お母さんはレシピを持って異世界転生しました

月白紬

序章 プロローグ・オブ・異世界お母さん

プロローグ

――その日、佐藤優香はいつも通り夕飯を作っていたはずだった。


「はいはい、あと五分でごはんよ~。手洗って待っててねー」


ふだん通りの声で子どもたちにそう言いながら、鍋の中をかき混ぜる。

豚肉とごぼう、こんにゃく、人参。それにだしの香り。焼けたサンマの香ばしい匂い。

今日のメインは豚汁と焼き魚、それにほうれん草のおひたし。

どれも素朴だけど、家族が大好きなメニューだった。


「……って、あれ?」


目の前のキッチンが、ふっと、色を失った。


手にしていたおたまが消える。ガス台も、鍋も、換気扇の音も。

全部が、まるで絵の具のように水に溶けて、視界から流れ出していく。


「ちょ、ちょっと待って! まだ火を止めてないのに!」


思わず叫んだ声は、どこか遠くへ吸い込まれていった。


次に意識を取り戻したとき、そこは――


「……屋根?」


藁のような天井が見えた。鼻をくすぐるのは、乾いた草と土のにおい。


気だるげに体を起こすと、ゴツゴツした硬い床と、薄くてぺらぺらの布。

布団というより、麻袋だろうか。


「ここ、どこ……?」


あたりを見回すと、そこは古びた屋敷の一室だった。

ところどころ壁は剥がれ、窓にはヒビが入っている。


そして――優香の視線の先にいたのは、小さな三つの影。


一番年長らしい少女が、二人の子どもをかばうように前に立ち、警戒心むき出しの目で睨んでいた。


「……あんた、誰? 泥棒?」


その言葉に、優香はぽかんと口を開けた。


泥棒。いや、それは違う。でも、どう説明すればいい?

というより――


「えっと……とりあえず、お腹、すいてない?」


とっさに口をついたのは、そんな一言だった。


異世界? 転移? そんなものは、あとで考えればいい。

今、自分にできることは一つ。


――ごはんを作って、子どもたちを笑顔にすること。


それが、彼女が異世界で最初に選んだ道だった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る