第21話 おめかし

 放課後になってトムは理事長室に向かう。

 別段呼び出しを掛けられた訳ではない。

「今日から帰宅も一緒にしましょう」

 そう紗季さんと約束していたからに他ならない。


 トムが理事長室に入ると紗季さんが「あっ!」っと小さく声を漏らした。

「有森理事長、どうかなさいましたか?」

「友夢くん、学園内でも二人きりの時は紗季で良いわ。そんなことより友夢くんごめんなさい」

 紗季さんは両手を頭の上で合わせる。

「どうしましたか? なにか突発的な事情が発生しましたか」


「そうなのよ……」

 拝んだ両手を下ろしながら紗季さんは説明を始めた。

「一緒に帰る約束だったけど、急にその予定がね、何て説明しようかしら?」

「大丈夫ですよ。紗季さんの家には、わたし一人で帰られますから」

「今日約束したばかりなのにホンっとごめんね。あ! それからあの家は友夢くんの家でも有るんだから遠慮した言い方はしないでね」

 そう言うとそっとトムの近くまで歩み寄り優しく抱擁した。

 ふっと柔らかい感触と共に華やいだ香りが漂う。

 改めて見詰めると朝とは着ている洋服も変わっていた。


 もちろん理事長の立場から慶弔に合わせた服も理事長室のクローゼットには収められている。

 今の服装は公式なパーティーとまではいかない程度におめかしをしていた。

「紗季さんはこれからパーティーでヒトと会わなければならないんですね」

「そうなのよ。急に決まった……ちょっとしたプライベートな予定だったから友夢くんにも知らせるのが遅れちゃったの。そう言えば携帯端末を買ってあげるのを忘れていたわね」

 すると突然紗季さんの携帯端末が軽快な音楽を鳴らし始める。


 紗季さんが携帯端末を取り出すと、トムも左手の甲を何やらいじり始めた。

「! 友夢くん、冗談でもそう言うのはやめてよね」

 トムは手の甲の人工皮膚を捲って、その下の流体画面を見詰めている。

「わたしも携帯端末を持っていますので、お知らせしておいた方が良いかと思いました」

「そうじゃなくって、そういう人間離れしたことはしないで頂戴」

「その様なことはありません。人間でも手の甲にICチップやサポートAIを埋め込んでる人もたくさんいらっしゃいますよ」

「それは大抵マニアックなガジェットオタクな大人か、ナノメカニックの技術者くらいでしょ。友夢くんは普通な学生でいて頂戴ね」

「分かりました。今後は使わないようにします」

 トムは左手首を見詰めながらお昼休みの出来事を思い返していた。

(ひょっとしたら、わたしは伊藤さんのことも驚かせてしまったのかも知れない)


「まぁ、徐々にで良いわ。ゆっくり約束事を決めていきましょうって今回は私が約束破っちゃったからこんな事になったのよね」

 紗季さんはバツの悪そうな顔をしていた。


「とりあえず今日は一人で帰宅します。晩御飯の用意も必要なさそうですね」

「たぶん要らないと思うわ。あんまり家事とか気を配らなくても良いのよ」

「時間は有効に活用したほうがお得感があります」

「そうかもしれないわね。友夢くんのそういう冗談って私も好きよ。それじゃあ、お得感の範囲内で家事もお任せしちゃおうかしら?」

 紗季さんは少しだけ嬉しそうな表情を浮かべていた。


 トムが一礼して理事長室を後にすると、扉の向こうで紗季さんはいそいそとおめかしを続けていた。

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