災厄の契約者~狂気的平和主義者による異世界征服記~
石田ゆうき
0話【終焉】
――私は今、殺されている。
胸の奥に焼けつくような痛みが走り、呼吸がまともにできない。
目の前の男は、憎悪と狂気に満ちた目でこちらを睨み、「死ね! 死ね!」と叫びながら、私の胸に何度も刃物を突き立ててくる。
既に致死量を超えるであろう血が流れ、死の恐怖が全身を覆う中で、ふと先程の会話が頭をよぎった。
あいつと交わしたあの会話が……
――――――
◇2045年、東京都、某所◇
柔らかなジャズと控えめな照明。
磨かれたカウンターに、整然と並ぶクリスタルのグラス。
都会の
本通りから遠く離れたここは、戦争中の騒がしい日本から隔離された、素晴らしい場所だ。
――カランカラン――
その落ち着いた空気を破るようにドアベルの音が店内に響き、一人の男が店に入ってきた。
シワの多いスーツにボサッとした白髪交じりの髪。
ネクタイを緩め、シャツのボタンもだらしなく開けている。
場違いなほどだらしない格好をした男は、私を見つけると、
「わりぃ優司(ゆうじ)、遅れたわ。
と、ヘラヘラと笑いながら私の隣にドサリと座った。
(まったく、呼び出しておいて遅刻とは……)
もう60歳も過ぎたというのに、昔から誠二(せいじ)はがさつで困る。
まあ、これでも小学時代に比べれば、集合場所に来るだけマシになったのだが……。
彼がバーカウンターに座ると、若いバーテンダーが誠二がよく飲むウイスキーをグラスに注ぐ。
誠二はそのグラスを手に取ると、ゆっくりと口につけた。
「にしても、外じゃ第二次動員令が発令されたって大騒ぎだ。そのうち国家総動員法でも出るんじゃねーか?」
私はそんな彼の戯言をふっと軽く笑いながら、自分のグラスを手に取る。
「馬鹿言え。この民主主義に浸かりきった日本じゃ、そんな大それた事はできないよ。再軍備宣言でさえ、この私が協力してなお5年以上かかった国だぞ?」
「ハッ。確かにな」
彼はそう言うと、グラスをゆっくりとカウンターに置いた。
……氷の冷ややかな音が、二人の間に漂う少しの沈黙を際立たせる。
彼は目を伏せたまま、何かを考えているような表情をしていた。
が、少しするとコトッとグラスを置き、ゆっくりと私に真剣な眼差しを向ける。
「……そういえば、おまえ大亜細亜重工を買収するんだってな」
誠二の言葉に、私は口に運ぼうとしたグラスを止めた。
「よく知ってるな。正式発表はまだしてないはずだが」
「あそこの連中は独立志向が強くてな。俺の会社も何度か交渉したんだが、結局資本提携すら拒否されたんだ」
「それなのに、お前がたったの1度赴いただけで合意するとは到底思えないんだがなぁ……」
彼は私の顔をじっと見つめたまま、軽く眉をひそめた。
「さあね。偶然、うまくいっただけだよ」
「はっ、
私が白々しくとぼけて見せると、彼は鼻で笑いながらこちらを睨んできた。
「じゃあおまえがあの重工を訪ねた翌日に、買収反対派を牛耳っていた重工の役員が前線送りになったのも
「……偶然だよ。もちろん」
私は彼から少し視線を外し、グラスに目を向ける。
……ただ私が軍に小銃を納入する際、一部の人間に赤紙を送ることを条件にした。
そしてそれが、私にとって邪魔な、この世界の事を何も知らない若い役員だった。
政治家とも強く繋がっているこの私を怒らせるわけにはいかなかった軍は、本来それが決して許されない行為だと分かっていながら、しぶしぶその条件を飲むしかなかった。
ただ、それだけだ。
そんな私の態度に腹を立てたのか、彼はドンッとグラスを強く置くと、ふいにその顔を私の近くまで持ってくる。
「てめぇ、最近やり方が強引すぎる。こんな反感を買うやり方してると、いつかぶっ殺されんぞ」
いつになく低い声で警告してくる誠二。
一種の脅しともとれる発言だが、その目はいつになく真剣だ。
そんな彼に、私は首をかしげる。
「なにをいっている。これは平和の為に必要不可欠な
「死のリスクって、おまえそれ――」
と何かを言いかけてやめる誠二。
だが長年の付き合いのおかげか、何を言いたいかは何となく分かった。
私はグラスを右手で持ち上げると、それをスワリングする。
「安心しな。別に命を落としたいわけじゃない。今日だって、秘書にここまで車で送ってもらっているし、帰りも同じ。身の回りの安全は確保してるつもりだ」
「それに、私は今や軍需、政治、経済の全てに顔が利く、日本の悪魔と呼ばれる男なんだ。こんなことでしくじるほど脇は甘くないよ」
聞いて、黙りこむ誠二。
その顔はとても渋いものだった。
私は再びグラスを右手で持ち上げると、ゆっくりと
飲み干したグラスの底に残った一滴の
その光は、まるであと少しで消え去りそうな弱々しい命の灯火が、風に揺られているかのように見える。
(……問題ない、はずだ)
自分でも分からない感覚が胸の奥を締め付ける。
私の目標を達成するために必要である以上、多少の犠牲は仕方のないことのはずだ。
もう年齢的余裕もない以上、少し強引な手段を選ぶのも仕方のないことのはずだ。
何も問題はないはずなのだ。
何も……。
「最後の忠告だ、これ以上反感を買う真似はするな。絶対に」
改めて体をこちらに向けてそう告げた誠二。
その顔は今までで一番真剣で、そしてどこか恐ろしい。
「……忠告は謹んで聞き入れとこう。ただ、あまり期待しないほうがいいと思うよ」
私は空になったグラスを机に置くと、バッグを片手に立ち上がる。
「さて。ちょうど酒もなくなったことだし、私はそろそろ帰らせてもらうよ」
そんな私を、誠二はじっと見つめていた。
まるで何かを言いかねているように。
そして、私がドアノブに手をかけたその瞬間――
「おまえ、死んだ後にあの世があったら、どうする?」
低く響くその声に、思わず足が止まった。
(あの世……?)
私はあまりに意図が読めない質問に、一瞬呆けてしまう。
だが、考えても分からなかったため、素直に答えることにした。
「さあね。ただ、もし私が天国に行けるなら、美味しい酒を飲みながらゆっくり過ごしたいかな」
そう返し、彼の方を振り返ると、
「天国だぁ? おまえのような人間、行くのは地獄に決まってんだろ」
彼は眉をひそめながら驚いた様子でこちらを見ている。
そんな彼に、私は口角をわずかに歪ませ、皮肉な笑みを浮かべてこう告げた。
「何を言っている? 私ほど
~~~
店を出た私は、ふと異変に気づく。
店の外で待機させていた秘書と、私の車がないのだ。
(どうしたんだ? 何かのトラブルか?)
そう思った私は、バッグから携帯を取り出し秘書に電話をかけた。
だが、普段なら3コール以内には出る私の秘書が、今は電話にすら出ない。
私は眉をひそめ、通りを見渡したが、やはり私の車も秘書もどこにも見当たらない。
違和感がじわりと胸の中で広がり、次第に心拍が速くなっていくのを感じた。
そのとき、
「死ね!!! この悪魔が!!!」
その男の声に気付いた時には時すでに遅し。
肩を掴まれたかと思った直後、背中に強烈な痛みが襲う。
「ぐっ!」
私はその痛みに耐えきれず、思わず地面に倒れる。
背中が燃えるように熱い。
思考が途切れ途切れになる。
血が噴き出しているのが感覚で分かる。
だが、男はそれを確認する暇も与えず、私の体を乱暴に仰向けにすると、私にまたがり刃物を大きく振り上げて――
――――――
そして、今に至る。
こいつは、あのとき軍に送り込んだ重工の役員だ。
今頃は促成教育を終え、前線へ向かう輸送船の中のはずだが……一体どうやってここまで来たのか。
(まさか、協力者?それとも……)
様々な考えが浮かぶが、その度に胸の激痛に阻まれる。
「日本の悪魔と呼ばれたお前も、こうなっちゃあただの案山子と変わらんな!!」
彼は私から刃物を抜くと、目を大きく見開きながら、イヒヒヒと気色悪い声で笑い続けていた。
……意識は薄れ、もう指先一つ動かせない。
だというのに自分の思考が妙にクリアで、不気味なほどに冷静なのは、今までの
(なぜこんな事になってしまったのか……)
その答えを探す中で、ふと頭に浮かんだのは――自分のやり方の甘さだった。
冷静に考えればあんな強引な手段を取らずとも、スキャンダルを捏造し、社会的に抹殺するだけでも十分だった。
この男は勿論、政府や軍からも反感を買うこんな無理なやり方をする必要など無いはずだ。
――なぜこのようなミスをしたのか。
それを考えた時、私の中でぼんやりとある結論が出ていた。
(私は、焦っていた、のか……?)
もうすぐ62歳だというのに、未だにこの程度の地位にしか立てていないという事実に。
これからどんなに頑張っても、これ以上の権力を手に入れることはほとんど不可能という現実に。
ここまでやってもなお、自分という存在が到底平和になっていないという真実に。
そして、恐怖していたのだろう。
刻一刻と迫る寿命という存在そのものに。
(……死にたく……ない!)
それに気づいてしまった私は、心の奥底からそう思った。
思ってしまった。
もはや到底叶うことのない願いを、人として生まれた以上、絶対に不可能な望みを。
(いやだ……いやだ!!!!)
心臓が激しく鼓動する。
息が詰まるような苦しみが胸を締め付ける。
体中が震え、思考が混乱する。
恐怖と絶望が心を支配していく。
(怖い……!! いやだ……! まだ死にたく……な……い……)
そう心の中で叫ぶも、私はもう動けない。
言葉も出ない。
自信も理性も砕け散り、最後に残ったのは――震えるだけの、無力な自分。
それだけだった。
~~~
……この時の自分は思いもしなかったのだ。
まさか、死後の世界が"天国"でも"地獄"でもないだなんて――
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