第10話:評定所
「御老中の命である、押し入れ!」
「「「「「おう!」」」」」
老中田沼意次の許可を受けた勝三郎は、賭場を徹底的に取り締まった。
表向きは徒目付の義父柘植甚左衛門の手伝いで、旗本御家人の屋敷に押し入る。
配下の付けられた中間目付や小人目付を率いて、旗本御家人の屋敷を取り締まる。
ただ屋敷に着くまでは、義父の配下にはどの家に押し入るか教えなかった。
先に教えたら、取り締まりがある事を賭場の胴元に教える恐れがあったからだ。
だから賭場が開かれている屋敷を調べ見張るのは、勝三郎の密偵が行った。
勝三郎と密偵達はとても勤勉で、毎日のように新たな賭場を見つけた。
あまりにも捕らえられる旗本御家人が多く揚座敷が一杯になり、仕方なく五百石未満の旗本御家人でも親戚預けになるくらいだった。
勤勉に田沼意次の命に従うのは勝三郎だけではなかった。
南町奉行所も老中直々の厳命に従って賭場と岡場所を取り締まった。
「御老中直々の命である、些かの遺漏も許されぬ、徹底的に取り締まれ」
「「「「「はっ!」」」」」
南町奉行所の年番方与力、佐久間武太夫が現場にまで出張って指揮した。
月番が残り少ない南町奉行所だったが、与力同心を総動員して毎日何件も賭場と岡場所を取り締まり、とんでもない数の罪人を捕らえた。
「御老中直々の御下命である、これまでのような病死は絶対に許さん。
囚人に病死がでたら、牢名主だけでなく先に入っていた者全員を磔獄門とする、分かったか!」
「「「「「へぇ~い」」」」」
佐久間武太夫年番方与力が直々に伝馬町の牢屋敷にまで来て命じた。
牢屋奉行に頼むのでもなく下役に命じるのでもない、背筋の凍る厳命だった。
牢役人の目こぼしで好き勝手やっていた牢名主達は恐怖した。
これまでは牢屋に罪人が増えると、牢内の規律を乱す者、元岡っ引などの町方の手先、鼾の五月蠅い者、牢外から差し入れのない者などを殺すのが慣習だった。
牢屋奉行も配下の同心も黙認していたが、今回ばかりはそうもいかなかった。
目付と南町奉行の働きを見た寺社奉行も慌てて寺社の摘発を行った。
寺社や門前町の顔役から賄賂をもらって目こぼししていた悪事を摘発した。
火付け盗賊から賄賂をもらって見逃したとなれば、御家取り潰しは免れない。
寺社奉行が本気で取り締まれば、とんでもない数の僧や神官が捕らえられる。
「罪人が多かろうと目こぼしは絶対に許さん、急ぎ全員の裁きを終えよ」
老中田沼意次の厳命に、評定所で取り調べを行う留役が慌てた。
評定所留役を送り出している勘定奉行所も慌てて手助けをした。
各奉行所だけで裁けない、評定所の詮議が必要な重罪者が多過ぎたのだ。
本来なら評定所の裁きは四日、十三日、二十五日に開かれる立合日にだけ行われ、老中の立ち合いも無しに裁かれるのだが、それでは牢屋から人が減らない。
関東郡代支配の本所牢屋、評定所仮牢、町奉行所仮牢、勘定奉行所仮牢、寺社奉行屋敷の牢屋などを使っても罪人が多過ぎて病気になりそうだった。
本来は評定所一座の各奉行宅で行われる、話し合いをするだけの内座寄合でも、評定所の裁きをしなければいけないくらい罪人が多かった。
更に評定所一座の寺社奉行四人、町奉行四人、公事方勘定奉行二人に月番老中で幕府の重要事項を話し合う式日の二日、十一日、二十一日にも裁きが行われた。
賭博開帳で捕らえられた旗本御家人は問答無用で切腹改易となった。
賭場に通っていた旗本御家人は、当人が永押込で改易という厳しいものだった。
慣例を破ってまで裁きを行ったが、それでも牢屋は一杯だった。
旗本御家人さえ先に裁いてしまえば、後に残った者は牢名主に殺させればいいと言うかもしれないが、そうはいかなかった、真の目的が火付け盗賊だからだ。
それに寺社奉行所、町奉行所、勘定奉行所が独断で下せる刑が限られていた。
町奉行所と寺社奉行所は多くの罪人を裁かないといけないのだが、中追放を超える裁きは老中の承認、特に遠島と死罪は老中に裁可してもらわなければならない。
しかし老中が勝手に決めると間違える事があるので、重罪が妥当か評定所で町奉行、勘定奉行、寺社奉行に審議させ、老中がその意見を元に裁可し将軍が容認した。
旗本御家人だけでなく、僧や神官、町民にまでこれだけの手間をかけていた。
重罪人を捕らえたら老中も将軍も裁きに携わるので、月に三日では牢屋の罪人が増える一方で、月に九日裁いてようやく増えない状況だった。
「南に負けるわけにはいかぬ、残った岡場所と賭場を全て叩き潰せ」
「「「「「はっ」」」」」
南町から月番が変わった北町奉行所の年番方与力が、全与力同心に檄を飛ばす。
北町奉行の曲淵甲斐守景漸は南町奉行所と競う気はないのだが、配下の与力同心たちは南町奉行所を競争相手として強く意識していた。
北町奉行所が南町奉行所に負けまいと多くの賭場と岡場所を取り締まる。
柘植甚左衛門も引き続き旗本御家人屋敷で開かれる賭場を取り締まっていた。
旗本御家人が賭場を差配できている屋敷は、幕府が本気で取り締まっている間は賭場を閉めていたが、博徒や中間の方が力のある屋敷では変わらず開かれていた。
「徒目付柘植甚左衛門である、もはや逃れられん、大人しく縛につけ」
「おのれ三一、捕えられるものなら捕えてみろ」
御家人の中間部屋で開かれていた賭場に柘植甚左衛門が配下を率いて押し入った。
悪中間や渡世人が一斉に逃げようとするが、そこには勝三郎と亥之助がいた。
遊びに来たように見せかけて潜入していたのだ。
この期に及んで賭場を開いているような連中だから、幕府を舐めているし金に対する執着も激しかった。
自分達だけは捕らえられないと思い込んでいたし、幕府を恐れて常連客が減っていたので、一見客でも賭場に入れるような馬鹿だった。
「逃がすか!」
勝三郎は脇差を抜く事もなく、柄頭や鞘尻を使って中間や渡世人を気絶させた。
亥之助も得意の身のこなしを生かして縦横無尽に暴れ回る。
北町奉行所と目付が、手を緩めることなく岡場所や賭場を取り締まり罪人を捕らえるので、寺社奉行も取り締まりを緩める事ができなかった。
家臣が寺で賭場を開いている渡世人から賄賂をもらい、目こぼしていた寺に火付け盗賊改めが押し入って、渡世人だけでなく僧も捕らえたのだから面目丸潰れだ。
普通なら火付け盗賊改めと言えども、、寺社地に入り込んでの捕り物は遠慮するのだが、目当てが千代田の御城に飛び火させるかもしれない火付け盗賊だ。
老中田沼意次の強力な後押しもあり、火付け盗賊改め方長官の菅沼定亨は、思い切って寺に押し入って賭場を取り締まった。
厳しい取り調べて、寺社奉行の家臣が渡世人や僧から賄賂を受け取っていたのが明らかになり、寺社奉行の土屋能登守篤直は厳罰を覚悟した。
「家臣の罪くらいで直ぐに処分しない。
だが、失態を償う働きをしなければ厳しい処分を下すしかない。
家臣共々路頭に迷いたくないのなら、本気で取り締まれ」
老中田沼意次直々に、一緒に呼び出された江戸家老と厳しい叱責を受けた。
土屋能登守と江戸家老は家臣達を厳しく取り調べて、賄賂を受け取って賭場を見逃していた者を全員切腹させた。
家臣を処罰しただけでは藩が取り潰されるかもしれない。
賄賂を受け取っていなかった家臣を率いて、寺や神社を徹底的に取り締まった。
もう二度と火付け盗賊改めに先を越されないように、死に物狂いで取り締まった。
中には冤罪の者、訴えがあっただけで捕らえられた僧や神官もいたが、火付け盗賊改めに先を越されるよりは好いと形振り構わず捕らえた。
その激しさは、七万人弱いた江戸の僧籍が、二割近くが捕らえられるほどだった。
僧籍だけでそれだけ多いと、全ての牢屋を使っても追いつかない。
寺の檀家総代や神社の氏子総代に破戒僧達を預けなければいけないほどだった。
「若旦那、今日も牢に行かれるんですか?」
最近の勝三郎と亥之助は、賭場を探り当てるのを他の密偵に任せて、捕えられた罪人達を見て廻る事に専念していた。
「ああ、捕えた者達の中に火付け盗賊がいるかもしれない。
父上や兄上も見逃さないように牢屋を見廻っている、私も手伝わなければな」
「お供させていただきます」
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