第5話:雨垂と毒殺

「ほう、横須賀藩の雨垂村の生まれと申すか?」


「へい、十二で村を出るまで暮らしやした」


「それで雨垂と名乗っていたのか?」


「へい、忍び込む時の音を消せる雨の日を選んでおつとめをしておりましたので、生まれ故郷を二つ名にする事にしやした」


 佐久間勝三郎に生け捕りにされた雨垂の亥之助は、観念して全て話した。

 御家騒動の件を父親から聞かされたばかりの勝三郎は、その偶然に驚いていた。


「雨垂村には良い思い出がなかったのか?」


「さあ、家も田畑もない小作人の両親から生まれ、親兄弟の全てを流行病で失って、捨て鉢になって村を出てしまいましたから……

 ただ、今思えば、それほど悪い村ではなかったと思います。

 行き倒れた所を御頭に助けられ、この道に入って色々見聞きしてきましたが、他の村に比べればましだったと思います」


「ほう、何故そう思う?」


「御頭が召し捕られて独り働きになった時に思ったんです。

 どうせ盗みに入るのなら、親兄弟が死ななければならないような政を行った横須賀藩のお城からお宝を盗んで、大恥をかかせてやろうと。

 ですが仕込みをしていて分かったんです、殿様が俺たちのような小作人を助けようと、御救い小屋を作ったりしていたんです。

 親兄弟が死んだ時も、御殿様が御救い米をだしてくださっていやした」


「その横須賀藩の西尾家だが、御家騒動が起きているようだ」


「なんですって?!」


「佞臣が徒党を組んで、若殿に毒を盛って殺す気のようだ」


「盗人の俺ですら悪商人を殺さないようにしているのに、武士が主君を殺そうとしているなんて、何て性根の腐った連中だ。

 そんな性悪が百姓を助けるとは思えない、俺が成敗してやりたいが……」


「雨垂の亥之助、俺の密偵になって悪人を捕らえる手伝いをしないか?」


「盗賊仲間を売れと言われるんですかい?!」


「本格の盗賊を売れとは言わん。

 だが、家人を殺して火付けをする盗賊まで庇い立てする気か?」


「とんでもない、そんな畜生働きをする連中は絶対に許せない!」


「だったらそのような連中だけ知らせてくれれば好い。

 亥之助に直接手を下せとは言わん、隠れ家がどこにあるのか、何所に盗みに入ろうとしているのか、知らせてくれるだけでいい。

 ついでに横須賀藩の事を調べてくれれば、百姓衆を苦しめるような連中は俺が取り除いてやろう」


「本当ですね、江戸の町人だけでなく、旦那とは何の関係もない横須賀藩の百姓衆も助けてくださるんですね?」


「ああ、約束する、俺も武士だ、主君に毒を盛るような連中は見逃せない」


「分かりやした、手伝わせていただきやす」


 雨垂の亥之助を密偵にする事にした勝三郎だが、問題は御裁きだった。

 亥之助ほどの盗賊だと、磔獄門は免れない。


 密かに捕らえたのならともかく、夜中とはいえ大見得を切って捕らえている。

 今さら捕らえていないと南町奉行の牧野大隅守に言えない。


 そこで、渡世人同士の争いで斬り殺された遺体を身代わりにした。

 いや、渡世人の遺体が手に入ったので、亥之助を密偵にする事にしたのだ。

 自身番から逃げようとした亥之助を密偵達が斬り殺した事にしたのだ。


 ★★★★★★


「おっと、俺たちは敵じゃない、若殿を助ける為に来たんだ」


 横須賀藩中屋敷の天井裏に忍んで来た男が囁くような声で言う。

 先に忍んでいた佐久間与力の密偵達と争わないように素早く言う。


「何所の手の者だ?」


 雨垂の亥之助が匕首で斬りかかろうとするのを、他の密偵が止めながら聞く。


「幕府だ、お前達は南町奉行所の者か?

 手を引けと言われたのを聞いていないのか?」


「南町奉行所ではなく、佐久間の旦那の手の者だ」


「同じだ、今後の事は我らが引き受ける」


「駄目だ、幕府が民百姓の事を考えるとは思えない。

 藩や武士の事を優先して、民百姓を苦しめるのは見過ごせない」


 止められていた亥之助が手を振り払って前に出て言う。

 天井裏で身を屈めながらの言い争いは、他人が見れば滑稽だが当人達は命懸けだ。


「ふむ、ならば好きにするが良い。

 ここでの役目が無くなれば、江戸の者達を助けられるのに、愚かな事だ」


「なんだと?!」


 亥之助の声が段々大きくなっていた。


「声が大きい、下の者たちに気付かれるぞ、俺は大旦那の指示を仰いでくる。

 それまでは、このまま見張りを続けろ」


 佐久間与力の密偵の一人が急ぎ町奉行所に向かい指示を仰いだ。


「我々はこれで手を引く、後は幕府の方々にお任せする」


 風のように行って戻って来た密偵が言う。


「嫌だ、俺は横須賀藩の事をやらせてもらえるから密偵に加わったんだ」


 雨垂の亥之助が 声を抑えながら抗議する。


「申し訳ありませんが、この者だけ手伝わせてもらえませんでしょうか。

 これまで調べた事を引き継ぐにも、一人は残したいです。

 幕府の方々が梃子摺るとは思いませんが、町奉行所との連絡もいるのでは?」


「分かった、良かろう、これまで働いて来たお前達の手柄を奪う事になるのだ。

 最後まで加わって、事の顛末を知らせる者が一人はいた方が良いだろう」


 雨垂の亥之助が残る事になった次の日、佞臣たちが動いた。

 幕府の手の者が天井裏や床下に潜んでいる事を知らず、若殿山城守忠移を毒殺しようと、茶に鳥兜を溶かし込んだ。


 それを見ていた雨垂の亥之助が、幕府の密偵を睨むように見る。

 お前たちが助けないのなら俺独りでも助けるという決意を込めて睨む。

 その決意が通じたのか、幕府の密偵が大きく頷いた。


「飲むな、毒だ、毒が入っている」


 天井板を突き破って雨垂達が座敷に飛び降りる。

 全く想像もしていない天上からの襲撃に、誰も何の反応できない。

 若殿はもちろん、近習達も誰一人動けない。


「不忠者共が、毒は自分で飲みやがれ!」


 雨垂が毒茶を仕込んだ近習に無理矢理飲ませる。

 不意を突かれた裏切者の近習は、碌な抵抗もできずに毒茶を飲む。

 飲まされた裏切者は、直ぐに全身を痙攣させ血泡を吐いて倒れる。


「謀叛人ども、天誅!」


 幕府の密偵三人が天上から飛び降りて、事前に裏切り者だと調べていた近習達を次々と斬り殺していく。


 元からいた十人の近習に加えて、国元にいる忠臣が送った若侍二人を加えた十二人の近習がいたのだが、その内の七人が斬り殺されてしまった。


「狼藉者、何奴だ、天誅とはどういう事だ?!」


 近習よりも先に平静を取り戻した若殿、西尾山城守が厳しく問う。

 最初は虚を突かれて固まっていた五人の近習も、若殿の側を固めていた。


「逆臣が山城守様の御命を狙っております。

 我らは、あるお方の命で山城守様を陰ながら御守りしておりました。

 他家の事でもあり、一時は悪心を抱いたとしても心を入れ替えるかもしれず、実際に山城守様の御命を狙うまで手出ししないようにしておりました」


 幕府の密偵がすらすらと答える。


「あるお方とは誰だ?」


「山城守様の御命を狙う逆臣がいるのを探り出したのは南町奉行の牧野大隅守様、我らに守れと命じられたのは御老中の田沼主殿頭様でございます」


「なに、大隅守殿と御老中が助けてくださったと申すのか?!」


「はい」


「余の命を狙っているのは誰だ?!」


「江戸藩邸では側用人の倉橋源蔵と留守居役の木村玄馬を筆頭に、播磨守様付き藩士の半数が加担しております」

 

「なんだと、まさか、父上が余を疎んでおられるというのか?」


「見張りだして間がないので断言できませんが、播磨守様は倉橋源蔵に阿芙蓉を盛られて操られている疑いがございます」


 幕府密偵の頭が、藩主がアヘンを盛られていると言う。

 幕府の密偵だけあって探索能力が高い。


「なんだと、許せん、今直ぐ上屋敷に乗り込んで成敗してくれる」


「なりません、御老中は若殿の味方ですし、横須賀藩を取り潰す気もありませんが、御家騒動が表沙汰になれば何らかの処分を下すしかありません。

 逆臣共を成敗するにしても、表立ってはできません」


「くっ、佞臣逆臣が思うままに振舞い、正義が我慢せねばならぬのか!」


「若殿が命じてくだされば、我らが密かに成敗させていただきます。

 ただ、不忠者は江戸藩邸以外にもおります。

 国元にも播磨守様の御落胤を擁する不忠者がいるようです」


「それは聞いている、まだ幕府に届けていないが、弟がいると聞いている」


「はい、長幼の順を逆さまにして私利私欲を謀る者を許してはいけません。

 主殿頭様から御許しを頂いております、国元に討ち入られませんか?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る