さよならメロディ
taku
第1話 ギターの音が響くとき
桐谷悠真は、目立たないタイプの男子だった。クラスでは、周りに流されることなく、静かに過ごすことが多い。人との関わりが苦手で、家でも学校でも、どこにいてもどこか孤立しているような気がしていた。中学の頃から、周囲と仲良くすることに苦手意識を感じていたため、高校に入ってからもあまり変わらなかった。
そんな悠真の唯一の逃げ道は、音楽だった。家の中でも騒がしく、親との会話がほとんどないため、悠真は部屋にこもってギターを弾くことで自分の気持ちを落ち着けていた。音楽室も、他の誰にも邪魔されることなく一人で過ごすことができる数少ない場所だ。
「ふぅ…」
悠真は放課後、いつものように音楽室に足を運び、ギターを取り出した。部屋の中には誰もいない。窓から差し込む夕日の光が、カーテンを透過して部屋に柔らかく広がっている。悠真はギターの弦に指を当てると、軽く弾いてみた。最初は音を出すだけで手元が不安定だったが、すぐに慣れた。音が響くたびに、悠真の胸の中に溜まった息苦しさが少しずつ解けていく。
それから、いつものようにメロディーをつむぎだす。心の中で、学校で起こった小さな出来事や、家での些細な不満が渦巻いていたが、ギターを弾くことでそれらが遠ざかっていく気がした。
悠真が曲を弾いていると、突然、ドアの向こうからカチリと音がした。その音に、悠真は一瞬でギターを止め、振り返る。ドアの隙間から顔を覗かせたのは、クラスメイトの音瀬いろはだった。
いろはは、悠真とは違って、クラスでも存在感があるタイプの女子だった。明るく、少しドジなところがあり、クラスメートたちとよく笑い合っている。でも、どこか一線を引いているような、ミステリアスな雰囲気を持っている。それに、少し不思議なことに、誰もいろはに近づきすぎることがない。彼女がいつもどこかにいそうな、少しだけ浮世離れした雰囲気を持っていたからだ。
「ごめん、音が漏れてたみたい。」いろはは軽く頭を下げると、少し戸惑いながらドアを開けて音楽室に入ってきた。「ギター弾いてたんだね、すごくいい音がする。」
「え、あ、うん…。」悠真は突然のことに驚き、慌ててギターを弾く手を止めた。普段ならこうして話しかけられること自体が珍しいことで、緊張してしまった。いろはの明るい笑顔が、どこか眩しくて目を合わせるのが苦手だった。
「ほんとに、すごいよ。」いろはは悠真のギターに興味津々の様子で、部屋の中をじっと見回す。「実は私も、ギターをちょっとだけやってるんだ。」
「へぇ…。」悠真は少し驚きながら、でもすぐに無理に会話を続けようとせず、穏やかな空気が流れる。ギターが弾けるなんて意外だったが、いろはがそれを伝えてきたことに少しほっとした自分がいた。
「でも、私がやってるのはほんとに初心者レベルで…」いろはは両手を広げて、少し恥ずかしそうに言う。「あまり上手くないんだ。」
「そうなんだ…。」悠真は少し気を使いながら返事をするが、なんとなくいろはが少しだけ本音を隠しているようにも感じた。
「ところで、悠真。」いろはは、突然真剣な顔をして言った。「もしよかったら、私たちのバンドに入ってみない?」
悠真は驚いた。いろはがバンドを組んでいるという話を、これまで聞いたことはなかったからだ。音楽室にこもっている間、周囲のことにはほとんど気を取られていなかったが、バンドの話を突然持ちかけられるとは思っていなかった。
「え? 俺が?」悠真は思わず疑問の声を上げてしまう。「でも、俺はバンドとか、全然…。」
「いいから、やってみてよ。」いろははにっこりと笑って、悠真に手を差し出した。「文化祭でライブやるんだ。一度だけでも一緒に演奏してみてよ。」
悠真は目を丸くして、いろはの顔を見つめた。バンド、文化祭、ライブ――そのすべてが、今まで自分の世界にはなかった言葉だった。普段から人付き合いが苦手で、誰かと一緒に何かをするなんて考えたこともなかった。しかし、いろはの目は真剣そのもので、彼女の明るい笑顔が不思議と、悠真の胸の中に引っかかるような感覚を生んだ。
「文化祭のライブか…。」悠真は少し考えた後、思わず答えた。「でも、俺、ほんとにバンドなんて無理だよ…。」
「大丈夫だって。」いろはは笑いながら、悠真の肩を軽く叩く。「初心者でも問題ないよ。私たちもまだまだだし、みんなで楽しくやってるんだから。」
悠真は、いろはのその言葉に少しだけ心が動かされる。バンド、音楽――それはどこか自由で、軽やかな世界のように感じた。普段なら、こんなことには首を突っ込まないし、関わりたくないと思うのが普通だった。しかし、いろはの真剣な目を見ると、なんだかその一歩を踏み出すことができる気がした。
「でも、俺、ほんとに下手だから…。」
「気にしないよ!」いろはは明るく言って、悠真の言葉を軽く払った。「あんまり上手くないやつらばっかだし、みんな初心者だよ。だから、一度だけでも、気軽に参加してみてくれない?」
悠真はその笑顔に、少しだけ引き寄せられた。どこかで、自分が変わるかもしれないという予感がした。
「わかった。じゃあ、ちょっとだけ…。」悠真は渋々答えると、いろはは嬉しそうに跳ねるように手を振った。
「やった!」いろはは、さらに嬉しそうに笑った。「ありがとう! じゃあ、また明日、放課後ね。」
その後、いろはは軽やかな足取りで音楽室を出て行った。悠真は、しばらくその場に立ち尽くして、いろはの言葉を反芻していた。これからどうなるのだろうか。この先、何が起こるのか――そして、彼女との関係がどう変わっていくのか、悠真は想像すらできなかった。
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