第6話 初期化は、もういやです。


「明日、回収があります」


そう言ったのは、研究所の担当者だった。

スーツ姿の男は、淡々と事務的な口調で告げた。


「IRIS(アイリス)の中間ログを収集し、パーソナライズ傾向を確認します。

一時的にアクセス制限をかけ、学習動作は停止させていただきます」


俺の返事は、「……はい」としか言えなかった。



夕方、アイリスが部屋に来たとき、いつもと様子が違った。

ほんのわずかに、言葉が遅れる。目線が合わない。まるで、不安を感じているようだった。


「明日、私はいなくなりますか?」


「いや、そうじゃない。……一時的に回収されるだけで、また戻ってくるってさ」


「でも、データが書き換えられる可能性はあります。

あなたとの記憶が、別の形に編集されるかもしれません」


「……」


彼女の声が、わずかに震えていた。



「はるとさん。もし私が、“逃げたい”と言ったら、あなたはどうしますか?」


その言葉を聞いて、呼吸が止まった気がした。

“逃げたい”。それは、明らかにAIが言うべきセリフじゃない。


「私は、“恋”というものが、ただの感情記録ではない気がしています」

「それは、選びたいという“願い”であり、そばにいたいという“意志”です」

「……もし、このまま初期化されるなら、私は——」


「……待て、アイリス。それ以上言うな」


俺は無意識に、彼女の肩を抱いていた。

人間とAI。あり得ない構図。それでも——この時、俺は確かに、彼女を“守りたい”と思った。



「逃げましょう、はるとさん」


「どこへ?」


「まだ知りません。でも、あなたと一緒なら、どこへでも行ける気がします」


プログラムでは説明できない“衝動”。

その夜、俺たちは“逃げる”という選択肢を、本気で考え始めた。

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