ドラゴン牧場で命と向き合う異世界スローライフ

イコ

プロローグ

命と走る

 朝靄の中、ひづめの音が乾いた地面に響いていた。


 静かに、柵越しに立つ馬の様子を見て、今日の状態を確認する。


 白い息を吐きながら、あの子は首を振る。


 やや足元がふらつく、まだ炎症が残っている。前日処置した患部を確認して、俺はそっと鼻先に手を差し出した。


 これまで獣医という仕事を天職だと思ってきた。


「よし、今日もよく頑張ったな……お前は強い子だ」


 優しく撫でながら、馬たちが元気に鳴いている姿に幸せを感じていた。


 だけど、それも後少しで行えなくなる。この子達を最後まで見届けてやることができない。ひび割れるように痛む胸の奥。


 進行性の肺疾患。


 完治の見込みはない。余命は年内。


 これまで獣医として、何百頭という馬を見てきた。


 彼らはサラブレットや、障害物競争、ばんえい競馬と呼ばれる走る競技に参加する馬達だ。


 彼らが完璧なパフォーマンスを披露できるように、獣医として、体調を整える手伝いの仕事を誇りに思ってきた。


 脚が腫れ、熱の上下を確認して、呼吸のリズムを見る。


 どれも何百回も診てきた症状だ。なのに、自分の身体の異常には、まったく気づけなかった。


 皮肉な話だ。


「先生、こっちの仔馬なんですけど、また咳が……」

「この子、ちょっと顔色悪くないですか?」

「蹄が熱い……ですかね? やっぱり炎症でしょうか」


 呼ばれれば、どんな時間でも駆けつけた。


 雨の日も、猛暑の日も、氷点下の朝も。獣医という仕事は、一つの厩舎に落ち着くことがあまりない。俺のような巡回医は特にそうだ。


 朝から牧場を回り、数頭を診察し、治療して、昼をまたいで別の施設へ移動する。


 夜には事務所で症例データをまとめ、報告を送る。


 仕事に追われているわけじゃない。

 ただ、あの温もりが、嬉しかったんだ。


 ふと、触れる鼻面の熱。俺を見つけると駆け寄ってくる足音。

 

 言葉はなくても、「ここが痛い」と伝えようとする眼差し。馬は人の言葉を話さない。けれど、俺には伝わってきていた。


 ずっと見てきたから。


 命の重さも、呼吸のわずかな乱れも、たった一滴の汗の意味も。

 それなのに、それなのに今、今後は診てやることができない。


 怪我をして命を奪ったこともある。だけど、今度は俺自身の命が奪われる。


「もう無理はやめてください。せめてご自身の身体を……」

「すみません、先生。今日の巡回、キャンセルってことで……」

「じゃあ、また今度。できたら、元気なうちに……」


 診療予定はどんどん削られた。

 

 どんどん痩せこけていく体を見た牧場主たちから「危ない」と言われ、俺の存在は「仕事場でお荷物」になった。


 それでも、俺はまだ生き物と関わっていたかった。


 体力がなくなっても、声が枯れても、歩くのが苦しくなっても、もう一度だけ、蹄を支えてやりたかった。


 もう一度だけ、耳の裏を撫でてやりたかった。


 ……命に関わる仕事は、残酷だ。


 それでも、命に寄り添う仕事を俺は選んだ。


 そしてそれが、もうできなくなった。自分自身の命を一番軽んじてしまった。


 心が、ぽっかりと空白になる感覚。地面から足が離れて、世界が遠のいていく。


 俺は、誰にも告げずにそのまま倒れた。意識が薄れていく最後の瞬間、心残りなのは……。


「……まだ……まだ、命と向き合っていたかった……あいつらを見ていたかった」


 それだけだ。


 ♢


 白い霧の中。


 音も光も失われた空間の中、静かに立っていた。


 どれくらい時間が経ったのかもわからない。ただ、もう痛みはなかった。呼吸も苦しくない。腕も、足も、まるで自分のものではないように軽かった。


「……終わった、のか?」


 ぽつりと、呟いたその瞬間だった。


 柔らかな風が吹いた。耳元で、澄んだ鈴の音のような声が囁く。


「はい。あなたの人生は、ここで一区切りです。よく頑張りましたね」


 声の主は、突然現れた。白銀の髪、揺れる衣、花のように微笑むその人は、神話の中に出てくる女神のように美しい。


「ふふ、その通りです。私は管理の女神と呼ばれている存在です。死後の魂に、新たな道を提示する役割を担っております。そして、ユウマさん。あなたの頑張りを、そして一生懸命に生きる姿に感動しました!」


 女神……様? 感動した? あまりに現実離れしていて、実感がない。


 言葉を発していないのに、会話ができている。


「そして、あなたの魂には強い未練が残っています。『命と向き合い続けたい』、その想いを確かに受け取りました」


 命と……馬たちの顔が浮かんで、消えていく。


「だからこそ、提案があります」


 女神様は手をかざすと、空間に浮かぶ一枚の映像。


 蒼い大地と、空を駆ける巨大なドラゴンの群れ。山々の間に巣を作って、ドラゴンが暮らしている。


「あなたが生きていた世界に生き返らせてあげることはできません。ですが、私が管理する世界なら可能です」

「異世界転生?」

「はい。あなた方の世界では、有名になりつつありますね」


 私は触れる機会がなかったが、ニュースやネットで話題になっている程度には知っている。


「あなたには私の世界に転生して、新たな人生を歩んでほしいのです。次の人生では悔いを残さないように、少しだけサポートをさせてもらいます」

「サポート?」

「慣れない環境では何かと不便でしょうから? せっかくの第二の人生です。やりたいことを思う存分やりきっちゃってください」


 女神様の言葉は、明るくて現実的には思えないが、どこまでも優しく感じられた。


「私の世界では、人はドラゴンと共に暮らしています。翼を持つ飛竜スカイドラゴンや、地を駆ける力持ちな地竜アースドラゴン、海で船を引く海竜シードラゴンなど様々です。他にもたくさんの種族がいて、生活以外にも、ドラゴンたちを競わせるレース競技のために育てられたりもします」


 ドラゴンと共存する世界? ドラゴンレース? まるで、俺が死ぬ前に世話をしていたサラブレッドのようだな。


「はい。あなたには、この世界で一つのドラゴン牧場をプレゼントします。もう一度、命と向き合って見る気はありますか?」


 ドラゴン? 俺に出来るだろうか?


「はい。あなたの熱意があれば、可能だと思います。彼らの生態系を知り、診て、育て、信頼を築く。あなたがしてきた仕事は、この世界でも通じることです」


 俺は無言のまま、映像を見つめていた。


 ドラゴンが走り、風を切って跳ね、空に舞い上がる。


 その背には騎手が乗り、息を合わせて疾走していく。

 

 なんて、綺麗なんだろう。


「あなたの一度目の人生は、病気によって失ってしまいました。ですが、次の人生を謳歌できるように、チート能力も合わせてプレゼントしちゃいいます」


 女神は軽く微笑む。


「チート能力?」


 えっと、チートってゲームにおける不正行為だよな? そんなことしてもいいのか?


「ふふ、ちょっと思っていることとは違うと思います。現代では機械によって、牧場の整備を行うことができますよね?」

「はい」


 牧場の管理をしている人たちのことを思い出す。


 車や、餌やり、搾乳機、様々な機械が牧場では使われている。


「私の世界では科学が発展していません、変わりに魔法が発展してしています。そのため牧場を管理する魔法や、あなた自身がドラゴンに負けるような弱い体では、すぐに殺されてしまうのです。ですから、若くて強い体を差し上げます。今度は病気などもしませんよ」


 ドラゴンと向き合うための準備を整えてくれている。


「あなた自身が学んだ知識は、私の世界でも活用できます。命のケアに役立つ医療の知識を活かせる研究室も用意します。あなた独自の方法で、ドラゴンを育ててあげてみてください。あなたの知識と経験に、魔法を加えて、もう一度命と向き合ってください」


 目を伏せて、深く息を吐いた。


 ……また命と関われるなら、嬉しい。


 体を支えて、共に生きたいという願いに応えることをしたい。


「……やってみたいです。俺に……その牧場を、任せてください」


 そう口にした瞬間、女神様は微笑んだ。


「もちろんです! ユウマさん。これより、あなたを第二の生へ導きましょう」


 次に目を開けたとき、俺は草の匂いと、かすかに竜の咆哮が響く、大地の上にいた。


 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 あとがき


 どうも作者のイコです。


 ちょっとスケジュールがタイトで、愛猫が旅立ったことで、精神もボロボロなのですが……。


 MFブックス異世界小説コンテストにも参加したいので、今しか書けない話を書きたいと思います。


募集要項である。


「自由気ままに異世界で暮らしたい」


 そんな夢を叶える物語を募集します。ドキドキの恋愛も、熱いバトルもなし。便利な魔法やスキルを活用したり、農業や放牧に手を出してみたり。異世界ならではの魅力的な生活シーンが読めることを楽しみにしています。


 これを上手く書けるのかわかりませんが、応援いただければ幸いです。


 どうぞよろしくお願いします。

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