろん、屋敷を貸した者も遠島となり赦免にならない限り戻らぬ。
そうなれば娘や妹に集る事はできなくなる」
「ですが女たちの親兄弟は、胴元や家主ではありませんよね?」
「ああ、違う、胴元になる才覚も無ければ、家屋敷もない貧乏人だ。
だがほぼ全員が博打や女に狂った愚か者達だから、賭博を打った罪になる。
博打場で捕まえられたら、軽く重過料、重ければ非人に落とす非人手下となる」
「女が一緒に処罰されたりしませんか?
連座や縁座にされたりしませんか?」
「博打をしただけでは、家族が連座や縁座に問われる事はない」
「ですが若旦那、重過料に問われたら、その銭も女に無心するじゃありませんか?」
「大丈夫だ、俺が手を回せるところには全部話を通して非人手下にする」
「非人手下になっても女に付きまとうんじゃありませんか?」
「罪を犯し罰を受けて非人手下となっているのだ、もう縁は切れている。
娘や姉妹だからと言って付きまとう事は許されん。
少なくとも俺の目の届く範囲は絶対に許さん」
「先ほど若旦那が申されていましたが、心優しい女ほど、縁が切れても助けようとするんじゃありませんか?」
「その時は強請集りで捕らえてやる、十両を超えていれば死罪にしてくれる。
まあ、そんな事になる前に、非人頭に話を通して絶対に近寄らせん」
「やっぱり若旦那は頼りになりますね」
「亥之助にそこまで言われたら、愚図愚図していられないな。
鍛錬はこれくらいにしておいて、父上と兄上に話を通しに行く。
俺も動くが、亥之助にも動いてもらうぞ」
「はい、何でも言ってください」
「今伝馬町の牢屋敷に捕らえられている岡場所の女達だが、家族が町方に残っているのか、同じように捕らわれているのか調べてくれ」
「分かりました、女を喰い物にする家族が賭場で捕えられているなら、確実に非人手下になるようにしてくださるのですね?」
「そうだ、捕えられていない家族がいるなら、好い奴か悪い奴か調べてくれ」
「悪い奴なら通っている賭場を調べて捕らえてくださるのですね?」
「そうだ、念のために言っておくが、賭場に行くように罠を仕掛けるなよ。
心を入れ替える可能性が絶対にないとは言えない。
家族仲良く楽しく暮らすのが理想だから、捕えるなら博打を再開してからだ」
「……まどろっこしいと思いますが、若旦那の言われる事が理想なのは分かります。
分かりました、ここで誓います、陥れるような事はしません。
ぶちのめすのは、女に金をせびりに来てからにします」
「信じるよ、女の事は任せる、喜八、亥之助を手伝う奴を選んでくれ」
「分かりました、御任せ下さい」
勝三郎は亥之助に言った通り南町奉行所に行って、捕えられた岡場所の女達が厳しい罰を受けないように手をまわした。
父と兄に膝詰めの談判をして、できれば女達の罰を軽くするように頼んだ。
町奉行所も本音では岡場所の摘発はしたくなかったのだ。
火付け盗賊をあぶり出すために行ったが、普段は余程吉原遊郭が強く願い出ない限り、岡場所は見て見ぬふりをする方針だった。
百万人都市江戸の男女比率は、極端に男の方が多い。
吉原だけでは男の欲望が発散されず、強姦などの性犯罪が頻発してしまう。
そういう考えで、普段は岡場所や夜鷹は目こぼしされているのだ。
「勝三郎の考えは分かった、南町は私が責任を持って微罪になるようにする。
悪い家族や貧乏から身を売るようになった女達だ、御奉行には軽過料に留めるように進言するが、北の御裁きにまでは口出しできぬぞ」
「小者を走らせて田沼様に謁見を願っております」
「そうか、田沼様なら分かってくださるだろうが、思い上がるなよ」
「はい、御老中と私では見ている事も大切にしている事も違います。
願いが聞き届けて頂けなくても仕方ないと思っております。
その時には自分のできる範囲で何とかする心算です」
「これはまだ表に出ていない話だが、吉原の主だった楼主が、捕らえられている女達を入札したいと幕閣に訴えている」
「当然賂を送っているのでしょうね」
「間違いなく送っているだろう、幕府の勝手向きが苦しいのもあるが、御老中と言えども欲がある、その事を忘れるなよ」
「与力の家に生まれた私は、その賂で豊かな暮らしをさせてもらっていたのです。
幕閣の方々に憤れる身分ではない事くらい分かっています」
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