第1話-2 苦悩の侯爵

 ベリアルと同じ十柱の王の一人であるバラムが、人間界に召喚され、多くの契約魂フレッシュソウルを持ち帰ったらしいという話をロエから聞いたアヴナスは、すぐに厭な予感を抱いた。

 人間界では終末思想とやらが流行しており、下級悪魔が頻繁に召喚されているという情報はアヴナスも耳にしていたが、バラムほどの悪魔が召喚されたというのは驚きだった。


 悪魔はそのクラスが高くなるほどに召喚が難しくなる。

 文明の進んだ人間界では召喚の技術が落ちていると聞いていた。技術よりも能力の高いものがいたのかもしれないなと考えるアヴナスに、ロエはバラムが手に入れた契約魂を次の十柱会議で披露するつもりらしいと伝えた。


 それはまずい。

 アヴナスが焦りを感じると同時くらいに、どこからともなくベリアルの声が聞こえてきた。

 すぐに来てくれる?

 そんな言葉にぞっとしつつも、アヴナスは取るものも取りあえず死馬車に乗り込み、可及的速やかにベリアルの元を訪れたのだが。


「全て私のせいです…。申し訳ありません…」


 バラムが人間界に召喚されたのも、契約魂を持ち帰って自慢げなのも、アヴナスには関係ない。だが、いつの間にか自分のせいにされていることに異を唱えても仕方がない。嫌がらせが長引くだけだ。


 アヴナスはその場に跪いたまま、深く頭を垂れてベリアルに詫びる。このまま黙っていても、ごまかしても、とぼけてみせても、何をどうしたって、ベリアルは自分が悪いことにしてねちねちと言いたいだけだ。


 自分が出来ることはひとつ。

 詫びるしかない。


「本当っに…申し訳ございませんでした…っ!」


 更に深く頭を下げながら、今回はいつまでいびられるのだろうと、暗澹たる思いになる。これも自分の勤めだと、諦めてはいるけれど、せつなくなったりするのだ。

 ベリアルはアヴナスの後頭部をつまらなさそうな顔で見ながら、バラムに対する不満をぶちまけた。


「本当に人間は愚かだよね。あんな醜い悪魔を召喚するなんて、気がしれないな。頭が三つもあって、人と雄牛と雄羊なんだぞ? ついでに人の面相も不細工ときてる。あり得るか? あり得ないだろう? その上、尻尾は蛇で、熊に乗ってる上に、大鷹まで連れてるんだ。情報が多い。多すぎる!」


 ベリアルはいつもバラムの容姿にケチをつけるけれど、悪魔なのだ。亡者になめられない為には外見から入るのが一番なんだから、正統派じゃないかとアヴナスは密かに思う。

 それに頭が三つある悪魔はバラムだけじゃない。十柱の王の中で第一の王であるバエルだって、人と蛙と猫の頭を持っている。そっちはいいのかと指摘すれば、バエルの悪口も始まるから、決して言えないが。


 アヴナスがそんな思いを抱いた瞬間、ベリアルは目を細めてアヴナスに聞いた。


「バエルも同じじゃないかって、今、思ったね?」

「い…いえ」

「思ったよね?」

「いいえ…っ」

「思わなかったんだ? じゃ、お前はアレが平気なんだ。人で、蛙で、猫で。しかも、それが恥ずかしいからって透明になっちゃうあいつが?」


 平気…ではない。透明になられると厄介なので、いつもやめて欲しいと思っている。でも、ここで同意してはいけない。バエルに会った時、目の前で「アヴナスが君のこと、気持ち悪いって言ってたよ」と告げ口されるに決まっている。


 反応しないアヴナスを面白くなさそうに見て、ベリアルはブツブツと不満を続けた。


「そもそもさ。十柱の王っていうのはロクな奴がいないんだよ。皆はパイモンが一番強いとか思ってるかもしれないけど、トランペットとシンバルを鳴らしながら現れるなんて、自己主張が激しすぎるし、あいつが乗ってるラクダは臭い。臭いと言えば、ベレトが乗ってる死馬もだ。あれ、普通の死馬じゃないじゃん。絶対腐ってるじゃん。なのに、愛情を起こさせる力があるとか、あり得なくない? 大体さ、馬はまだしも、熊とかラクダとか、なんで乗るかな。乗るようなもんじゃないだろう。あれ」


 ベリアルが批判するのは大抵、自分よりも権勢を誇る王だ。かつて、地獄の王…魔王サタンとなったルシファーと共に堕天したベリアルは、自分は天使だったというプライドがあり、十柱の王の中では自分が一番だと思い込んでいる。

 かつての栄光に縋っている…などとは、絶対に口にしてはならない…いや、思ってもならないのだ。


「お前。今…」

「…っ…。ところでっ…バラム様が契約魂を持ち帰ったという話は本当なのでございましょうか…っ!?」


 勘の鋭いベリアルにまたしても内心を当てられかけたアヴナスは、慌てて話題をバラムに戻す。

 ベリアルは不服そうだったが、バラムの話をしたかったようで、渋々、アヴナスはどう聞いているのかと確認した。


「人間界では終末思想とやらが流行りで、召喚されて契約魂を持ち帰ったと」

「フン。らしいよ。バラムを召喚したのはカルト宗教の教祖で、あいつは未来を予知する見返りに、教祖の魂だけじゃなく、信者の魂も要求したんだって。教祖は信者を集団自殺させて、願いを叶えたからって教祖の魂も貰って来たって話だよ」

「ほほう…。まるでベリアル様みたいな狡猾な手口ですね」

「なんか棘がないか?」

「とんでもない! 褒め言葉にございます」


 賢いベリアルなら、もっと多くの魂を持ち帰れただろうに。慌てて付け加えたごますりに、ベリアルはまんざらでもない顔で「当然だ」と返した。


「私が召喚されたなら、召喚者を高い位につかせて、大きな争いを起こさせる。そして、もっと多くの契約魂を地獄へ持ち帰るだろう。そうすれば、ルシファーだって私の存在を無視出来なくなるだろう?」

「さすがベリアル様」


 人間界で罪を犯した者は、地獄へ墜ちて亡者となる。亡者は悪魔の奴隷として終わりのない時を過ごすが、悪魔が直接人間界から持ち帰る契約魂には違う使用法がある。

 契約魂はエネルギーに満ちており、色んなことに役立つ。屋敷を増築したり、領地を広げたり。下級悪魔や亡者を使役し、配下の軍団数を増やすことも出来る。

 そして、一番の使い道は。


「バラム様は契約魂をどのように使われるおつもりでしょうか」

「まずは今度の十柱会議で披露して、大々的に自慢して、ルシファーに献上して、寵愛を得ようってとこじゃないの? バラムはルシファーラブだからね」

「なるほど…」


 自身の勢力を拡大させる為に使うのではなく、ルシファーに献上するというベリアルの見立ては当たっているだろう。バラムはルシファーに心酔している。契約魂を献上するという名目で、ルシファーに会えるだけで嬉しいと思っていそうだ。


 そして、その行動は結果的にバラムの勢力を広げる役に立つ可能性もある。屋敷や領地や雇用にちまちま投資するより、権力者に取り立てられた方が手っ取り早かったりする。

 だが、それはベリアルには使えない手法でもある。ルシファーとの歴然とした力の差を認められず、いまだ同窓生みたいな気分でいるからだ。


 おいたわしい…。哀れむような気持ちを抱いたアヴナスを、ベリアルは冷めた目で見た。


「お前…」

「ざ、残念ですが! ベリアル様が人間界に召喚されることは難しいのではないですか。ベリアル様は魔力が強すぎます。今の人間界で召喚出来る者はいないでしょう」

「…そうだね」


 アヴナスが苦し紛れに吐いた言葉に、ベリアルはまんざらでもない表情で頷いた。


「確かに、私を召喚出来るくらいの能力を持つような者はいないだろうな。人間は愚かだから文明を進化させるのに夢中で、己の本当の力を手放しているからね」

「左様でございますとも!私ごときがこのようなことを申し上げるのは僭越ではございますが、下級悪魔は頻繁に召喚されているようですし、バラム様くらいの方が限界なのではないでしょうか」

「だろうね」


 それとなく下級悪魔とバラムを同格に置くことでベリアルを納得させられたアヴナスは、ほっと胸を撫で下ろす。めんどくさいループをなんとか回避出来た。今のうちに…と考え、バラムから離れた話題を持ち出した。


「ところでベリアル様。アスモデウス様のお屋敷で開かれる次回の十柱会議ですが、手土産には何をお持ちしますか?」

「槍でいいんじゃない? 槍、好きだろう。アスモデウスは。槍」

「承知致しました」

「どうせ今度の十柱会議はバラムの自慢話に終始するだろうからね。休んだっていいんだけどさ」

「それはそれで皆様方の誤解を招きますから、出席なされた方がよろしいかと」


 嫉妬して欠席したと思われるのはしゃくだろう。控えめに注意するアヴナスに、ベリアルは不満いっぱいの顔で「フン」と小鼻を膨らませた。反論はせずに、アヴナスに無理難題を持ちかける。


「なんなら、お前が召喚されて契約魂を持ち帰って来てもいいんだぞ?」

「何を仰ってるんですか。私ごときが…」

「だよな」


 召喚されるはずもない…とアヴナスが最後まで言う前に、ベリアルは意地悪な表情を浮かべて話を遮った。アヴナスが僅かに頬を引きつらせると、いい気味だというように満足げに笑い、姿を消す。


 ベリアルの気配が消えたのを確認し、アヴナスは立ち上がった。全く、ベリアル様は困ったものだ。苦々しい顔付きで土下座したままのロエを振り返り、「帰るぞ」と低い声で吐き捨てた。

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