第20話:安定供給維持交渉

 エリザベスは、街で最も大きく、最も華やかな商館を構えていた。


黄金の天秤アウルム・リーブラ」と呼ばれるその商館は、まさにこの世界の商業の中心地のようだった。


 中原は、ローレンスの紹介状を手に、その威容ある建物の中に足を踏み入れた。


 通された応接室で待っていると、やがて一人の女性が現れた。

 豪華なドレスに身を包み、洗練された雰囲気を漂わせている。年齢は分からないが、シルヴィアより少し若くも見える。しかしその表情には一切の隙がなく、鋭いビジネスの嗅覚を感じさせた。彼女が、異世界最大の貿易商、エリザベスだった。


「あなたが、ギルドの報酬体系を立て直したという…中原信也なかはらしんやさんね?」


 エリザベスは、椅子に座るよう促しながら、値踏みするような視線を中原に向けた。


 その声は、氷のように冷たいわけではないが、一切の感情を挟まない、ビジネスライクなものだった。

 まるで、目の前の人間を、感情を持たない一つの取引対象として見定めているかのようだ。


「はい、中原信也です。本日は、ギルドの資材調達についてご相談させて頂きたく、参りました」


 中原は、ビジネスマンとして培った礼儀をもって応対した。

 異世界に来て以来、様々な相手と関わってきたが、エリザベスから放たれる有無を言わせぬ圧力は、かつて相対した大企業のトップたちに匹敵するものだった。


 中原は、ギルドが資材調達で抱えている問題を説明した。

 信頼できる業者が少なく、供給が不安定なこと。必要な資材が手に入らず、依頼の遂行に支障が出ていること。

 在庫管理が曖昧で、無駄や不足が生じていること。

 そして、この問題を解決するために、信頼できる供給網を構築したいと考えていること。彼は、資材部のバルカスや冒険者サポートのセシリア、そして冒険者たちの具体的な苦労を交えながら、ギルドの現状をありのままに伝えた。


 エリザベスは、中原の説明を静かに聞いていた。

 時折、興味深そうな表情を見せるが、口を挟むことはない。

 その瞳は中原の話の論理構成を見抜こうとしているようだった。


「なるほど…ギルドも、随分と近代的な悩みを抱えているのですね」


 中原が話し終えると、エリザベスは皮肉とも取れるような笑みを浮かべた。


「資材の供給網の構築…仰ることは分かります。

 ですが、それは剣や魔法で解決できるほど簡単な問題ではありません。

 この世界の貿易は、常に不確実性に満ちています。

 天候、魔物の活動、盗賊…そして、何より人間の欲深さ。

 信頼できる業者を見つけるのは至難の業ですし、さらに、彼らと有利な条件で取引をするとなると…」


 エリザベスは、この世界の貿易の厳しさを語った。

 彼女自身、その荒波を乗り越えて「黄金の天秤アウルム・リーブラ」を築き上げてきたのだろう。


 彼女の言葉には、経験に裏打ちされた現実の重みがあった。


「それは重々承知しております、エリザベス様」


 中原は真剣な表情で頷いた。


「だからこそ、エリザベス様のお力をお借りしたいのです。

 エリザベス様は、この世界の貿易の全てを知っていらっしゃる。

 どの業者が信頼できるのか、彼らが何を重視するのか、どのように交渉すれば有利な条件を引き出せるのか…その知識と経験こそが、今のギルドには最も必要なのです」


 中原は、エリザベスの知識と経験に対する敬意を示した。

 単なる依頼ではなく、彼女の専門性への賞賛を伝える言葉を選ぶ。


 エリザベスは、中原の言葉に少しだけ表情を緩めた。わずかに口角が上がる。


「私の知識と経験…ね。


 確かに、この世界の貿易に関する知識なら、誰にも負けない自信はあります。

 ですが、貴方の言う『供給網』とやらを、この世界の不安定な現実に構築できるかは別問題です。

 私の経験則では、計画通りに進むことなど稀ですから」


「エリザベス様。私は、私の故郷で培った『管理』と『計画』の知識を持っています。

 それは、不確実性を完全に排除するものではなく、不確実性の中で最善を尽くし、リスクを管理するための考え方です。

 エリザベス様が持つこの世界の『現実』の知識と組み合わせれば、きっと、ギルドにとって最適な資材供給網を構築できると信じています」


 中原は、自身の強みをアピールした。

 論理的な思考と、システム構築の能力。

 それは、エリザベスのような直感的で経験重視の貿易商にとっては、新鮮な視点かもしれない。


 エリザベスは、中原の提案に興味を示したようだった。

 彼女の鋭い視線が、中原の言葉の真意を探る。


「あなたの『管理』と『計画』…面白い組み合わせね。

 具体的には、どのように? 例えば、貴方は『需要予測』とおっしゃったわね。

 冒険者のニーズは気まぐれで、突発的な大型依頼や、未知の魔物の出現で必要な資材など、予測できるものではない。

 過去のデータが、どうやってそんな未来の混沌を言い当てるというの?」


 エリザベスの質問は、核心を突いていた。

 中原は、予測が万能ではないことを認めつつ、その価値を説明した。


「予測は、完璧ではありません。

 ですが、全く何もないより遥かにリスクを減らせます。

 私たちは、過去の依頼データ、冒険者の方々の活動パターン、そして季節ごとの魔物の変動傾向などを『魔法の記録盤マジック・タブレット』で集計・分析します。

 これにより、例えば

『この時期は解毒薬の需要が増える』

『このランクの冒険者が増えると、特定の強化ポーションの消費が増える』

 といった、全体的な『傾向』や『基準線』が見えてきます」


「突発的な需要は、完全に予測できません。

 ですが、日常的な需要や、定期的に発生するイベント

 例えば…季節ごとの討伐対象変化ですが…それに必要な資材を、あらかじめ高い精度で予測し、計画的に在庫しておくことで、突発的な事態に備えられる『余力』を生まれるのです。

 常に手探りではなく、確かな足場を持てるようになります」


 エリザベスは顎に手を当て、考え込んだ。

 彼女の経験は直感的だが、中原の言う「傾向」や「基準線」という考え方は、自身の持つ膨大な取引経験を別の角度から見る視点かもしれない。


「なるほど…完全に未来を読むのではなく、過去のデータから『確率』を見出すということかしらね。

 では、その予測に基づいて計画的に発注するとして、供給元が不安定だという問題はどう解決するの? 貴方の予測では来月100個必要なポーションでも、薬師が『材料がない』と30個しか納められないとすれば、計画も在庫管理も絵に描いた餅でしょう?」


 エリザベスの次の質問は、この世界の供給網の最大の課題を突いたものだった。

 中原は、ここで「サプライヤー選定」と「評価基準」の重要性に話を戻した。


「そのために、最初の『信頼できる供給元の選定』が重要になります。

 そして、一度取引を始めた供給元についても、単に『品物が届いたか』だけでなく、品質は安定しているか、納期は守られているか、価格は適切か、緊急時の対応はどうか…といった様々な項目を『評価基準』として設け、取引のたびに記録盤に記録していくのです」


「評価基準、ね。品質などは、職人の腕や魔法の込め方で変わる。

 それをどう測る? 定期的に見直すと言っても、何を根拠に?」エリザベスは追及する。


「バルカスさんの資材部や、冒険者の方々からの品質報告、納品時の遅延時間、価格の変動などを全て記録盤に紐づけてデータ化します。

 完璧な客観性はありませんが、継続的な記録は、どの業者が安定しているか、どの品目で問題が起きやすいかを示してくれます」中原は説明した。

「そのデータを見れば、例えば『この薬師は納期は遅れがちだが、品質は常に最高だ』とか、『この鍛冶屋は大量注文には応えられないが、小回りが利き緊急時に頼りになる』といった、業者の『特性』が見えてきます」


「そして、その特性とギルドの『需要予測』を組み合わせる。

 例えば、需要予測から『このポーションは常に一定量必要だが、急な需要変動は少ない』と分かれば、多少納期に波があっても品質の高い業者を選ぶ。

 逆に、『この矢は突発的な魔物出現で急に大量に必要になる可能性がある』と分かれば、多少品質にばらつきがあっても、小回りが利いて早く大量に納品できる業者を優先する、といった判断が可能になります」


 中原は、データに基づいた柔軟な対応の重要性を説いた。

 これは、エリザベスの持つ直感や経験に基づく業者ごとの使い分けを、より明確な情報と連携させて体系化するアプローチだった。


「記録盤で…業者の評価を…データ化する、と…」

 エリザベスは、中原の言葉を反芻するように呟いた。

 彼女自身、頭の中で業者ごとの情報を整理し、瞬時に判断を下しているが、それを形にして、他の者にも共有可能な情報として蓄積する、という発想はなかった。

 それは、自身の経験則をさらに強固なものにする、あるいは後継者に伝えるための有効な手段かもしれない。


「なるほど…私の知っているやり方とは全く違うけれど、理に適っているわ。

 単に経験や勘に頼るのではなく、『記録』という名の証拠を集め、そこから『傾向』を読み、業者ごとの『特性』を明確にする…そして、それをギルド全体の『計画』と結びつける…」


 エリザベスは、わずかに笑みを深くした。

 しかし、その目はビジネスの厳しい現実を見据えている。


「ですが、中原信也。理論だけでは、この世界の泥臭い現実を乗り越えられません。貿易とは、数字と計画だけでなく、人間の欲得、駆け引き、時には理不尽さとも向き合うものです。貴方の『管理』と『計画』が、本当にこの世界の『現実』を動かす力があるのか…私に証明していただきたい」


 エリザベスの言葉に、中原は背筋を伸ばした。これが、協力への条件提示だと理解した。


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