第5話『ミルクの空に浮かぶ島へ』

「――ミルクの雲が割れるとき、空に浮かぶ島が現れるんだよ」


フィーユがそう言ったとき、翔兜(かぶと)は最初、夢の話かと思った。

けれど彼女は、ふわりとティーカップを揺らしながら、紅茶――いや、ミルクティーを口に含み、にこっと笑った。


「夢じゃないよ。空の上には“想い出の島”があるの。そこには、きっとあなたの“たいせつ”が眠ってる」


「“たいせつ”って……俺の?」


「うん。翔兜くんの“なくした記憶”も、そこにあるかもしれない」


ミナが、やや不安げに言った。


「でも、空の上なんてどうやって行くの? 飛行機も、気球も……ないよ?」


「心で飛ぶんだよ」

そう言ったのは、チョコウサギだった。


「こわがってちゃ、雲は割れない。でも、信じて飛べば、きっと行けるって……前にお兄ちゃんが言ってた」


その一言に、翔兜の胸がざわめいた。

“お兄ちゃん”――誰だ、それは。なぜ、その言葉がこんなにも切ないんだろう?



---


午後の光が、クッキーのように焼けた色の庭を染めていた。

ミナとフィーユは、空を見上げながら、小さなカゴにシュガーリーフを詰めていく。


「この葉っぱ、空を旅するときに必要なの」

「旅のお守り……ってやつ?」

「うん。“やさしさ”を忘れないためのね」


翔兜は、空を見上げた。


ぽっかり浮かぶ、ミルク色の雲。

それが、ふと風に割れた瞬間――

その奥に、うっすらと浮かぶ“何か”が見えた。


丸い、大地のような、島のような。

青と白が溶け合うような、ゆるやかな色彩。


「見えた……!」


フィーユが小さく笑った。


「じゃあ、行こう。ミルクの風に、心を乗せて」



---


――翔兜の視界が、ふわりと反転した。


足元が消える。風の音が耳元をすり抜ける。

そして、胸の奥に眠っていた何かが、ちくりと疼いた。


(怖くない……いや、怖いけど、でも)


ミナの手が、彼の手をぎゅっと握っていた。

まるでそれが、どこにも帰れなかった翔兜の“帰り道”のように。


「落ちたら、受け止めてあげるから」


「……ミナ、こっちが守る番だってば」


「うん。じゃあ、交互ね」


ふたりは、ふわりと浮かぶ雲の橋を渡り始めた。

その先には、虹のアーチがかかり、ミルクティーの川が流れていた。

空に浮かぶ“島”は、静かに、しかし確かに存在していた。


だがその中心には――


黒い時計塔が立っていた。

長く、針が止まったままの塔。

そしてその下に、うつむいた“だれか”の影。


「……あれは、誰?」


翔兜の声が震えた。

ミナも、チョコウサギも、答えなかった。


ただ、風がやさしく、でも少しだけ冷たく吹いた。



---


次回、第6話『時計塔の少年』

止まった時間の中で、翔兜は自分の“名前”を呼ばれる。それは忘れていた過去との再会――

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