月下の影

薄雲に隠れた月が江戸の町並みを淡く照らし出している。賑わいを終えた町には静けさが戻り、風が冷たく路地を抜けていく。蒼龍、瑠宇、春風の三人は、朽ちかけた久遠の隠れ家を後にし、重い足取りで町の中心へと戻っていた。


三人の影が月明かりに長く伸び、まるで自らの心に宿る迷いと決意を映し出すかのように揺らめいている。蒼龍の懐には、久遠が遺した手記が静かに収まっていた。彼らの足元では、『鏡返し』符術を巡る抗争が織りなす闇が深く渦を巻いている。


静かな夜の中にも、彼らにはこれから立ち向かわなければならない巨大な試練が、重圧となってのしかかっていた。それでも彼らは歩みを止めない。この町の地下深くに隠された真実を掴み取るため、月下の影を引き連れ、再び江戸の闇へと踏み込んでゆく。


月明かりの下、蒼龍、瑠宇、春風は静かに町の中心へと向かって足早に向かっていた。蒼龍の手には久遠の手記があり、その重みが表情を厳しくさせていた。瑠宇は歩きながら思考を整理するように口を開いた。


「師匠、久遠の手記にあった『地の底に反射を刻む』という一文ですが、単なる比喩や狂気による錯乱ではない気がします。彼は具体的に江戸地下に何らかの仕掛けを作っていると考えるべきでしょう」

「久遠の精神は乱れているが、彼の符術への執念は本物だ。あの一文には確かに具体性がある。だが問題は、具体的に江戸の地下のどこに仕掛けを設置したのかということだな」


春風がふと立ち止まり、二人を振り返った。


「師匠、瑠宇兄さん、江戸の地下といえば下水道や古い地下道、井戸などがあると思いますが、それらを一つずつ当たっていくのは現実的ではありません。久遠さんはきっと、もっと戦略的に装置を置く場所を選んだと思います。それも最も効果的な場所で人目のつかない場所」


瑠宇は春風の意見に深く頷き、冷静に返した。


「春風の言う通り、久遠が符術の暴走を引き起こそうと考えているとして、効果的に影響を広げるためには霊気の流れが集約する地点を選んでいるはずです。霊気の地脈が強く交差する場所に置けば、江戸全域に影響を与えられる」

「だったら、まずは江戸全域の地脈の流れを詳しく調べる必要がありますね」


蒼龍は深く感心したように頷き、静かに微笑みを浮かべた。


「そうだな。江戸の地下地脈を調べるには幕府の古い記録や地脈図を参照する必要があるが、幕府は霊気や地脈の記録を厳重に管理している。企業はともかく、私たちには閲覧が難しいだろう」

「……師匠、幕府が管理する霊気の地脈記録はおっしゃる通り入手困難ですが、江戸の地脈を熟知する影札所なら何かつかめるはずです。彼らの中に地脈に詳しい者がいる可能性があります。情報を得られれば、久遠の仕掛けを特定する手掛かりが掴めます」


春風も力強く言葉を添えた。


「瑠宇兄さんの言う通りです。誰かが地脈に関する情報を持っている可能性は高いと思います。影札所を頼るのが一番現実的です」


蒼龍は二人の分析と提案を聞き、深い満足感を感じつつ、小さく微笑んだ。


「そうだな。瑠宇、春風、お前たちの言う通りだ。確かに地脈に詳しい術師がいるだろう。だが、江戸全体の地脈を網羅するような者となると、相当に限られているぞ。お前たちに心当たりはあるか?」


瑠宇は少し考え、ふと思い出したように口を開いた。


「師匠、もしかしたら先日訪れた白菊重薬の佐久間主任が情報を持っているかもしれません。佐久間主任は霊薬研究のために江戸全域の地脈を詳細に調べているはずです」


「佐久間か……彼は誠実だが、企業に対する忠誠心も高い。簡単に情報を提供するとは思えないが」


春風が柔らかく微笑み、自信ありげに続ける。


「ですが師匠、佐久間さんは久遠さんの暴走を深刻に心配していました。もしかしたら彼なら、企業の立場を越えて協力してくれる可能性もあります。僕たちが装置を止めることが、白菊重薬の利益にも繋がることをうまく説明できれば、協力を得られるかもしれません」


「確かに佐久間は久遠の状況を心から危惧していた。私たちが符術装置を見つけて止めることが、白菊重薬にとっても最善だと説得できれば、彼も情報を提供してくれるかもしれぬな」


「では、僕たちで手分けして動きましょう。師匠と春風が影札所に接触し、地脈に関する情報を集めてください。僕は佐久間主任と再び接触し、地脈の詳細な情報を入手できるか探ってきます」

「そうだな、瑠宇の言う通り手分けして進めよう。装置が起動する前に、何としても久遠が仕掛けた場所を特定しなければならない」


春風は拳を握りしめて静かに決意を口にした。


「必ず場所を見つけ出し、暴走を防ぎます。絶対に江戸を守りましょう!」


蒼龍は柔らかく微笑み、二人を穏やかに見つめながら言った。


「お前たちがいれば、きっと出来る。だが十分気をつけろよ。企業も動きを察知しているだろう。危険は必ず伴う」


瑠宇と春風は強い覚悟を込めて深く頷いた。


月明かりの下、三人の決意が新たに固まり、足取りは自然と力強くなっていた。江戸の町にはまだ深い闇が広がっていたが、彼らはその闇を切り裂くかのように、しっかりと前を向き歩み続けた。

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