第3話「パレ」
ぱちり。暗闇の中、瞼が開く。
「うぅ〜ん…ここどこ…?」
呟きが辺りに反響する。水の滴る音が疑問に答えるかのように連続して響き、鼓膜を揺らす。
声の主はどうやら考えていても無駄だと判断したらしく、冷たい暗闇の中で立ち上がることを決意した。
恐る恐る手を地面に這わせ、立てるだけの平面を探す。
そうして手を地面についたまま腰を持ち上げ、2本の足で直立。そのまま伝える壁を探そうと手を前に突き出して歩き始めたところで…
「ぅおっ!っとっとっと…危なかった…なんか滑るなぁ」
小さく息を吐き出し、今度はより慎重に壁を探る。
壁を見つけると湿り気のあるそれにぴたりと張り付き、ゆっくりと前に進み始める。
しかしいくら進めど、前に進んでいるような感じがしない。というか、ずっとぐるぐる回ってる気がする。
ふと足を止め、頭上を見上げる。
暗闇かと思えた視界の真上、僅かに光が見える。しかしその光はあまりにも弱く、無いも同然だった。
落胆を表現しようとしてか、道端の小石を蹴飛ばすに身振りをする。そしてそのまま歩き始めようとした…が。全く意図せぬところであったが、偶然にも振り下ろした脚は何か硬いものに命中した。その物体は与えられた運動量に忠実に、遠くの方まで微かな音を立てて転がっていく。
音もなく、明かりが灯る。あまりの明度の差に声の主は目を瞑って顔を顰め、しばらくしてようやく明るく変わった通路を目にする。
それは、どこか宮殿のような様相であった。水は滴っているものの、その床は石造りのタイルのようであり、少し凸凹しているもののその壁面には何かトカゲのような生物の頭を模したような意匠が上部に彫られている。そのトカゲのような生物の彫刻の首の下からは薄紫色に光る紐状の物質が飛び出して壁を這っており、それが光源となっているようであった。視点を壁から離して周りを見ると、黒色の柱が大量に、しかし整然と並んでおり、声の主は自分が部屋の中にいて、その部屋を壁伝いにぐるぐるしていただけであることに思い至る。
「あれ?わたしがずっと壁伝いにぐるぐるしてただけなら…この部屋、出口はどこだ?……あー…いや、この部屋がだだっ広くて、まだ出口まで辿り着いてないだけなのかもしれないか」
壁を伝う必要も無くなったため、軽快に歩みを進める。そうしてそこから幾許か歩くと、ようやくそれらしい通路を発見した。
その通路はやけに縦横の幅が広く、装飾は部屋の壁や床と同じであるものの天井には彫刻の下にあるような紫の物体が這っており、不気味な雰囲気を醸し出していた。
「…うぅ…なんなんだよここ…どこだよ、なんでわたしはここにいるんだよ…」
泣きそうになりながらも歩く。怖いので通路の端を、壁伝いに。
天井の光源が途切れた。通路から再び大きな部屋に出、天井は随分と高くなった。
部屋はドーム状、装飾もこれまでとはがらりと変わっている。通路から一段下がった位置にある床は水で覆われており、床から生え出るようにして濃い紫色の結晶のようなものが乱立している。部屋を支える柱は壁と同化しており、計七本が円状に配置されている。
そして特筆すべきはその七本の柱の四本目、通路から見て正面に位置するその柱にあるモノだろう。これまでのトカゲのような彫刻ではなく、ボロ布を纏った女体のような彫刻が柱の上部に十字架にかけられているようなポーズで存在している。その女体の首の後ろからあの薄紫色の物体が同じように這い出ており、植物の根のように部屋中の壁や床、天井を覆っている。
首を垂れた女体の彫刻をまじまじと見つめる。その表面はところどころ罅割れており、その罅からは水が滴り落ちている。
「あまりにも、悍ましい…」
不気味な宮殿への訪問者の目が見開かれる。
「キミも、そう思うだろう?」
ばきり、ぱらぱら。
彫刻の顔部分が砕け、その細かな破片は音を立てて落下する。そして砕けた顔の下から現れた本当の顔は目を細めてにやりと笑う。
「いやぁ、久々だよ…うん、本当に久しぶりだ。表情筋が固まってしまっていやしないか?ちゃんと笑えてるかな、どう思う?」
「…ぁ、ああ、うん。笑えてるんじゃ、ない?」
訪問者はあまりの驚きに腰が抜けたのか、首だけは見上げたまま地面にへたり込んでしまっている。
「そ?なら良かった…それじゃお互いに自己紹介といこうか。まずは私から…私の名前はレイヴン。故あってここに閉じ込められている。はい、お次どーぞ」
レイヴンと名乗った女性は軽薄な調子で自己紹介を促す。訪問者は居住まいを正し、レイヴンに向き合って口を開く。
「初め、まして。わたしの名前は……」
沈黙。レイヴンは怪訝そうな表情を浮かべ、対して訪問者は焦ったように顔を青ざめさせる。
「……思い出せない」
「…ほう?」
「というか、名前だけじゃなくて色々分からない。ここが何処なのかも、なんでここにいるのか、前後の記憶が無い」
「ほーう…?なるほどね、記憶喪失ってワケか。呼称がないのも不便だしさぁ、私が勝手に決めていいかな?思い出すまでの仮の呼称ってことでさ」
「いい…ですよ?」
「そりゃどーも。それじゃあね……特に深い意味はないけど、『オリヴィア』で。今からキミはしばらくの間オリヴィアちゃんだ。よろしく」
「よ、よろしく…」
「ところで話は変わるけどさ、私がキミをずっと待ってたって言ったら…どう思う?」
ずっと待ってた→来ることを知っていた?→待ち合わせをしていた?→知人…?
「わたしのこと知ってるんですか…?」
「いや知らんけど」
「あ、左様ですか…」
「知らないけど、待ってたのは間違いない。今はまだナイショだけど……オリヴィア、ちょっとこの私の首から生えてる気持ち悪いヤツ、触ってみてくんない?」
「触ればいいんですか…?」
訪問者、改めオリヴィアはゆっくりと立ち上がり、レイヴンの下へと伸びる物体に恐る恐る手を触れる。
手にぶにりとした気色悪い感触が伝わり、微かに反発しながらも物体が少し凹む。
「…あぁ、やっぱりそうだ…」
薄紫のそれは一層強い光を放ち、急速に唸ってレイヴンの首元へと縮みながら戻っていく。
固く鋭い音を立て、レイヴンの体を覆っていた石が砕け散る。
レイヴンは自らの両の掌を貫くように柱に突き刺さっていた大きな杭を乱雑に引き抜き、血液を撒き散らしながら落下する。
思わず後ずさったオリヴィアの目の前に華麗に着地し、血塗れの両手を広げて満足げに笑う。
「ようこそ、私だけの城…『
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