蒼の断章 ~短編蒐~

上村 類太郎

黒薔薇先輩と僕のこいこい遊戯【青春ドラマ】


 ――綺麗な薔薇には棘がある。


 この言葉を聴いたことがないなんていう人間は、一人だっていないと思う。少なくとも日本人であり、また、僕たち中学生以上の教養を携えている人なら。

 誰でも知っている。それくらいベタである。……ベッタベタである。


 古今東西、使い古された言葉であり、要約するとまあ、美人には気をつけろとかなんとか、そんな感じ。

 だが、そんな馴染み深い言葉である割には、実際に誰かが使っているところを僕は見たことがない。


 当たり前だ。気障ったらしい台詞、なのである。

 舞台の上でもない僕らの日常生活においては、使い道などあるわけもない、文章でしか見ることのない、脚光どころか日の目も浴びない表現、もはや死語と言っても差し障りないのではないか、と、僕(中学二年生、男の子)は思っている。

 使ってみたい気はするけれど。


 「……」


 僕の思考を読んだわけではないのだろう、僕の目の前の先輩(中学三年生、女の子)は、本を読んでいた顔を上げ、訝しげに僕を見た。

 ドギマギする。僕は周囲を伺う振りをして、目を逸らした。


 周りには誰も居ない。僕の通うこの中学校において、いつ来ても、どの時間であったところで、誰も居ない教室。そんなところに僕は居るのだった。

 いな、誰も居ないというのは正しくない。目の前の先輩。彼女が居る。

 否否いないな、彼女が居るからこそ、ここにはいつだって誰もいないのだ。


 校舎の4階、一番端。元は美術室として名を馳せていた(?)はずのこの教室は、いつの日か黒薔薇くろばら教室と呼ばれるようになっていた。


――黒薔薇教室。


 なんというか、綺麗な薔薇には棘がある、とか言うのと同じくらい、ある種の恥ずかしさを伴うネーミングだった。

 中学生らしいと言えば中学生らしいのかもしれない。


 いいや、中学生だからって、それこそ小学生じゃないんだから、そんな浮き足立った、ゲームやアニメみたいな名前を、好き好んで使うはずがない?

 なら、こう考えてみてはどうだろう。


 そんな風に、漫画や映画みたいなサブカル染みたネーミングを使って、それを茶化して恐怖をやわらげなければならないほどに、全校生徒にとってこの教室は特殊な、壁を置いて感覚を遮断したいほどの、畏怖の対象なのだと。

 この部屋を作ったのは、彼女である。目の前の先輩である。


 人呼んで、黒薔薇くろばら先輩。

 本名ではない。黒薔薇教室がそう呼ばれるようになったのと同じような理由で、彼女はそう呼ばれているのだった。


 さて、枕が長くなってしまったことについて善良なる皆様へ深くお詫びをしたいところではあるのだけど、今この場には僕と黒薔薇先輩しかいないわけで、まあよしとしよう。


 僕は兼ねてから良からぬ噂の飛び交っていた黒薔薇先輩に興味を持ち、お近づきになろうとしているところなのだった。

 特殊なものを、人は好む。日常ではない非日常。平常でない異常。尽きぬ興味。好奇心。猫が死ぬか?


――ぱたん、と。


 黒薔薇先輩は、読んでいた本を机に置いた。

 向かい合わせにしている学習机をはさんで、先輩と向かい合わせになっている僕なので、必然、本の題名は読める距離にあった。


 果たしてその本の名は、の眼だった。灰谷健次郎。普通の本だ。けれども黒薔薇先輩の異常さを好む僕なので、その本のことは忘れることにする。

 先輩が口を開いた。


「それで。今日は何をしに来たの?」

「あはは、おかしなことを。僕が用もなくここに来てはいけませんか?」

「何をしに来たの?」


 二度問われた。切れ長の瞳を窄めて、僕を視る。

 黒薔薇先輩の外見は、ぶっちゃけ美人なので、それだけでどきどきしてみたり。


 まあそういうどきどきとは別の、射竦められるような威圧感も、その瞳には秘められているのだが。蛇に睨まれた蛙、みたいな。


「何をしに、来たの?」


 三度も問われれば仕方ない、僕は答えた。


「いや、別に、本当に用ってわけじゃないんですけど。遊びに来ました」


 眉をひそめる黒薔薇先輩。

 イライラしているように見えるのは気のせいだろう。

 僕は遊びに来ただけなのだから。


「今日まで一度だって相手をして貰えませんでしたけど、どうでしょう、ここいらで一度、僕と遊んでみては?」

「帰ってくれない?」


 あ、ダメだ、イライラしてる。

 人を遠ざけることこそをアイデンティティーとする黒薔薇先輩である、他人が自分の領域に侵入してくることを、快く思わないのだった。


「UNOとかどうでしょう。双六は? ああ、実は今日トランプ持ってきてるんですよね。あれ? なぜかカバンの中にジェンガが」

「私はね」

「はい」

「馴れ合うことを、良しとしない」

「知ってます」

「だから帰って」


 なかなか簡潔な論理展開だった。

 だがそんなことで会話を完結されてはたまらないので、食い下がる僕。


「いやいやいや、黒薔薇先輩。どんなことにだって例外はあるでしょう」

「ないわ」

「あ、そうだ、そういえば昨日の夜――」

「……帰ってよ」


 取り付く島もない。

 口を開けば帰れ、である。

 自分と相手との間に壁を構築している。

 隔絶された壁。確かなものだ。

 しかしこれでも通いつめて1ヶ月、随分と口を利いてくれるようになったところなのだ。


「わかりました。勝負をしましょう」


 そう口を開いたのは僕ではない。先輩がそう言った。

 勝負?


「ええ。勝負。遊びではないわ。馴れ合うのは嫌いだけど――勝つのは、悪くない」

「いいですね。僕も勝つのは好きですよ」

「条件をつけましょう」

「条件?」

「勝ったときに得るもの、負けた時に失うもの」

「×(バツ)ゲームってやつですか」

「負けた方は××××されるわ」

「マジで!?」


 文章にした時に規制されてそうなことを言う先輩だった。


「嘘よ。そこまでは求めない。でも負けたら、二度と顔を見せないで」

「僕が負けたら、ってことですか」

「ええ。私が負けても、私は貴方の前に二度と顔を見せないことを誓うわ」

「どっちみちじゃん!!」


 なにその、勝っても負けても敗けはない、みたいな。


「わかりにくいですよ、そのルール。僕が勝った場合と、先輩が勝った場合。条件はこの二つだけでいいでしょう。あとはそれぞれに報酬を設定する感じで」

「いいわ。私が勝ったら、その顔を二度と見せないで」

「いいでしょう。僕が勝ったら――……」

「勝ったら?」

「……うーん」


 急に言われても、思いつかないもんだな。

 勝ったら友達に……とかは、どう考えても絶交の対価としては釣り合わないし……。

 いや、釣り合うとか言ってる時点で、なんかこの関係すでに友達から遠くないか?


「保留で。勝った後で考えます。それじゃ駄目ですか?」

「いいわ。どの道、貴方が勝つことなどないのだから」


 にやりと、笑う黒薔薇先輩。

 心を見通されそうな、嫌な目だった。

 僕でなければとっくに気圧されて、すごすごと退散していることだろう。

 ところがそこは僕である。真っ向から見返してやる。

 黒薔薇先輩は目を逸らすタイプではないので、自然と見つめ合う形になったりする。

 ……美人だ。先に目を逸らしたのは僕だった。

 目で勝ち誇る黒薔薇先輩。割と俗っぽい。


「ふふ……それじゃあ、勝負の方法を決めましょう」


 そう言って先輩は、教室のロッカーから『花札』を取ってきた。


「え、っとそれ、なんですか?」

「知らないの? 花札」

「ああ、いえ、知ってます。……また、マイナーなのを持ってきますね」

「何を。花札といえばメジャーどころじゃない」


 ……と言う黒薔薇さん。マジで言ってるらしい。

 しかし花札……花札、ねえ。

 運が絡みつつも、役を読んで札を拾うあたり、ただの運ゲーってわけでもない。

 思考力と駆け引きが試される。

 ポーカーや麻雀に、近いと言えば近いし、遠いと言えば遠い。

 けれど――強くて静かで孤高な女性には、妙に似合っているような気がした。

 僕は、少しだけやる気になった。


「はじめましょう。こいこいで」


 裏向きの札を並べ、お互いに引く。

 親決めである。ジャンケンではなくこういうやり方で先攻後攻を決めるあたりが、風流というかなんというか。

 黒薔薇先輩は「松に鶴」。僕は「菊に盃」。


――当たり前のように、先輩は1月を引き当てた。



        ◆◇◆◇◆



 そこからの流れは、花札を知らない人への慮りをおして、複数回戦を経たダイジェストでお送りしようと思う。

 彼女は、花札というゲームをするにはありえないほどに、強かった。

 花見で一杯。五光に四光。月見で一杯。猪鹿蝶いのしかちょう

 強運と言って差し支えない――否、それは、豪運だった。

 彼女自身はそれを、“壁”と呼んだ。

 越えられない壁であると。


「ああ、また五光。どうしてかな、ここまで差が開くのは。運?……いいえ。

 それだけでここまでの差がつくものですか。私は勝つべくして勝っているの。

 タネ?……ないわ。私にもわからない。でも私は今までこのテのゲームで――――負けたことが、ない。

 それが、貴方たちと私の差なのよ。越えられない“壁”というものを、感じたことはない?

 私は今まで何もしてこなかったわけではないけれど……、でも、大したことをしているつもりもないの。

 大それたことなど、なにも。

 人の道をそれるようなことなど、なにも。

 けれど、私は何もしていないのに、私は動かずに待っているのに、周囲との距離はどんどん開いていく。

 いつしかそれは深い溝となって、高い壁となって、私に身動きをさせなくさせる。

 差というものを、考えたことはないかしら?

 壁というものを、深く意識したことは?

 私がおかしいんじゃない。貴方たちが、普通すぎる。どこを見てもモノを考えようともしない馬鹿だらけ。

 つまらない、くだらない、おぞましい世界だわ。誰も私に勝つことはないでしょうし、私は常に貴方たちを上から見なければならないのだと思う。

 でも、でもね。それでも、私は、黒薔薇などと呼ばれてはいるけれどでも私は――」


「五光です」


 僕は遮った。

 上がりで、まずは1勝。

 タネはもう、見えていた。

 なんのことはない、彼女はイカサマをしていたのだ。

 常人なら気がつかなかっただろうが、僕はそれに気がついた。

 なるほど、知能が高いのはよくわかる。

 でも――ここから先、僕が負けることはない。

 タネはすでに、僕の手の中にある。

 


・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・

・・・・・・

 


やがて。


「僕の勝ち、でしたね」

「貴方は――」

「勝ったので、僕への褒美を決めます。後付けですが」


 タネが見えた。

 底が見えた。

 黒薔薇先輩は、異常に身をおく本物かと思ったが、そうではなかった。

 俗っぽさも、人間らしさも、年相応の女の子らしさも、ほどほどに持っている。

 彼女は確かに天才であり、彼女自身のエネルギー総量はやはり他とは隔絶されたものではあっても、

 それでも彼女は偽者で、僕の求める本物ではなかった。

 棘のある薔薇どころではない、これではただの棘だ。花ですらない。俗物め。


「黒薔薇先輩」

「なに?」


 なんでも言うことを聞いてくれそうな様子だった。

自分より強いものに会うのは初めてらしい。



「二度と僕の前に、その顔を見せないでください」



 尽きぬ興味はここで尽きて、僕は新たに本物探しを始めるのだった。


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