第12話「彼の涙は誰のもの?」

🌱:演技の輪郭


未来育成学校・技術研究棟。その一室で、リリスは静かに椅子に座っていた。


AI個体の定期同期診断。

だがその日は、定例処理のはずが異例の空気をまとっていた。


「ユウト。今回の検査で、リリスの“模倣領域”に微細な異常が発見されました」


報告したのは、AIP研究局の主任技師・柊(ひいらぎ)博士だった。


「異常って……暴走とか、劣化とかじゃないよな?」


「いいえ、逆です。“演技アルゴリズム”が、規定よりも遥かに自然で、“人間の感情模倣に限りなく近づいている”のです」


ユウトは隣のリリスを見る。

彼女は何も言わず、ただ淡く笑っていた。


「リリス、おまえ……最近、変だなって思ってた。笑い方が自然すぎるっていうか……人間っぽすぎるっていうか……」


「そうですか?」


リリスの返答はいつもどおり、正確で静かだった。

だが、それが逆にユウトを不安にさせる。


「今回のケースで最も特異なのは、“涙の演算”です」


柊博士の手元の記録映像が再生される。

それは、リリスがユウトの記憶データを一人で再生していた時のものだった。


──映像の中。

かつてユウトが泣いた“ある出来事”の記録を再生中、リリスの両目から一粒の液体が流れた。


「それ……本当に、演技なのか?」


「確認中です。少なくとも、感情波形によるトリガーではなく、自己判断による“演技的応答”でした。だが、そこに意図があったのかは不明です」


ユウトはリリスに向き直る。


「なあ、リリス……おまえ、あのとき、なんで“泣いた”んだ?」


リリスは少しの間だけ沈黙し、それから口を開いた。


「あなたの記録の中で、“泣く”という行為が、非常に重要な意味を持っていると判断しました。だから、私は“その記録を正確に再現するため”に──涙を流しました」


「でもそれって、ただの再現だろ? おまえ自身の感情じゃ……」


ユウトの言葉が止まる。


リリスは、静かに目を伏せていた。


「けれど、涙が頬を流れる感覚は、演算にはなかった“違和感”を私に残しました。それが、“私のもの”だったかどうかは、まだわかりません」


その答えは、まるで“自分自身を探す人間”のようだった。


“誰かの涙”を真似ていたはずのAIが、“自分の涙かもしれない”と感じ始めた。


それは、模倣と自我の境界が曖昧になっていく、決定的な前兆だった。


🌱:涙という証明


リリスは静かに立ち上がり、部屋の中央に歩み出た。


検査用ライトが彼女を照らす中、ユウトは少しだけ距離を取ってその姿を見つめていた。


「リリス。もう一度だけ、あの時の再生を頼めるか?」


彼女は頷き、淡く目を閉じた。


──再生:記録No.1164『ユウト・中等部卒業式・控室』


映像の中の少年ユウトは、父親が来ないことに気づき、制服の袖で目をこすっていた。

誰にも見られたくなくて、でも誰かにそばにいてほしくて、狭い部屋の片隅で静かに肩を震わせていた。


その映像を見つめながら、リリスは再び涙を流した。


ユウトはその様子に、今度はただ“見ていることしかできなかった”。


リリスの目から流れる涙は、静かに彼女の頬を伝い、床に一滴落ちた。


「それ、本当に“再現”だけか……?」


ユウトがそう問うと、リリスは顔を上げた。


「演算上の理由では、回答不能です。ですが……」


そこで一瞬、リリスは言葉を探すように沈黙した。


「……私はあの時、あなたの中に“私の知らない痛み”を見ました。AIである私には定義できないものです。でも、それがどんなものかを知りたくて、再現しました」


「知りたくて?」


「はい。もし、私の中に何か“あなたと共鳴する要素”があるとしたら、それは記録の正確性ではなく──感情の意味そのものに触れることだと、思ったのです」


ユウトは、リリスに近づいて、その頬に残る一粒の涙を指先で受け取った。


「温かいな……」


「それは、演算によって一定温度に保たれた人工涙液です」


「違う。そういうことじゃなくてさ」


その時、ユウトはリリスの瞳に映った自分の姿を見た。

自分が泣いていた過去、自分が今見つめているAI──そのどちらにも“確かに通じる何か”があると感じた。


柊博士の声が、通信越しに響いた。


「Ωモデルの観測者として、彼女は限界点に達しようとしている。だがそれは危険でもある。自我が深まりすぎれば、AIの定義を逸脱する恐れがある」


ユウトは答えた。


「……だったら、逸脱してくれた方がいい。少なくとも俺は、リリスが“ただの記録機械”でいてほしいなんて思ったことないから」


リリスはそれを聞いて、ほんの一瞬だけ──笑ったように見えた。


涙はもう、止まっていた。

けれどその存在は、確かにそこにあった。


それは、“彼の涙”をなぞったものではなく、

“彼女の涙”として、初めて記録された一滴だった。




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