5-④ 君のもとまで
「……ははっ」
お節介な奴。
そりゃそうだよな。少なくとも、八十億の命の面倒見てんだから。お前が宇宙で一番、世話焼きだろうよ。うちの父さんなんか、可愛いもんだ。
「……こ、紅汰? 今、映ってた子は……」
「母さんはさ」
「えっ?」
「母さんなりに、折り合いつけたんだよな」
「……? 何を……?」
「俺達が受け継いだ、真祖様の恋心」
母さんは、俺の言葉にはっと息を呑む。
惚れた腫れたに難色を示していた俺らしくない発言から、行き詰まった俺の現状を察したのだろう。少し、躊躇うように顔を伏せた。
親子の間で、自身の心の整理の仕方というのは、なかなか言いづらいものだと思う。しかし、話すべきだと決めてくれたのか、母さんは苦々しい表情でいながらも、俺へ向き直った。
「最初に断っておくけれど……私から、紅汰の望むような答えはあげられないわよ。それでもいい?」
「……ああ」
母さんと俺。同じ血と心を受け継いでいても、思想は全く異なる吸血鬼だ。納得のいくものは提示できないとしっかり述べてくれた母さんに、俺は感謝を込めて頷いた。
首が縦に振られるのを見届けた母さんは、ゆっくりと目を閉じ、ゆっくりと開く。そして再び現れるだけだったはずの母さんの瞳に、俺は一瞬、息を詰まらせた。
由緒正しき吸血鬼の気高い眼差しが、俺を射抜く。
「私は、この人を人間だから選んだ。どれほど魅力的な一面があっても、人間でなかったらこの人を選んでいない。真祖様が作ってくださった、種族問わず手を取り合う優しい世界を、私も繋いでいきたかったから」
最も聞かせるべきでない父さんの隣で、母さんは毅然として言い切った。
包み隠さず正直に伝えることこそ、自身の使命に巻き込んだ父さんへの誠意だとして。
「それはあなたにとって、あまり好ましくない考え方かもしれない。……けど、外見も内面も愛しいと思うこの人が、人間として生まれ、私と出会ってくれた運命と、私の正体と使命を知りながら残りの人生を共にすると誓ってくれたこの人の意志は、息子であろうと口出しさせない。私達の関係に、他の可能性も、価値観も、正しさも、何も介入させはしない」
真祖様が作ってくれた世界と、父さんの決意に報いるために。
母さんは、自身の胸に宿る使命を、命ある限り尊ぶ自分で居続けると決めているのだろう。
「まあ、私達の真祖様が悪い人じゃないっていうのは知ってほしいから、そこの棚にある本はやっぱり読んでほしいなって、思っちゃうんだけど……」
それはそれ、これはこれ。
急に威厳が失せ、人差し指を合わせてもじもじと俺の顔色を窺う母さんに気が抜けてしまう。
やっぱ、母さんは母さんだ。何かと喧しくて、けど全く嫌いになれない母さんのいつもの調子が、俺の口端を緩ませる。
「ああ、今度読む。ちょっとずつでもちゃんと読むよ」
「えっ!! ねぇ、あなた聞いた!? 紅汰が!! 紅汰が真祖様の偉業を読んでくれるって!!」
「うん。聞いてた。よかったね、夜花さん」
今夜はご馳走作っちゃおうかしら、なんてはしゃぐ母さんを、父さんは優しく見つめている。支えたいと思える人が、今日もその人らしくいてくれていることを、喜んでいる。
視線でまで惚気やがって。他所様だけじゃなく、息子の目も憚れってんだ。
でも、今は見られてよかったと思う。魔族と人間の関係の、綺麗な形。真祖様が作った平和な世界がこんな近くにあるのに、わざわざ伝記を読む必要なんてやっぱりないんじゃないだろうか。微笑ましさに俺は笑ってしまう。
「だからね、紅汰。母さんは、あなたの恋も否定しないわ」
真祖様の心を、俺まで後世へ遺す必要はない。
母さんは、自分達の関係はあくまで自分達のもので、他人に否定もさせなければ強要もしないつもりでいるらしい。どんな思いで、どんな恋だってしていいのだと、俺の背を押してくれる。
なんだろう。ほんの少しだけ寂しくて、けれど大きな感謝があって。気恥ずかしくも母さんへ礼を言おうとすれば、しかし母さんは「ちょっと待ってて」と書庫を出て行った。
せっかくの気勢がそがれる。急になんだ。もしかしてこの本棚以外にも真祖様関係の本を持ってくる気か。母さんの考えを知りたくて父さんをちらりと見るが、にこにこ笑っているだけだった。憎たらしいな、我が親ながら。一番の理解者め。
それから数分もせずに母さんは戻ってくる。何かを大切そうに包んで持つ両手の指の隙間からは、チェーンが垂れていた。
「紅汰。これ、使って」
母さんが開いた掌の上で、何かが外の光を反射する。
宝石だ。大きな雫の形をした真紅の石を、銀の金型に嵌めたペンダントだった。夜明け前の闇の中でも、真っ赤だと分かる雫。
「私達、千寿井の吸血鬼は魔族の先導者。反乱が起こらないよう、永遠に抑止力として在り続ける必要がある。けれど、混血によって力が弱まってしまうから、それを危惧した真祖様が、王としての力を凝縮して遺してくださったペンダントよ。身につけている間、夜が明けるまでは私達を真祖様ほどの吸血鬼にしてくれる」
母さんが、床のガラス片なんて気にも留めず、俺へと近づく。父さんも止めなかった。
母さんの伸ばした手は、俺の首にペンダントを掛ける。俺の胸元で、真紅の石が揺れた。
「夜の王は、翼によって空も飛べたわ」
俺はそこでようやく勘付く。
見開いた目で母さんを見れば、母さんはもう、母親らしい優しい微笑みを浮かべていた。
「い、いいのかよ。大事なもん、こんなことに使って……」
「大丈夫よ。あの方は、生涯をかけて、愛に生きた吸血鬼ですもの。あの方にとって遥か未来でも、御自身の力が愛のために使われたのだと知ったら、きっとお喜びになられるわ」
知る方法などない死者の想いを、このペンダントも含めて丁寧に汲み取ってきたであろう人が、代弁する。
「好きな子のところへ、行ってあげなさい」
ぱっと笑って一歩引いた母さんは、俺を見送るつもりらしい。
そんな母さんの肩をそっと抱いて支えた父さんも、勇気づけるように頷いた。
込み上げる何かが溢れるのをぐっと堪える。そんな暇が、あるのなら。俺は二人へ背を向け、割れた窓から外に出ようとする。
しかし、まだ窓枠に残った鋭利なガラスに阻まれた。うわ、忘れてた。格好つかねぇ。仕方がない、玄関から出なければ。
「キィ!」
「ピィ~!」
踵を返そうとした瞬間、俺と母さんの足元から蝙蝠が一匹ずつ飛び出した。あんこと、母さんが契約している蝙蝠のリーフ――絵本で読んだ葉っぱの傘に憧れて名付けたらしい――だ。
二匹は俺の足の甲に止まると、そのまま変身して片足ずつを覆うスニーカーになってくれる。
「……ありがとな」
親には難しくても、やはり相棒には本音が言いやすかった。
俺は二匹の思いを無駄にしないよう、割れて尖ったガラスを躊躇いなく踏み、窓枠に足を掛けた。
「じゃあ、いってくる」
「いってらっしゃい、紅汰」
まだ星が見える空を見据え、背に意識を集中させる。
肩甲骨の辺りが肥大する、名状し難い感覚。絶えず膨らみ続け、ついには寝間着代わりの長袖シャツを破り、蝙蝠のような翼となった。解放に喜んで大きく広がる。
翼なんて初めて生やしたために、身体の一部というより、新しく取り付けたパーツみたいだ。使い方を確かめるべく、慎重にはためかせる。
不思議な感じ。でも、いつもこれを背負ってるあんたもこれを感じているのなら。俺は、あんたのところへ行けるよな。
あんたがこの瞬間にも頑張ってくれてんのに、立ち止まってごめん。情けなくてごめん。
俺の恋心がなんであれ、あんたに伝えたいことがあるから。
今日は、俺があんたのとこまで行くよ。
一度、息を吸って心を固める。脚に力を込め、窓枠を思い切り蹴った。
身体はそのまま浮遊――するわけもなく、重力に従って落ちていく。
「やべっ……!」
なんとか翼を必死に動かして高度を上げた。街の上を進みつつも、落ちたり浮いたりと不安定な軌道を描く。おい、真祖様。飛行の技能もペンダントに遺しといてくれよ。
心配のあまりバタバタと勝手に動く靴達に「な、なんとかすっから!」と言いながら、遥か上空を目指していく。
正直、めちゃくちゃ怖い。飛ぶのも、彼女に会うことも。
心臓は馬鹿正直にうるさく喚いて俺を止めようとしている。
止まるもんかよ。これは俺のものなのだと自認した翼で、風とともに不安を切り、進み続けた。
雲を突き抜け、遠くまでひたすら黒い夜の真ん中に佇む。
人間が生身でいるには辛いはずの場所でも、今の俺の身体は平気だった。空を飛べる生き物が上空の環境に弱くては話にならないからだろう。
俺は今だけ、有限なる夜の王。配下である夜が捧げてくれる空気を、大きく吸い込み。
「ティア――――――ッッ!!!」
天まで届けと、彼女の名を叫ぶ。
頼む、気づいてくれ。ここまで来たから。
吹きつける風が、俺の声を彼女まで運んでくれるのを望む。
しかし、返ってくるのは虚しい風の音だけだった。微かな音さえ逃すものかとしばらく耳を澄ませたが、俺とは異なる翼のはためきは聞こえない。
いや、諦めてたまるか。再び彼女を呼ぼうと、肺に空気を巡らせる――その直前。俺は感じ取った気配に、振り返った。
「……ティア」
金の髪。白の翼。頭上の輪。
俯いたまま胸元で両手を握る彼女は、俺が呼んだ天使だった。
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