第10話 「全ての始まり」(ep.マシュー)


「デ……イ?」


 絶体絶命の僕を救ったのは、デイだった。


 彼はドゥロザムの関節と関節の僅かな隙間に銃口をねじ込むと、迷わず引き金を引く。


『ギィィイイィ!』


 脚が吹き飛んだ瞬間、ドゥロザムが悲鳴のような鳴き声をあげた。耳鳴りがする程のその声に、僕は恐怖の余り、尻餅をつく。


 デイは、ひっくり返りバタバタと暴れている奴に跨がると、その顔目掛け残りの弾丸を全て撃ち込んだ。


 ビク、と大きく跳ねた後、ドゥロザムは動かなくなった。死んだようだ。


 凄い。こんな状況で、あいつを仕留めるなんて。僕は怖くて動けなかったのに。やはりデイは英雄だ。また僕を助けてくれた。


 霧はいつしか冷たい雨へと変わっていた。


 寒いはずなのに、周りの凄惨な光景のせいで、僕は体温を感じなかった。今、ここで生き残っているのは僕達だけみたい。


 後は皆、殺されてしまったか。それとも基地に逃げ帰ったか。


 静けさの中、化け物の上に立ち、雨に打たれながら肩で息をしているデイ。彼は今、何を考えているんだろう?


 彼の表情が読めなかった。


 全ての血を、灰色の空から降る雨が流していく。


「はぁ、はぁ。無事かマシュー!」


「う、うん。君のおかげでなんとか、本当にありがとう、デイ」


「もたもたすんな! 俺らもすぐに帰るぞ」


 腰を抜かした僕に、デイが差し出してくれた手。それを取ろうとしたーーその時だった。


ーードゴォンッ!


 僕達のすぐ側に、何かが吹き飛んでくる。


 砂煙をあげるそれは、先程のドゥロザムよりも一回り大きな姿。もしかして、女王か?


 ピクリとも動かない事から、すでに事切れているようだ。……冥霧の王が即死?


 あんな巨大な化け物を吹き飛ばせるような、そんな人間離れした芸当が出来る者なんて、この中にはいない。周りの人間なら、皆もう既に死んでいる。


 出来るとしたら同じ化け物くらいだ。そう、例えば……新しい魔物だとか。冥霧の王を瞬殺するレベルなんて、そんなの厄災と等しい。考えたくもないけれど。


 僕の嫌な想像を肯定するかのように、ズシン、ズシン、と地響きが近付いてくる。


 霧の中から現れたそれは、昔おとぎ話で見た『ライオン』と良く似た風貌ながら、黒い、大きな翼をはやした魔物だった。


 これが、咆哮獣『ヴァルゴス』と僕らの出会いだった。


 ソイツは、僕達を見つめたまま、距離を詰めてくる。


 僕もデイも、身体中から嫌な汗がふき出し、その場から一歩も動けない。まるで地面に縫い付けられたかのようだった。


「……お、おいマシュー。俺がなるべく時間を稼ぐ、その隙にお前だけでも逃げろ」


 デイが僕にだけ聞こえる声で囁く。


「無理だよ。アイツは、僕達を逃がす気はない。それに僕は、君を置いて行くなんて出来ないよ」

  

 一歩、また一歩と近付いて来る。


 僕達のすぐ側まで来た後、静かに、目を狭めながらこちらを見つめるそれは『死』そのものを体現していた。


 完全に、獲物を狙う目だ……僕らをターゲットとして認識してる!


 体を沈め、地を滑るように構えるヴァルゴス。その動きに一片の無駄もない。次の瞬間、爆ぜるように飛びかかってきた。その鋭い爪が、僕達に向けて一気に放たれる。


 今度こそ、本当に終わりだ。


 ぎゅっと目を瞑った時、僕らの間を風が勢い良く駆け抜けた。


「……?」


 目を開けると、そこには一匹の魔犬が立ちはだかっていた。


 だが、普通の魔犬とは違う。大きく、引き締まった体。精悍な顔立ち。怖いほど美しいその姿に、僕は思わず息を呑んだ。


『アオーーン』


 そのケモノが遠吠えをした途端、まるで花が咲き誇るように、薄墨だった毛がみるみる薄ピンク色に変わっていく。


 その姿は、昔絵本に出た花“サクラ”に良く似ていた。そして“オオカミ”にも。


 この切羽詰まった状況で、“サクラオオカミ”しか目に入らない。


 後にその魔物の名前が『ラズリオン』であると知る。僕達とラズリオンの、運命の始まりだった。


 次の瞬間、二匹の魔物が激突する。


 翼を広げ突進するヴァルゴスに、ラズリオンは跳躍して応じる。鋭い爪が交錯し、血が舞った。


『グルウッ!』


「す、凄い。あの獅子型の魔物が押されてる!」


 ラズリオンの優勢に見えた戦況だったが、押され気味だったヴァルゴスが黒いモヤをまとい、尾の周囲に棘を生み出した。


「なんだ、あれ」


「わかんない、多分魔法……かも」


 その尾が振り下ろされると同時に、浮いていた棘はラズリオンに直撃した。


『ギャンッ!』


 ラズリオンは地面に叩きつけられ、血が滲む。


 それを好機とヴァルゴスは、すぐにラズリオンに向かって猛然と駆け寄り、巨大な爪を振りかぶる。爪はパキパキと音を立て、刃物のようにより鋭く、一回り大きく変化した。


 その爪がラズリオンを捉えようとしたとき、一瞬の隙をついて、ラズリオンは自身の周りに花びらのようなサクラ色の光を集めた。それはヴァルゴスに向かって鋭い突進を繰り出し、光の刃が顔を切り裂く。


 これも、魔法なのか。


 ヴァルゴスの雄叫びが上がる。


 追い討ちをかけるように、ヴァルゴスが光に囲まれ始める。まるでそこだけ吹雪に包まれているような光景で、光に切り裂かれたヴァルゴスの身体中から血が溢れていた。


 光が止むと、ヴァルゴスはよろけ、ついに足元が崩れた。


「あっ!」


 僕が驚きで声をあげると、ラズリオンはそのまま喉元に牙を突き刺す。


 絶叫を上げたヴァルゴスは、最後の抵抗とばかりに、渾身の力で黒い棘を作ると無差別に飛ばした。


「え?」


 その棘の1つは僕の頬を掠め。


「ガハッ」


 もう1つは、――僕の親友の胸を貫く。


「あ、ぁあ! デイ、デイ、しっかりしてデイ!」


 デイの口から、泡混じりの濃い赤が吹き出した。


 その姿と、いつも笑顔で僕の名前を呼ぶデイの姿が重なる。


 彼が崩れ落ちると同時に、ヴァルゴスも動かなくなる。


 静寂が広がり、戦闘の終息を告げる。


 僕達の様子を伺いながら、ラズリオンは棘を咥え引き抜くと、ゆっくりこちらに近付いてきた。


 僕は迫りくる危険よりも、目の前の親友の事で頭がいっぱいだった。


「デイ、死なないで! お願いだから!」


「ヒュー、にッ、逃げろ……マシュー」


「喋らないで! 血が、血が止まらない、どうしよう。どうしたら……嫌だデイ! 僕を置いていかないで」


 デイの呼吸が段々と弱々しくなってくる。


 彼は静かにその目を閉じた。


「うわぁあああぁああぁあああ!」


 デイが、デイが死んでしまう。視界が涙で溢れて滲んでいて見えない。

 

 泣き叫ぶ僕の様子をじっと見ていたラズリオンは、こちらへと歩みを進める。


「な、何なんだよ、くるな! お前ら魔物は皆悪魔だ!」


 先程まで美しいと思っていた怪物の、血だけの姿をみて畏怖の念すら抱く。けれど僕はデイが目の前で倒れた事にパニックになっていて、彼を抱き抱えながら、腰に付けていたナイフを闇雲に振り回す事しか出来なかった。


 そんな僕の様子を観察していたラズリオンは、静かに僕達の横を過ぎていく。奴が向かったのはドゥロザムの元だった。


「……は?」


 ラズリオンは目線は僕達を見たまま、その爪でドゥロザムの胸部を切り裂く。そこから心臓、魔核を咥えて引き抜くと、それはパキパキと音を立てて、結晶となって宝石の様に光輝いた。


 バキン、とそれを食らったラズリオンの、全身に淡い光が集まる。


 その光の力は凄まじく、ラズリオンの体はまるで新たな命を得たかのように輝き、急速に傷が癒えていった。


「それが、魔核の力……?」


 ラズリオンは静かにその戦闘の跡を見渡し、そして僕に1度目を向けた後、ヴァルゴスの死骸を見る。


 やがて静かにその場を後にした。


「あれで、デイを治せって事? アイツ、知性があるのか?」


 何故魔物が人間の味方をするような様子を見せたのか、疑問は沢山沸き上がってきたが、今はデイの事が最優先だ。


 腕の中の彼は、まだ弱々しいながらも僅かに脈がある。迷っている暇はない。一か八かだ。


「待っててデイ、絶対助けるから!」


 僕はナイフを握る力を更に強め、ヴァルゴスの所に駆け寄る。


「間に合え、間に合え、間に合え、間に合え!」


 生暖かい血肉のヌルッとした感覚も、嫌な匂いも、そんなものはどうでも良かった。なりふり構ってられないんだ。


 僕が手にした両手ほどのそれはとても黒く、先程のようにパキパキと音を立てて、やがて結晶となった。


「この大きさじゃダメだ、全て入らない。何か砕くもの」


 キョロキョロと辺りを見回すと、近くに岩があった。それで叩き、欠片をデイの口に入れる。


 もうほぼ命の灯火が弱まっていた彼は、飲み込む力なんて無く、弱々しく無反応だった。


「お願い、デイ。飲んで、じゃないと助からない!」


 僕の願いも虚しく、届かない。


 どうすれば、と考えた時。貫かれた胸が目に入った。


 飲み込めないなら、直接入れたらどうだろう?


 後先なんて考えずに、その穴に押し込む。


 ビクン、と身体が震えた後、動かなくなった。


 まさか、死んでしまった?


 当たり前だ。普通なら、今のはトドメをさした事になったんじゃ?


 どうしよう。絶対に僕が殺した。


 もっと早くに、2匹が争っている時に逃げていたら。とめどない後悔が、僕の目から涙となって溢れだす。


「ごめん、ごめんなさい、デイ。……ごめッ」


 僕がデイの手を握った時だった。取った手にぎゅっと少しの力がこもる。段々と心臓の辺りからモヤが出始める。


「!」


 でも、まだモヤが少ない。恐らく足りてないんだ。


 僕は残りの欠片を全てデイの心臓へと詰め込む。その時、手にドクンと言うとても強い拍動が伝わってきた。


 ブワッと大量のモヤが溢れだしたかと思うと、彼の身体を包む。


「なに、これ……前が見えない」


 モヤが完全に無くなったあと、そこには『傷口がない、ヴァルゴスに似た見た目のデイ』が立っていた。

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