5話【契約】

◇同◇


 「……こんなものでいいのか?」


 私は彼女が指したメアリーの死体を足で軽く蹴りながらキキの方を見る。


「ヒヒヒッ、こんな”もの”とはのう……そやつ、元はお主の従者じゃろ?少しは情けでも感じんのか?」


「情け?」


 私はキキの言葉に微かに眉をひそめ、首をかしげる。


「それになんの意味がある。私はリスクを最小限に抑え、最大のリターンを得ただけだ」

「この場所にも、遅くない内に衛兵が来る可能性があった。その時、彼女が私が向かう先をバラす可能性がある」

「である以上、彼女を生かしておくリスクよりも、殺した時のリターンの方が大きいと判断した。だから殺したんだ。何か変かい?」


 私の問いかけに、キキは両手を横に広げ、肩をすくめる。


「変かどうかは知らん。我は人間の考える事などよく分からんからのぉ」


 彼女はそう言いながら、笑みを浮かべたままキキは私の腰にかかっている短剣を覗きこむ。


「……にしても、抱きついて背中を毒を纏った剣で一突きとは……大切な従者によくこんな行為ができたのぅ」


 私は彼女の言葉に、ほんの微かな怒りが芽生えた。


「……大切?  大切だと?  ハッ、全く笑えない冗談を言うもんだな。悪魔というのは」


「ほう……というと?」


 私の態度に悪魔は目を細めて少しだけ不快そうな顔をするが、私は無視して低く、冷たい声で言葉を紡ぐ。


「メアリーは、私が純粋にイジメを止めてくれたと思い込み、あまつさえよく考えずに私に心酔した。少し考えれば、メアリーと私の目があってから30分も間があるのが変である事に気づけただろう」


 そう、普通に考えれば変だ。

 彼女と目があった場所から中庭までは3分もかからない。

 だが、私がつくまでにはその10倍の時間もかかっている。


 その事実に気づければ、私が意図して時間を空けた事に気づけただろう。

 そして、それが何を意味するのかも。


「だが、彼女は気付けなかった」


 私は深く息を吐き出す。


「"私が助けてくれたから"というその場の情でしかないものを根拠に、私が彼女を道具のように使おうとしている事にも気づけない。それが彼女の全てだ。人の悪意に気付けない人間など、私の所有物以上の価値はない」

「そんな、馬鹿で間抜けで低能で卑怯な愚者の、一体どこが大切だと?」


 私は悪魔を一段と強く睨むと、


。メアリーという弱者が、淘汰されて当然の弱者が死んだだけだ。それ以上でもそれ以下でもない!」


 息を切らしながらそう言い放った私の声は、この肌寒い夜の気温以上に冷え切っていた。


 キキは私の言葉を聞くと、再び口元に薄い笑みを浮かべる。

 彼女の瞳が、一瞬だけ獣のように光ったような気がした。


「ヒヒヒ……なるほど。弱者は淘汰され、強者だけが生き残る。それは確かに、自然で当然な不可逆的に不変の摂理じゃ」


 彼女は楽しそうに尾を揺らしながら、私の方へ一歩近づいてくる。


「だがの、少年。お主のように冷徹な考え方を持つ人間は存外少ない。ましてや、弱者だからとあんな一瞬で見捨てられるのは、もはや――いや、なんでもない」


 彼女は何かを言いかけたが、ふいにその言葉を飲み込み、首を振って笑みを浮かべた。だが、その笑顔には微妙な陰りが見えた。


「とにかく、代償が問題ないならお主との契約は決定でよいな?」


「……仕方ない、か」


 私は彼女の言葉に、一抹の不安を感じながらも同意した。


 彼女の存在は不確定要素があまりにも多い。


 しかし、彼女が持つ力が絶大なことだけは確かだ。その力を借りられるリターンを考えれば、このリスクは分相応といえよう。


 だが、私がそんな返事をした瞬間、


――ど、どうした!!――


 突如、背後から衛兵の声が響いた。

 慌てて振り返ると、キキが殺した衛兵の死体を別の衛兵が見つけたらしい。

 倒れている衛兵へ駆け寄ろうとしていた。


「っと、無駄話がすぎたようじゃな」


「……ああ」


「今ここで契約を……と言いたいところじゃが、実はいくつかやらねばならん事があってな。こうなっては場所を移すしかあるまい」


「そうか。しかしどうするんだ?この屋敷の出入口は2つ。正門は衛兵がいるだろうし、裏口はまだ遠い。ここで見つかると厄介だぞ?」


「うむ……歯向かう人間を全て殺して逃げるという方法もあるが……ちと面倒じゃな。なら」


 彼女はそう言うと、私に右手を差し出してくる。


「この手を握れ」


「手を……?」


 私は少し困惑するが、今は考えを巡らせる時間は残されていない。


「……分かった」


 私はキキの差し出した右手を握り返した。


 キキの手を握った瞬間、空気が変わった。温かいはずの彼女の手が急に冷たくなり、その冷気が私の腕を通じて全身に広がっていく。まるで氷の刃が体の中を駆け巡るような感覚だ。


「冷たいじゃろうが少しだけ我慢せい、少年」


 彼女は今までになく真剣な顔つきをしたかと思えば、何かを唱え始めた。


「我ガ存在、時空ノ狭間ニ消エ失セ」


 その言葉とともに、キキの手から冷たい風が巻き起こり、周囲の空間がゆっくりと歪み始める。地面に複雑な魔法陣が浮かび上がり、闇色の光がそこから滲み出す。


「万象ヲ裂キ、道ナキ場所ニ我ラヲ導ケ!」


 声が低く響き、キキの瞳が鋭く光を放つ。圧倒的な力が周囲を包み込み、空間が崩壊し始める。


「エクリプス・ヴォラリス!!」


 その瞬間、空間が完全に裂け、二人の姿は淡い光とともに消え去った。



~~~

◇???◇


 ――おーい、はよう起きるのじゃ――


 どこかから聞こえる声につられるように、私はゆっくりと体を起こした。


「お、やっと目覚めたのじゃ」


 声をした方を見ると、キキが木にもたれて座りながら足で私の体を軽く蹴っていた。


「ここは……」


 私は寝ぼけた頭を振りながら、体を起こして周囲を見渡した。

 自分が立っている場所は、どうやら小高い丘の上だった。


 丘の頂上からは、平原が一望できる。遠くに広がる草原は風に吹かれてさざ波のように揺れ、静かな夜の光を受けてわずかに光っている。


 ……ふと、キキの傍に私の麻袋と緑の毛布がかかったメアリーが見える。

 その毛布には赤茶色のシミがついており、それが固まっていることから、あれから少なくとも15分以上は経っていそうだ。


「ここはハンス領内のお主のいた屋敷から5kmほどの場所じゃ。転移魔法を使ってここまで逃げてきたのじゃよ」


「転移魔法、だって?」


 転移魔法は詠唱魔法の中でも最も難しいとされる魔法だ。


 それが使える人は一生その魔法だけで生活できると言われているほど使い手の少ない貴重な魔法だと、メアリーが教えてくれたのを覚えている。


「でも転移魔法は確かどれだけ膨大な魔力を保持していても、精々金貨3枚程度の質量が限界だったはずだが……」


「まあ、人間程度の魔力ではそうじゃろうな」


 ……ということは、こいつは人間より遥かに多くの魔力を保持しているということか。


 あの即死の禁断魔法といい、こいつは私が10年かけてようやく身につけたばかりのこの世界の常識を、一瞬で裏切ってくる。


「それにしても、この程度の転移で気を失うとは……お主、どれだけ魔力が小さいのじゃ?」


「……私は魔力なしだ」


 私の言葉に、キキの目が一瞬大きく見開かれた。


「なんと!魔力なし、か!よくまあそれでここまで生き延びたのう」


「別に、魔法が使えなくても生活する分には問題なかったし、なにより私は貴族の子供だ。そう簡単にはしなないよ」


「うむ、ではなぜあの屋敷を抜け出そうとしてたのじゃ?そこにいるメアリーとやらを刺し殺してまで」


「それは――」


 私は少し迷った末、今までの経緯をキキに伝えた。

 自分が優生法の対象者となったこと。

 屋敷から脱出する途中でメアリーに見つかってやむなく殺した事。

 そして、自分が前世の記憶をもった転生者である事まで、この10年間を簡潔に、かつ丁寧に説明した。


 ……正直、なぜ転生者であることまで話したかは自分でも分からない。

 強いて理由を上げるなら、紅く鋭く光っている目が、まるで私の全てを見透かしているんじゃないかと思わせるほど綺麗だからだろうか。


 キキは私の話を最後まで静かに聞き終えると、しばらく何も言わずにじっと私を見つめていた。

 やがて、ニヤリと不敵な笑みを浮かべると、


「ヒヒヒ……やはりのう。お主はただの子供ではないと思っておったが、まさか転生者とは。その冷徹さは、お主の前世と何か関係があるのかの?」


 彼女の言葉は皮肉めいているが、どこか本気で興味を持っているようでもあった。


「……面白い。実に面白い。素晴らしく面白いのじゃ!我はこういう人間と契約したかったのじゃよ!」


 キキは楽しげに尻尾を揺らし、私をじっと見つめていた。

 それは悪意のある目線ではなく、純粋な興味から向ける目線なのだろう。まるで、新しい玩具を買って貰った子供のような表情だった。


「……それで? その”契約”とやらはどうやるんだ?」


 私の問いかけに、キキは嬉しそうに目を細めた。

 まるで「待っていた」とでも言いたげな、得意げな表情だ。


「ヒヒヒ……悪魔の契約とは、一種の儀式のようなものじゃ。ゆえに、悪魔が契約者に名を与え、契約者が悪魔に苗字を与える。そして、それを共有することで、その力を結びつけ、より強力な契約となる」


 彼女は私を見据えたまま続けた。


「まず、我が契約者に与える名を決めるのじゃが……どうするかのう……」


 キキはしばらく考え込んでから、何かを思いついたのか不意に目を輝かせた。


「お主、前世の名はなんじゃ? 教えてみい」


「……優司だ」


 私が前世の名前を告げると、キキはニヤリと笑みを浮かべた。


「ユージ……か。うむ、よいなじゃのう。気に入った!」


「よし、我からはユージの名と“災厄”の異名を授けよう。我の通り名、厄災の大悪魔の”厄災”からとったのじゃ。どうじゃ、いいセンスじゃろう?」


 キキは得意げに胸を張り、私を見下ろすように笑みを浮かべた。


「災厄……か」


 その言葉には、異様な重さと暗示が含まれているように感じた。

 もしかすると、前世の自分とその単語を照らし合わせてしまったのかもしれない。


「さて、次はお主じゃ。今度はお主が我に名を与える番じゃ。我の名、“厄災の大悪魔”に相応しい名を考えよ」


 キキが私に目を向け、待ち構えている。

 私は一瞬考え、すぐに口を開いた。


「……カタストル。厄災の大悪魔、キキ・カタストルというのはどうだ? 厄災を意味する私の世界の言葉だ」


 キキは満足そうに目を細め、尾をゆったりと揺らした。


「カタストルか……気に入ったぞ。それで決まりじゃ」


 キキは私の前に立ち、神妙な顔つきになった。契約の瞬間を迎えた彼女は、どこか荘厳な雰囲気を漂わせ、声に力を込めて語り始めた。


「今ここに、我らが名を交わし、契約を結ぶ――これは時を越え、世界を越えた力の約定じゃ。我が名はキキ・カタストル。厄災を司る大悪魔なり。そして、汝、ユージ・カタストル。我が力を求め、我が運命を纏う者となるがよい」


 彼女は一歩前に踏み出し、紅く輝く瞳で私を見つめながら、さらに声を低めた。


「契約は魂に刻まれ、いかなる裏切りも許されぬ。我が力を求めるならば、汝の命もまた我に委ねることになる。さあ、誓いを交わせ――汝、我が名を背負い、この契りを認めるか?」


「……誓う。ユージ・カタストルとして、この契約を認めることを」


 私が言葉を返した瞬間、目の前の空気が砕けるような音を立て、二人の間に漆黒の闇が満ちる。

 キキは満足げに微笑み、最後に力強い声で言い放った。


「ならば、この瞬間をもって契約は成る。我らは今より1つ、互いを縛り、共に歩む運命を背負おう」


「――災厄の契約者、ユージ・カタストルの誕生じゃ!」

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